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1月7日480日目「みかんの旅」紀伊半島西側

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栃尾さんの家を出て3日。新宮市から和歌山に入り、潮岬を経て僕は紀伊半島の西側を走っている。旅もいよいよ架橋に入ってきた。冬枯れの景色の中を走る。草は黄色く枯れ、乾いた青空にはいそぐように白い雲が駆けていた。紀伊半島の東側は海沿いの道でも「山」が近くに迫ってくるイメージだったが、西側は「海」を近くに感じるイメージだ。

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またここが紀伊半島だと思わせてくれるのが、どこにいっても道行く人に「みかん」をもらっていたことだ。嬉しいけど、けっこうかさばったり重くなるので、水分補給でチョコチョコ食べて、減ってきたぞと思ったころに限ってまたドカッともらってしまう。うーんこれぞオートみかんシステムかな。旅に慣れてくると荷物が減っていくとどこかで聞いたが、僕はその逆で、ギター、長靴、調理道具、雑誌古本、あちこちでもらえる果物に野菜と荷物は増える一方で、必然的にペースも遅くなるのですが、その一方で他の旅人は持っていないであろう面白い荷物を積んでたりするので旅先での話のネタとしては重宝するのである。

青森ー大阪 (71)


地図を開けばあと何kmやから何日もすれば大阪に着くなとワクワクしていたのですが、いざ近づいてくると、旅が終わってしまうのが寂しく感じるようになってきた。これだけ旅して懲りるかと思いきや、全然そんなことはなく、次はどんな旅をしようかと考えだす自分がいる。旅が本当に好きな自分に気がつき、嬉しいと思う。

1月7日、僕はこの日の目的地の街を目指して走っていたが、あっさり大阪に近づき、この旅が終わってしまうことが悲しく、フと海が見たくなったので、僕は西に進路を変えて国道から海へ向かう県道へと入った。県道は小さな山を越えるためにいくつかのゆるやかなカーブを描いていた。カーブに沿って段々畑が連なり、畑にはみかんの木も多く植えられている。あたりを包んでいた夕暮れの光は優しいみかん色だった。そうか、ここは和歌山なんや。当たり前のことを今あらためてこの風景を見て感じたのだった。

山を越える際、水っぽい未完成の雪がチラチラと降っていた。僕は海まで出て少し走り、適当な場所でテントを張る。この日の最低気温はー2℃、よくこんな所で毎日寝て風邪を引かないもんだ。

翌朝、テントを片付けた僕はイスに座っていた。ちょうど後ろから日が登り始め、目の前にあった山の岩肌を朱く染め上げた。僕はウォークマンでハンバートハンバートの「旅のおわり」という曲を聴きながら、その光景を無言で眺め、この旅をしていることを心から幸せに感じていた。

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2011年1月4日477日目「目指す」三重・熊野市―和歌山・串本

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年の暮れのアホキャンプ(荒天により中止)から一夜。目が覚めると、窓越しにまぶしい朝日が家の中に差し込んでいた、この時すでに朝8時くらい。キャンプも失敗、初日の出も見逃す。「試合に負けて勝負も負けた」って感じかな、まあエエか。(切り替えは早い。)

栃尾さんは、「正月中、一人で家の番をする所だったから、いてくれて助かる」と言ってくれたが、年越し、お正月を人様のお家で過ごさせてもらうなんて、本当に恐縮であり、感謝であります。という訳でお言葉に甘えて心底まったりヌクヌクとしたお正月を過ごさせていただきました。いやあ、もう幸せすぎる。お世話になってばかりではいけないので、料理は僕も手伝わせてもらった。オムライス、鍋、クリームシチュー(ペシャメルソースから手作り)など。

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そんなこんな1月4日、栃尾さんの家を出発することにした。出発する僕に、栃尾さん手作りの「めはり寿司」(高菜の塩漬けでご飯をくるんだこの辺りの郷土料理)を持たせてくれた。長期間、温かい時間を過ごさせていただき本当に感謝、ありがとうございました。栃尾さんのお母様にも感謝です。

もう迷わず大阪を目指すのみ。さあ、行こか!!

12月31日473日目「この年最後の夕暮れを」三重県・熊野市

青森ー大阪 (65)


年越しはどこでキャンプになるやろな?そんなことを考えながら紀伊半島を旅していたら、大晦日の数日前に、青森で知り合った当時自転車で日本一周していたおじさん・栃尾さんからメールが来た。栃尾さんは群馬県の方だが、お正月はご実家の三重県で過ごされるらしく、遊びにこないか?と声をかけていただき、向かうことにした。

ちなみにここまでの道のりは楽ではなかった。坂はキツイし、もうすぐおじさんのご実家のある熊野に着くぞーっていう手前で日が暮れて、街灯もほぼ無い田舎道を走るのも危険なので、名も知らない小さな港街でテント泊すると、明け方が寒くて寒くて。たぶん普通に氷点下を下回っていました。でも冬の星空がキレイでキレイで、やっぱり旅の夜ってイイなとしみじみ思ったり。

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そんなこんな栃尾さんの家への到着は僕のトロトロペースで30日となった。着くなり栃尾さんは、「このまま正月も過ごしていくとイイよ。」とおっしゃった。なんて慈悲深いんだ、お世話になります。(そこはちゃっかり)ほとんど毎日外で過ごしているもんだから、着いて「家」の温かみにとてもホッとした。先日ご実家の栃尾さんのお母様が亡くなられたそうで、仏壇の前で手を合わせた、スイマセン少しお世話になります。軒下には生前お母様が作られた干し柿がつるされてあり、夕方の西日が差すと窓ガラスに干し柿の優しいシルエットを映していた。

青森ー大阪 (63)


到着から一夜明け、2010年12月31日。栃尾さんは正月もここで過ごしていいとは言ってくれていて、この上なく有り難いのですが、年越しはキャンプで過ごすと数日前から考えていて僕は迷っていた。キャンプはどうしてもやりたかったし、でももう少しここにもいたい。悩んだ末に僕はハッと名案(後から思えば迷案でした)を思いついた。年越しだけキャンプして、年明けの朝にまた栃尾さんの家に戻ってこようと。僕のこの超自己中心的な考えを栃尾さんに相談してみると「イイよー。行ってきな。」と優しく言ってくれた。キャンプ道具を積み込んで、今年最後の夕暮れを頬に浴びながら僕は数キロ先の海辺へと向かった。

さて、キャンプだ。広い砂浜にテントを張った、くーワクワクするぜよ。年越しそばなぞ作って夕食。しかし海辺に着いた時には天気は穏やかであったのですが、日が暮れてすっかり暗くなったころには風が強くなり、だんだんとその勢いを増してきた。気がつくともの凄い風が海辺を吹き荒れていた。テントに入って寝袋をかぶり、ラジオで紅白歌合戦なぞ聴いて気を落ち着かせようとしたが、風が強すぎて、テントのナイロンの壁が押されて寝ている顔にくっついてくるほどだった。このままではテントが壊れてしまう、身の危険も感じた。キャンプは中止だ。しかし中止してどうする?海から離れたトイレで一晩避難してもいい。僕はそこでフと栃尾さんのことを思った。栃尾さんの奥さんは用事で群馬の家にいらして、こちらの熊野には栃尾さんだけが来ていた。せっかく正月を一緒に過ごそうと言ってくれたのに、僕はなんて自分よがりなことをしてるのだろう。帰ろう、栃尾さんの所へ。僕は電話をかけ、僕の相当勝手な事情にもかかわらず栃尾さんは優しく「帰っておいで」と言ってくれた。さっそくテントを片付けるが、もの凄い風が吹き荒れ、撤収はかなり困難を極めた。息絶え絶えに(大げさ)に夜中の11時くらい、栃尾さんの家に帰ってきた。栃尾さんは、「おかえり。風が強いから心配してたよ。」と言い、僕はものすごく安堵した。コタツに入って紅白歌合戦を見る。さっきまではちゃめちゃの時間を過ごしていたかと思うとなんて今幸せなんだろう。

「ゆく年くる年」の鐘の音を2人心静かに聞いていた。2010年、今まで過ごしてきた人生で確実に濃い1年だった、ありがとう。

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プロフィール

アマガエル♪

Author:アマガエル♪
自転車に乗って、旅して、撮る。

自称「自転車カメラニスト」のアマガエルです。

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