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迷わず休め 休めば分かるさ

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どっちの道を歩こうか、迷ってる?

人生分かれ道の連続。迷うのもまた人生、か。

ま、そんな難しい顔せんと。

ゆっくり珈琲でも飲んで、な?

どや、迷わないのも、また人生やろ?


ー「人生喫茶より道」マスターの言葉よりー





↑僕の妄想です。実際のマスターは関係ありません(笑)

良いお年を^^/
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「エブリデイ菜っ葉生活」本部町

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知り合ったオジサンの家での暮らし、食生活編。

基本的に食事当番は僕がやっていて、掃除とかも全部僕がやってました。住まわせてもらってるから当たり前ですが、家事も料理も元々嫌いではないというかむしろ好きなので。

で毎日何を食っていたかというと、オジサン直伝の野菜炒めとご飯。

アレ?他は?

いえ、これが毎日(笑)

ちなみにこの野菜炒めは「菜っ葉もの一種類+動物系たんぱく質」が主な具材です。

菜っ葉ものとは、庭を開墾した畑で採れるキクナ、コマツナ、フダンナの3種類。スーパーで買ってくるものとしては、キャベツとか、菜っ葉ではないけどパパイヤ、ニンジン、ダイコンなんかも「シリシリ」として時々登場します。

動物系たんぱく質は主に缶詰めが多かった。サバ缶やツナ缶、沖縄でよくあるポークやスパム。

「1+1」の組み合わせが毎日変わるだけ。

さて作り方は簡単。

熱したフライパンに油をしいて、ザク切りにした野菜をブチ込んだら醤油をダラーッと回しかけて、少し野菜のかさが減ったら例えばサバ缶ほぐしたやつを投入して、少し火を弱めてフタして数分蒸し煮、完成~。

汁多めの野菜炒め。もう腹が減ってるのでこれで毎日ウマイウマイと白飯をがっついてました。毎日同じ味付けの野菜炒めで飽きるかというとそうでもなく、毎日感動しながら食ってました、どんだけ腹が減ってたんやろう。3種類の菜っ葉が毎日ループした時はさすがに「違うもの食べたい」と思った気もしましたが(笑)

なんか沖縄らしいもの食べてたか?この野菜炒めにはゴーヤーが登場したことがない。考えたら冬だからさすがにとれないか。

春先はアオサの味噌汁よくやりました。ふわっと磯の香りがして。冷凍庫に島とうがらしがあるので、それを汁の中にいれてみたり。一度とうがらしを誤って噛んでしまって、あまりの辛さに1時間悶絶したことがありました。

豚汁が食べたくなって、作ってたのですが、オジサンがのぞきこむなり、

「や~や~や~違うね~。昆布買ってこい~。」

ダシをとるのか?と思ったけど、水に戻して結び昆布にして「具」としてけっこうたくさん投入。僕は肉は「こまぎれ」を買ってきたけど、沖縄式(オジサン式?)はラフテー(角煮)とかに使うような、三枚肉とかを使うらしい。沖縄の豚汁を食べられたのは良かったけど、自分の知ってる豚汁をあっさり否定されて若干コンニャロと悔しかった(そんなのしょっちゅうでしたが笑)

オジサンの作る料理は豪快でいかにも「漢の料理」って感じだけど、味はけっこう美味しい。時々作ってくれるのがサンマの甘辛煮。島とうがらしを少し効かして、ご飯とよく合うおかずでした。

僕がインフルエンザで寝込んでいた時、オジサンがナマコを海からとってきて、なんか色々加工したあと、野菜炒め(←やっぱり)にして食べさせてもらった時がありました。前から食べてみたいとは言ってたんですけど、なぜこのタイミングで?(笑)

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時々、カレーや餃子を作ったりしたこともありましたが、基本的にはこの野菜炒めの毎日です。毎日すぎて写真に撮らなかった(笑)

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そんな僕の沖縄の食生活でした。

もう一度、秋を思う。

今回は旅の日記じゃございあせん。

寒いですねえ。2眼レフのシーガル君で撮ったブローニーの現像を受け取った。そこにはこの前まで見ていたはずの、秋の色が写し出されていた。

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ホントこの前まで秋やったのに。

【写真】「本部での日々」本部町

本部町は沖縄本島でも北の方。自然豊かな港町。仕事がつらくても、オジサンとの濃い時間に嫌気が差した時でも(コラコラ笑)、海を、空を、見れば、町を歩けば元気になる。今回は写真多めでお送りします。

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こんな美しい夕日を見るとまた明日も頑張ろうって思えてくる。

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↑↓橋でつながる瀬底島。なんにもないけど、なんにもないのが良くて、しょっちゅう通って海を見ていた。僕の心のオアシスのような場所です。

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本部は沖縄で一番好きな場所です。

11月21日 68日目「ニャンとも言えぬオキナワンライフ」本部町

沖縄 (24)


~前回までのあらすじ~
冬を越すための仕事を探しに来た沖縄にて、僕はとうとう本部町で運命のオジサンと出会う。他の仕事が見つかるまでオジサンの仕事を手伝いながらオジサンの家に住んで良いという願ってもない状況となる!!いよいよ一つの場所に腰を据えての生活が始まったわけですが・・・というのは今からの話。

まずオジサンの家の話から。オジサンの家は木造で石瓦屋根にシーサーがチョコンと座ってる沖縄の伝統家屋風。すき間が多いため、2~3日に一度はゴキブリが出る。2~3日に一度はネズミが走る。ネズミに関しては最初そんな気にしていなかったが、かじられるという話を聞いてからは、寝てる間かじられるのが怖いので、すき間の穴を板でふさいだり、トラップをしかけたりした。そして蚊は年中いるので冬も蚊取り線香をたいていた(だからってけっこう冬は寒いんですよ、沖縄も。)シャワーはついてるけど浴槽は無し。これについてオジサンは「沖縄の人はフロなんか入らんサー」と言ってたけど、ホンマかいな?沖縄の友達に聞いたら「確かに年に数回しか入らない」とのこと。シャワーがあるだけでとても有り難いけど、やっぱり風呂が恋しかったのも事実でした。
あ、なんか不便な所ばっかり書いてる(笑)イイ所は、家、その周囲ともに超ロハス。海は近いし、夜空にはキレイな星空が煌いている。縁側があるのもなんかイイ、一人でご飯食べる時は縁側に座って食べることがあった。

家のことはとりあえずこの辺にして、オジサンの仕事の話。住み込み・飯付きでお給料はもらってないけど、旅の資金はある程度ためてきてるから、冬の間資金が減らないだけでも嬉しい。しかしその仕事、まあトラブル続きで(笑)どんなことがあったとか、どんな仕事かとか、プライバシーなこともあるので書きません、別に変な仕事ではありません。それでもそのトラブルが元で、けっこう僕にとっては精神的に苦痛だったのですが、オジサンは飄々とした感じで、
「こんなこと何でもないサー。淡々とやればいいんだよー。」
と、あっさり。人生経験豊かなオジサンは多少のことでは動じない腹の座ったお人なのだ。だからって僕はツラくてしょうがなかった。ここを出ようと何回も考えた。この日ではなくもっと後の話ですけど、大阪に住んでるいつも僕の人生相談を受けてくれるおじさんがいて、僕はたまらず電話で相談した。その大阪のおじさんに色々言われた後、
「まあ雨でも槍でも降ってこいっちゅー感じでそこで頑張ってみろや。」
と言われ、ここを出るための背中を押してくれる一言を心の片隅で期待していた僕は、まさかの返答に、ここまでこらえてきた感情があふれだして、泣きながら「うぅ、分かりましたよ!!」と答えたのだった。いつも大阪のおじさんの話は説得力があって逆らう気にもなれない。オジサンの仕事は12月の終わりまで手伝うことになるのですが、最後の方はトラブルもなくなり安定してきたようです。僕が来た時が一番大変な時期だったそうで。何じゃそら(笑)

続いて沖縄のオジサンの話。オジサンを一言で言うならば、「濃い。」だ。人生経験がめちゃめちゃ豊富。僕と違って腹が座っていて、存在感は抜群にありながらいつも飄々としている。休みの日以外は同じ時間を過ごしてる時が多いのですが、仕事でも生活面でもいたる所でダメ出しが入る。もうそこはオブラートに包んだ言い方はせず、バッサリくる。なので僕は度々イライラしながらもっと言い方あるやろ、といつも思ってました(笑)そして晩ご飯時には必ずどこかに人生の説教が入ります。説教って怒られるわけじゃなくて、まあ人生の指南というかオジサンの経験談を交えながら色々話してくれるのですが、話は、ハイ、よく分かります。でも話長すぎてしんどいっす。一応自分の部屋が与えられて、ゆっくりしていても、「オーイ、ちょっとこのテレビ見てみろー」と声がかかる、そしてそのテレビのオジサンの解説が入る。ははーんもう頼むからほっといてくれよ(笑)夜は必ずオジサンのマッサージ。そんなこんなでちょくちょく家を出て、一人で夜の海を眺めていたり、散歩したりしてなんとか息抜きの時間を作っていた。ってまあお世話になってるのでやっぱり感謝はしております。マッサージも面倒くさいとか思いつつ、ちゃんと心込めてやってた、はず(笑)

さてこの日は仕事の方が調整期間に入ったのですが、オジサンの指令はいつどこでやってくるか分からない。
「庭を畑にしよう。」
そう言い出したオジサンは僕を軽トラに乗せ、隣町の農場で堆肥を山ほど積んでまたオジサンの自宅まで帰ってきたなり、
「じゃ、耕して。」
と、クワを渡され庭の開墾開始、オジサンは若者の仕事とばかりに見てるだけ。大阪の家で小さな畑をやってるので、クワの使い方には慣れていたのですが、「おお、上手ねー」とオジサンが言って、うわぁー初めて褒められた気がする~、と喜んでいいのやらどうなんか。耕した畑に三種類の菜っ葉の種を蒔いた。その菜っ葉はひと月もすると立派に成長して、それから毎日三種類の菜っ葉をループさせた菜っ葉メインのおかずの日々が続いて、いい加減飽き飽きしたことがありました(笑)オジサンの家での食生活はまた別に書きます。

とりあえず毎日色々ありすぎて、濃い。濃すぎてしんどい(笑)でも楽しいことも色々あります。それはまた次回で。

沖縄 (25)

11月10日 57日目「そして僕は運命の人(っていってもオジサン)と出会った。」恩納村ー本部町

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謎の取引から一夜(笑)、ちなみに昨夜はビーチで寝ようとしていたが、ビーチを管理している警備会社の人に注意されて出ていくことになった。管理されているビーチとは知らなかった。ただもうすでに辺りは真っ暗で、さんざん寝床を探したあげくのこの場所だったので、何とか頼み込んで、ビーチの事務所の建物の前で寝させてもらえることになった。しかしそこで警備の人に、
「テントでも張って寝ないとハブに噛まれるよ。」
と言われた。おぉ、そうですよね、いてはりますよね、ハブさん。僕はテントを持ってるからイイ。トシは本来キャンプ旅では無いので持っていない。僕のテントは一人用だ、どうする?

・・・もちろん僕のテントの中に二人入って寝ましたよ(笑)ハブ怖いもんね。一応1~2人用って書いてるけど、二人入るとぎっちぎちだ。男二人でむさくるしい空間の中眠りに着く。そして朝5時には昨日の警備の人に起こされた。もう少し寝かせてくれよ!!・・・とは言えないって。

島を出発すると、本島に戻り、そのまま西へすすんで国道58号線に出た。ここで5日間一緒に旅したトシと別れることとなった。トシは八重山諸島に向かうため南へ。僕は水族館を見たいので北へと向かう。

一人になって寂しくなったのもあるけど、少し嬉しくもあった。トシと旅していた時間はとても楽しかったし、トシがいなければなかった出会いがたくさんあった。ただ二人の社交性を比べてみると、トシの方が積極的で会話の進め方が上手いというか、もう僕がしゃべらなくても、しゃべりたくても余地がない場面とかがあって、少し歯がゆい思いをしていた、少しだけね。感動を共有できる二人旅も楽しいが、やっぱり全部自分で行き先を決めれる一人旅が始まって少し嬉しかったのだ。

ごっぱち(58号線)を北上、恩納村のゲストハウスで1泊して、翌日水族館のある本部町(もとぶ)へ向かった。

そこでついに僕は運命の人(おっさん)と出会う。僕は本部に着いて、宿に泊まった。本部で仕事を探そうとしていた僕は、宿主のオジサンにそんなことを話すと、
「仕事が決まるまでオレの仕事を手伝えばイイさー。」
と言ってくれた。そのオジサン、宿以外に別の仕事をやってるらしく、その仕事を手伝いつつ、オジサンの自宅に住まわせてもらえることになった。沖縄に来て10日目、事態はいきなり動き出した。さてこれからどうなりますか。
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11月8日 55日目 「とある島にて謎の取引成立?」沖縄の橋でつながるとある島

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コザを出た僕とトシは、コザから東へ行った橋でつながるいくつかの島を巡ることにした。橋や島の周辺は驚くばかりの美しい空と海が広がっていた。これまで街の中ばかり走ってきたので、これぞ沖縄の海というのをまだ見てなかったからとても感動した。

さて、その中のある島でテント泊することにした。夕方にその島に着いて、商店の前に座って買ったばかりの「さんぴん茶」を少し飲んだ。すると島の若い男の子がそばに来ていきなり、
「お茶!」
と言い出したのだ。最初どういう意味か分からなかったが、お茶を飲みたいのかなと思って、優しい気持ちで僕のペットボトルを差し出すと、彼はそれを受け取り、彼の手にもっていた「さんぴん茶」のロング缶を僕に手渡してきた。
「ありがとう。」
彼は笑顔でそう言うと、トボトボと去っていった。あっけらかんとその後ろ姿を見ていた僕でしたが、僕が渡したペットボトルにはまだ4分の3くらいお茶が残っていて、彼がくれたロング缶には4分の1くらいしかお茶は残っていなかった。「おい!俺のお茶!!(笑)」あまりに訳の分からなすぎる謎の取引はこちらの了承もないまま勝手に成立していた。横で一部始終を黙って見ていたトシがたまらず爆笑していた。ロング缶の中のお茶は飲まずに流しました、飲みたくないっての(笑)適当だけど大らかな(?)島の思い出。

11月6日 53日目 「鯉のエサ?に舌鼓み」沖縄・コザ

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ゲストハウスの部屋で、隣のベットで寝ていた東京のトシと仲良くなった。彼は交通手段を使った徒歩の旅だが、知り合いから自転車を借りることができ、沖縄本島を一緒に自転車で旅することにした。

那覇を出て宜野湾市のカフェ「UNISON」に行ったり、北谷(ちゃたん)にあるいきなりやけにお洒落なアウトレットモールをチラ見。国道58号線の横にはアメリカの基地が見える。僕は頭が良くないというか、世間知らずというかこの基地に関して、お互いの国にとって、沖縄の人達にとって、どうあればイイかはきちんとした意見を持つことが出来ない。と言って、考えることから逃げるのも卑怯な気もするが。とにかくテレビで見ていた基地を目の前で見ることはとてもリアルに感じた景色だった。

トシは「コザ」という街に知り合いがいてるらしく会いに行くことになった。観光で来るということはあまりないと思うので、コザと聞いてピンとくる人も少ないと思う。場所的には本島の中東部あたりか。自然の沖縄というかは、街の沖縄で、住宅がひしめきあっている。
知り合いのいてるコザの「銀天街」周辺を歩いてみる。お~お~お~なんか面白い雰囲気だ。なんというか本州とは明らかに違う異国な雰囲気。コンクリートの建物が並び、色とりどりの色彩が混じり合う混沌とした世界観。「アジアの雑踏」という感じがした、外国に行ったことがない僕が言うのもなんですが。街並み・路地裏を見るのが好きな僕としてはなかなかたまらない場所です。

さて、トシの知り合いである男性と会うことが出来た。その男性はコザの銀天街で街づくりのNPOをされている。ちょうど僕たちが来た翌日、NPOのサロンがあるらしく、サロンの準備を手伝い、参加させてもらえることになった。サロンでは手作りの料理がテーブルに並び、ステージで地元のミュージシャンが演奏していた(沖縄民謡とサックスとエレキギターという斬新な組み合わせでした)。ORIONビールを飲みながら素晴らしい音楽を聴いて、集まった地元の人達(コザンチュ)と楽しく話を交わした。

その後もコザには2日ほどいた。坂の上の「一番街」は沖縄在住のアメリカ人達の遊び場という感じで、外国人向けのスナックやバーがズラリと立ち並び、ヒップホップなファッションの店があったり、その雰囲気はむこうの「ダウンタウン」という感じだった。地元のコザンチュに、日本人でも入りやすいバーというかカラオケ喫茶を教えてもらい、トシと二人で飲みに行った。店の人達も日本人で、お客さんも日本人がいたり外国人がいたり。酒を飲みながら清志郎の「ダイアモンドの夜空に」を熱唱、うるさい日本人やな(笑)

あとコザで印象深いのが地元の食堂だ。沖縄の食堂は「安い、ウマイ、量が多い」の旅人にとってはとても有り難い条件が揃った店が多い。コザでよく通った食堂は食券式で、おかずの名前のみが書かれていて、それがご飯付きの定食となっているようだ。沖縄の方言で書かれているものが多く、頼んでから何が出てくるかを楽しんでいた。その中で「フーチャンプルー」、「フー」って何やろ?二人で話していると、地元のオッチャンが、
「鯉のエサさー!」
というから余計に意味が分からないが、頼んでみると「麸(ふ)」の炒め物だった。沖縄では「フー」って伸ばすんやね。「麸」は煮るか、味噌汁でしか食べないので、気付きそうで気付かなかった。ていうか「鯉のエサ」って例え(笑)美味しかったです。

箇条書きになってしまったが、コザは僕にとってとても印象深い街になった。

11月1日 48日目 「南の島の屋上で」沖縄・那覇

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10月31日夕方、船はゆっくりと港を後にした。行き先は、フフフ・・・そう、沖縄!!もうニヤニヤが止まらない。大阪から鹿児島に着いたという安堵感と、これから全く未知の生活が始まるであろう期待と不安で胸はいっぱいだった。

船の中で自転車の旅人と二人仲良くなった。どちらも関東の子で、一人は北海道から日本縦断、もう一人は自宅から鹿児島まで来たそう。この船に乗る高揚感はきっと2人も同じだろう。しばらく旅のあるあるトークや、道中出会った個性的な旅人の話しで盛り上がった、「日本一周を何周もやってるおっさんがいた。」「草食ってる旅人がいた。」など(笑)

しかしこの船、鹿児島市から沖縄へ向かうだけでも時間がかかるが、途中いくつか島に寄るため、全工程24時間ほどかかる。船旅ってのは旅情があって好きだけど、さすがにこの時は長く感じたな。やがて3人も思い思いの時間を過ごす。やることもないのでテーブルで日記を書いていたが、少し下を向くだけで超絶に気持ち悪くなったのですぐやめた。

夜が開ける、当然まだ船の上。広いロビーの海に面したイスに座ってウォークマンで音楽を聴いていた。何聴いてたっけな、まあジョアン・ジルベルトということにしておこう。
横には外国人カップルがいて、女性が自分の彼氏をスケッチしているようだった。どんな絵を描いてるのか気になったが、覗き見るのもアレなんで変わらず海を眺めていた。しばらくして彼氏が立ち上がって客席へと歩いていった、おそらく描き終わったんだろう。それから数分たって少し気配を感じたと思ったら、なんとこちらに体を向けて女性が絵を描いていた。僕が目線をやったことには気付いてないようだが、もしかしたら僕の絵を描いてくれているのかもしれない、そう思い目線を戻して「モデル」に徹してみた。勘違いやったらアホみたいやけど。それから女性は声をかけてきた。英語で、
「あなたの絵を描いてるの。書き続けてイイ?」
と言って、心の中で軽くガッツポーズをした僕は「どうぞどうぞ。」と言って、小一時間そのままの姿勢でいた。で描いてもらった絵がコチラ。

沖縄


やばい、超ダンディー(笑)描いた絵は向こうの思い出になると思うので、絵を写真にだけ撮らせてもらった。

徳之島のという島で、日本縦断のチャリダー君は知り合いがいてるからということで船を降りた。そしてとうとう沖縄本島に近づく。本部港でもう一人のチャリダー君が降りた。そして船は最終目的地、那覇へ向かう。途中の島での荷物の積み下ろしに時間がかかったのか、予定より1~2時間遅れて、売店も早くしまったのでお腹もペコペコだった。

そして僕はとうとう沖縄の地にたどり着いた。夜の街をオレンジ色の街灯が照らしていた。さて、とりあえず今日はゲストハウスに向かうことにする。ゲストハウスというのは相部屋が基本で、ユースホステルよりももう少しざっくりとした感じの安宿で、沖縄には数多くあり、1泊の値段も1000円から2000円と手頃。着いたゲストハウスに荷物をおき、とりあえず近くの食堂で「ソーキそば」を頼んだ。あーあーあーこの味、久しぶり。中学の卒業旅行以来だわ。

それからそのゲストハウスには4日間ほどいた。那覇の街を散策したり、色々やること、ためていたことをこなしたり。僕の泊まったゲストハウスには常連さん、というかアパート変わりに住んで働いている人が多く、その輪には少し入りにくい空気があった、もちろん普通の旅行者もたくさんいてるのですが。ゲストハウスは沖縄に多いコンクリート建ての建物で、屋上が中でも心地良かった。洗濯物を干して南の島の空の下、僕は物思いにふけた。冬の間、本州は寒くて走れないので、沖縄で仕事を見つけて冬を越す。何も分からない土地でそう簡単に仕事なんて見つかるものだろうか?まあどうにかなるかーな?(笑)

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10月30日 46日目 「第一ステージ、フィナーレ」 錦江町―鹿児島市

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今日はいよいよ鹿児島市に着く予定だ。大阪を出発して1カ月半、ずっとここを目指して走ってきた。その先には沖縄が待っている。天気も良くて第1ステージのフィナーレを迎えるには良い日だ。

錦江湾沿いを北上していると、目の前にあの山が現れた。桜島だ。しかもまさに今モクモクと噴火している所だった。「溶岩道路」と言われる島の周りを走る道路へ。道幅が狭く自転車は走りにくい。最初はすごいなと思っていた噴火の景色も、灰が道にも振ってきてものすごくやっかいだ。ホテルの人が玄関前に積もった灰を掃除していた。大変やなと思った。サングラスをしているのに目の中に入ってきて痛い。顔にもあたって痛い。視界も白く霧のようになっていた。最後あたりにまっすぐな道があり、ゆっくりと進んでいった。そして島の西側のフェリー乗り場が見えた。
「あ~着いた、着いたで!!」
ガッツポーズをした。僕はフェリーに乗り込んだ。フェリーは錦江湾の向かい側、鹿児島市にたどり着いた。この時の気持ちといったら嬉しくてたまらなかった。ヒザを痛めたり、野宿がツラかったり色々悩んだけど、ようやく一つの節目まで無事たどり着くことが出来た。感謝やな。

明日、船に乗っていよいよ沖縄へ向かう。

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10月29日 45日目 「旅人の聖地へ」錦江町―佐多岬―錦江町

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宮崎から鹿児島に入りました。宮崎の都井岬の手前から鹿児島の串間に抜けるまでが、吐きそうなくらいきついアップダウンが続いた。天気はすこぶる良くて、ずっと行ってみたかった都井岬は丘に野生馬がいて、丘と馬さんと海という素晴らしい景色だった。

串間、志布志と西に進み、鹿屋を通り、大隅半島を横断する形で錦江湾にたどり着いた。鹿屋あたりを走っている時、横を幼稚園バスが通っていったが、バスの中の園児達がみんな僕に手を振ってくれていて僕も振り返した。子供は可愛いと思うけど、コミュニケーションのとり方がよく分からない僕ですが、こういうのはなんか嬉しい。

錦江湾沿いを南へ下り、日が暮れてきたころ、海辺の公園でキャンプした。海辺を散歩していた地元のオジサンとベンチに座り、錦江湾の水平線にまん丸オレンジの夕日が沈むのを心静かに眺めていた。

そして本日。いよいよ九州の最南端、佐多岬に向かうのです。

旅人は「最果て」が好きだ。「最果て」というと妙にカッコイイが用は「さきっぽ」のこと。時間を気にしない自由な旅に出たならば、さきっぽはやはりおさえておきたくなる、これはオセロではしっこをとっておいた方がゲームが有利になるのと同じかもしれない(違うやろ)。そんな鹿児島の佐多岬はやはり旅人に大人気の場所で、日本縦断をすれば、北海道の宗谷岬から鹿児島の佐多岬を結ぶコースで旅している人が多いように思う。

錦江湾沿いをさらに南へ下る。ある集落を越えた所から本格的にアップダウンが始まる。しばらく行くと海の近くの集落にたどり着いた。ここまで来ると大きな街からかなり離れていて、よくこんな所に住んではるな~と正直思ったもんです。

この近くに無料のキャンプ場があって、今回は利用しないけどちょっとどんな感じがのぞいてみると、昼間からラーメンを作っていた旅人らしき人物がいて、近づくとなんと別府で会った自転車人のアラキだった。これから沖縄方面に向かうらしくまたどっかで会うかもしれない。

いよいよ最南端へ最後の道が始まった。元々自転車は通れない有料道路だったらしいが、シェルパ斎藤氏の功労(?)により自転車も通行できるようなったとかいう話を「BE―PAL」で見た気がする。ここの道はなんちゅーか凄かった。植わってる植物がやたら熱帯地方。押し付けがましいぐらいのこの南国ムードが妙に面白い。坂道はさらに凄みを増していく。「最果て」への道は伊達じゃない。うねうねと曲がるワイディングロードに必死でくらいつく。思わず、旅に出る前に見たツール・ド・フランスのゴールまで延々と坂道を登るステージを思い出した。自分もツールの選手になった気分で歯をくいしばって登る。そして佐多岬の駐車場までたどり着いた。
「き、来た・・・。」自転車で行けるのはここまででここからは徒歩で岬まで行く。そこから歩いて、九州最南端の佐多岬にきた、来たーーー!!!景色は・・・キレイけど普通。「最果て」に来た、という事が大切なのだ。感慨深い。

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その後、元来たみた道を錦江湾沿いに北上していく。佐多岬周辺では何人かの自転車の旅人とすれ違い、挨拶を交わした。やっぱり旅人の「聖地」なんやなあ。
昨日キャンプした海辺の公園を通りすぎる時、昨日夕日を一緒に眺めたおっちゃんを見つけて挨拶した。そしたらおっちゃんが、
「また会おやー!!」と返してくれた。杖をついてちょっとヨボヨボしたおっちゃんやったから、おっちゃんそんな大きい声出るんや(笑)ってちょっと驚いた。ホンマまた会いたい。

長々とした日記になってスイマセン。これだけ書いて一番印象に残っているのは実は上のおっちゃんのシーユーアゲインだったように思います(笑)

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10月25日 41日目 「たぶん幻でした。」 あえて場所は書かない。

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この日は走り出しから雨だった。レインコートに身を包んで走っていた。ちなみに靴のレインコートなんか持ってないので、コンビニのビニール袋を足の付け根でしばって雨よけにしていたが、すぐに破れて結局靴はグッショリしていた。
だんだん雨の量がハンパなくなってきた。もうここまでくると我慢大会をしているようで、だんだん走ってることに疑問を感じてきた。たまたまあった駅の屋根の下で地図を開いた。15km先くらいにゲストハウスがあるようだ。
ゲストハウスというのは簡単に言うと僕のようなボンビー旅行者が多く利用する安宿のことだ。相部屋が基本で、1泊平均2000円くらいの所が多い。本州には数は多くないがチラホラと点在する。
さっそくそのゲストハウスに電話をかけて、今から向かうことを伝えた。

ゲストハウスに向けて走り出した。強い雨に加えて風もすごいことになってきた。目の前の雨の壁が斜めにうねっているようだった。もういよいよ自転車をこぐのが嫌になってきた。民家?と思われるガレージがあいていたので、とりあえずそこで雨宿りした。道も分からない所があるのでもう一度ゲストハウスに電話しようと携帯電話を取り出すと、なんと液晶が水で半壊していた。かろうじてボタンは動作して、電話をかけるも、通話機能も壊れかけていて、会話の途中で切れてしまった。民家と思っていた家は実は公民館で、いよいよゲストハウスと連絡する手段が無くなった。外は相変わらず雨風が強い。
「どうしようもないな。」正直携帯がつぶれた時少し不安になった、駄目やなーこの現代っ子め(笑)

しばらくしてのことだった。ガレージの前を一台の車が通りすぎたかと思うと、その先でとまり、男性がこちらに歩いてきた。なんとゲストハウスのオーナーさんで、心配して車で探しにきてくれてようなのだ。た、助かった。自転車はその場に置いておき、オーナーさんの車で街に昼ご飯を食べにいった。またガレージの所まで戻ったころには雨風はマシになり、道も教えてもらったのでそこからゲストハウスまで自力で向かうこととなった。

道は沿道にずっと植わってるヤシの木の樹皮が散乱しまくっていた。程なくして、ゲストハウスに無事たどりつくことが出来た。ゲストハウスは普通の民家をそのまま宿にしたような所だった。

宿にはお手伝いの女の子も一人いた。オーナーさんは簡単に宿の説明をすると、「僕はこれから親戚のお見舞いに行かないといけないので、あとのことはそこの女の子に聞いてね。」と言って宿を出ていった。宿には僕とその女の子2人だけの状況になり、不思議な感じがした。普段の暮らしではありえない旅先ならではの不思議な空気感、外の雨を壁で隔てていたことがよりいっそうそう思わせたのかもしれない。女の子と2人きりといって別に何するというわけでもないが、少したわいもない話をしていると、オーナーさんもマイペースだけど、この女の子も相当マイペースな感じだ。
ところで普通ゲストハウスで食事が出ることはないが、その女の子が自分の夕食を作るついでに僕の分も一緒に作ってくれたのをいただいた。具沢山の汁ものが出たのを何となく覚えている。畳に布団を引いてこの日は寝た。

次の日の朝、起きると少し頭が痛かった。雨に打たれすぎたのが原因かもしれない。外はまだ天気も良くないようで、心も萎えていたのでもう1泊することにした。
どうもこの所ずっと心の向きが下がり気味だ。空がずっと鉛色であるのも影響していると思うし、半分は訳も無くただ落ち込んでいるような感じだった。
頭痛がしてずっと布団にもぐりこんでいた。しばらくしてお手伝いの女の子がやってきてこう言った。
「この辺で明日お祭りやるんですけど、今日前夜祭で、私お祭りの実行委員してるんでちょっと行ってきますね。夜にはまた帰ってくるんで。」と言って、宿を出ていった。ちょっと待て、宿にはもうオレしかいてへんやん。宿に一人取り残された僕。まあイイやと思って、また布団にもぐる。

しばらく時間がたった。すると宿の前で突然声がした。出ていくと、どうやら宿泊希望者のようだった。でも宿の人はいない。奇跡的に復活をとげていた自分の携帯で、まだ宿に帰ってきていないオーナーさんに電話をかけた。すると、
「あーじゃあスイマセンが僕が説明したようにお客さん案内しといてもらえませんか?お金はどこどこの缶に入れてもらったら大丈夫です。」
うそー、まさかの店番(笑)そういうわけで新しく来たバイク乗りの男性を案内した。落ち着いた所でその男性と「宿の人のいない宿ってなんか変な感じですよね。」と話した。この状況を共有してくれる人が増えて少し嬉しい。

相変わらず頭は痛くて、夕方にはもう寝てしまった。そして夜が深まったころ、新たに訪問者がやってきた。
ガララ。「すいませーん。」やって来たのは若い家族連れ。寝起きで対応すると、「前夜祭に参加して、〇〇さん(お手伝いの女の子)にここで寝ればイイって言われて来ました。どこで寝たらイイですか?」と。女の子はいまだ帰ってこないし、何なんだもう(笑)布団はここで、この辺で寝て下さいと説明した。時計を見ると深夜1時すぎだった。

そして朝が来た。バイク乗りの男性は先に出発した。外はすっきり晴れているようで、頭痛も収まっていたので僕も出発することにした。オーナーさんと夜に帰ってくると言った女の子はまだ帰ってきていない。隣の部屋に行くと深夜に来た家族がグースカと眠りこけていた。少し目の覚めていた一人に、
「あの女の子と知り合いなんですよね?僕もう出発するんで後はよろしくお願いしますね。」と言って僕は宿を出た。

宿の外に出ると、山の少し上でさんさんと輝く朝日を受けて畑の草の朝露がまぶしく光っていた。これまでのうっそうとした天気はうそのように晴れ渡り、澄みきった山里の爽やかな空気の中佇んでいると、あのゲストハウスで過ごした時間がなんか幻のように思えてきた。
僕はまた走り出した。

ちなみにゲストハウスがこんな適当な所ばかりではありません。このゲストハウスも色んな状況が重なり、こんな対応になってしまったんだろうと思います。一応補足で。

10月23 39日目 「小学生にはげまされる」 延岡―宮崎

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山を越えて宮崎入りした。深い山の中の道だった。種田山頭火の有名な歌に「わけいっても わけいっても 青い山」とあるが、山々が折り重なり、カーブを曲がる度に新しい山が見えるというような道だった。まあ僕が通った道はもちろんアスファルトで固められた国道なわけですけど。おそらく舗装もままならない道を歩いて「また山かよ、やってられんの。」って気持ちを歌に込めたんだろうな、山頭火さんは。

それで今日は宮崎県の延岡からのスタートだ。前日はビジネスホテルに泊まったのだけど、ホテルの朝食が500円でそれはすごいボリュームで。晩飯として出されても全く違和感のない朝から豪華な食事だ、しかも珈琲付きで。
そんなメガボリュームの朝食を食べながらこの日は午前中からどうにも体に力が入らない。一度コンビニで休憩することにした。車の通らなそうな所の地面にねっころがって仮眠した、今考えれば店員さんが見たらビックリしたやろな。

疲れのとりきれないまままた出発。駄目だ、ヘロヘロ。道はゆるいアップダウンを繰り返していた。景色はたまに横に畑が広がっていたりするが、車も多く、空もドンヨリ曇り空。単調なこの日のムードにだんだん心も萎えてきた。

道の駅で昼休憩、ベンチで寝てから出発。まだヘロヘロしている。そんな折、歩道を歩いていた小学生、まだ低学年くらいの子達だったと思う。その3人組とすれ違う時にむこうから、「さようならー!!!」と元気な挨拶をしてくれた。突然の挨拶にハッとして僕も「さようならー!」と返した。田舎の子供たちはしばしば僕のような他所の土地の人にも挨拶をしてくれる、なんか素敵だなと思う。その後も下校中の小学生達に「こんにちはー!」「カッコイイー!」「日本一周ですかー?」と次々声をかけられ、少し恥ずかしく感じながらも僕はその純粋な声に確実に元気をもらっていた。小学生にはげまされる23歳。ハハハ、みんな本当ありがとう。

10月19日 35日目「なんでオレのことを知っている?」宇佐―別府

1大阪ー鹿児島 (63)


2日前、ついに九州に上陸した。ここからは九州の東側を走り、鹿児島を目指す。その先にあるのは沖縄だ。

松山で野宿へのプチ悟りを得た僕はそれから、ちゃんと2日に1回のペースで野宿をするようになっていた。しかし最近は朝方野宿してると冷えることがある。だって10月も半ばすぎてますもんね。高田渡の「生活の柄」という歌を思い出す、秋からは冷気にからかわれちゃうんですね。

大分県の別府にたどり着いた。そこで一人旅人と出会った。彼も自転車で日本一周してるようだ。彼の名、アラキ。自転車には僕と同じく荷物満載で、長髪にシルキーハットが個性的で、話してみると飄々としたような雰囲気を持っている。色々話していると、
「広島のどこどこの公園で寝てたよね?」と言うから、何で知ってるの?と聞くと、僕がその時地元の散歩してるおっちゃんと仲良くなってしゃべっていたのだが、次の日にアラキも同じ公園で寝て、また同じおっちゃんと話して、その時僕のことを聞いたそうなのだ。そんな繋がりがあったとは。同じルートを通ってるので彼とはまたどこかで会いそうである。

別府では、宇和島ユースで仲良くなったしみちーさんと再会して、車に乗っけてもらい別府の街を案内してもらったり、やまなみハイウェイを通って湯布院まで行ってみたり色々お世話になりました。

10月13日 29日目 「宮島のシカに〇〇を食べられる。」広島―岩国のちょっと先

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しまなみ海道を走って本州に戻ったわたくし。広島ユースを出たこの日、宮島口の近くまで来た。宮島は一度来てるのでイイかと思ったけど、世界遺産やし、日本三景やし、まあちょろっとよっときますか。

船で宮島に到着。着いてすぐにシカ、シカ、シカ。鹿を見るとなんとなく奈良公園を思い出す。さて、何をするでもないけど、ちょうど海が干潮だったので大きい鳥居のそばまで行ってみることにした。自転車はその辺にとめておいた。

鳥居の近くまで来た。フと自転車のことが気になり、向こうにとめてある自転車の方を見ると、何やらその周りが騒がしい。イヤな予感がしてダッシュで自転車までかけよった。自転車には人だかりならぬ鹿だかりが。その鹿さまが僕のフロントバッグのすき間に顔を突っ込んで、カバンの上部にあったツーリングマップルを引きずり出し、ムシャムシャと食べ始めたのだ。
「ま、待たれい!!笑」表紙の部分を引きちぎって食べているのを口から引き剥がそうとしたが、離さずそのままムシャムシャと食べるのをただ見守るしか無かった。食べられたのは表紙と広域地図の部分。宮島のシカさまは野生に戻そうとしているらしくエサは与えてないらしい。なのでパンフレットとかよく食べられるそうなのだ。はあ。

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10月8日 24日目 「ある意味それは一種の悟り?」松山

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前回からえらく日にちがあきました。特にものすごく変わった出来事があったわけでもないので。ただここまでで良い出会いが2回会った。一つは高知ユースホステルで、バイクで日本一周していた沖縄出身のソーヘイだ。彼は体つきも顔つきもしっかりしたものがある、ヒョロヒョロの僕と違って。これまで2回程、若い旅人と話す機会があったが、こちらから話しかけても、どこかそっけなくてつまらなかったが、このソーヘイとはちゃんと心を交わして話すことが出来たので嬉しかった。彼は沖縄に帰る途中で、僕が沖縄に着いたら再会することを約束した。
もう一つは宇和島のユースで会った別府のしみちーさん。少し年上でちゃんとした社会人で休暇を使った旅行中だそうだ。しみちーさんとも宿でよく話したが、このころ野宿が苦手なこととか、走る距離が短いこととか、しょうもないことを少し気にしていたのが、少しこの時はどうでもよくなったというか、人には人のペースがあるんやから焦る必要は無いはな、と少し気持ちを軽くした。しみちーさんともまた別府で会う約束をした。

さて、香川から四国に入り、海沿いの道を徳島、高知と進み、愛媛入り。そして昨日松山市に到着した。雨の中、午前中ずっと走りっぱなしで頑張ったのもあるし、松山まで来ると、もう少しでしまなみ海道を通って本州に戻るので、長かった四国の旅も終わりの方に来たということで、「松山市」の看板が見えた時には思わずガッツポーズをしてしまった。

また松山は少し思い出のある地で、昔好きな人に会いにいって見事フラれたことのある曰く付きの場所なのだ(笑)その地に再び立ち、酸っぱすぎる思い出をハハハと一人で笑っていた。
そんな松山のユースで2泊した。松山は道後温泉もあるし、外国の観光客の人も多い。ユースの談話室にも外人さん2人がいた。英語はほとんどしゃべれないけど、高校までで習った単語や文法を並べて、意を決して話しかけてみた。すると案外コミュニケーションが出来て、まあ簡単なやり取りしか出来ないけど、しまいにどっちもビール片手にガハハと意気投合。ちなみにフランス人だ、欧州の人だったらだいたい英語は通じると思う、たぶん。

ユース2日目の夜も談話室は盛り上がっていた。さらに外人さんが増え、イギリス、アメリカ人、だんだんここは日本なのかと思えてくる。この日は談話室に2人の日本人もいて、外人さんも一緒にみんなで酒盛りしていた。その中の日本人のお遍路のオジサン。山梨県出身だそう。色々話していると、もう2週間くらい四国を歩いているそうだが、今日初めて宿に泊まったという、他は全部野宿だそうだ。その話を凄いな~と思って聞きつつ、野宿のコツみたいなものはないのか、って聞いたんかな。するとオジサンは、
「う~ん、まあアレだよ。野宿も慣れたら楽しいよ。」
と言ったのが、ショックでショックで。「慣れたら楽しい?」その境地に入ることが出来たら、イイだろうなあ、とない頭でそう思った。前の野宿から10日間でキャンプ場に1回泊まった他は全て宿に泊まっていた。この言葉を聞いて、心の何かがスコーンと抜けた気がして、「明日からは2日に1回野宿してみよう。」と自然にそう決めた。

四国を出る前にしてこの出会い。色々悩んだ四国の旅やったけど、旅の経験値が少しだけ上がった気がする僕にとっては修行の場所だったのかもしれない。

翌日、松山を出発して今治へ。これからしまなみ海道に入り、本州へと戻る。立ち止まって振り返ると、今治の造船場の複数のクレーンがまるでバンザイしてるように見えた。
「ありがとう四国、また来ます。」そう僕はつぶやいて、また走り出した。

1大阪ー鹿児島 (48)

9月28日 14日目 「もうヤダ。」 室戸―高知市の手前あたり

1大阪ー鹿児島 (21)


四国に上陸して5日目である。昨日室戸岬を少し過ぎた所で終了した。ペースとしては決して早くないけど、ヒザの違和感も大きく再発することもなく(たまにかすかに感じることもあるけど)よく走っているとは思う、昨日は80kmも走ったし。

お遍路さんの多い四国。道を走っていると、当然お遍路さんとすれ違ったり、道の端に東屋があって、お遍路さん用の書き込みノートが置いてあったりする。それをのぞくと「この坂キツイ」とか「みんながんばれ!!」とか書かれてあって、お遍路してるわけじゃないこちらも元気が出てくる気がする。旅してるのは僕だけやないんやと、少し心細さがやわらぐ気がするのだ。

ヒザの違和感はだいぶマシになったけど、首から肩の付け根あたりが最近妙に痛い。乗っている自転車はランドナーというタイプで、カタチはロードレーサーに似ていて、体制はどうしても前傾姿勢となり、慣れないうちは長時間乗っているとやはり少し体に負担が来る。

時々、肩を回したり、ストレッチしたりして、少しずつ進んでいく。それでもちょっと血の巡りが悪くなってるのか、疲れてしまって歩道にヘタリこんで座っていた。すると地元のおばあさんが歩いてきて、僕を少し不思議そうな顔で見て、缶コーヒーをくれた。突然だったので一瞬意外に感じたが、ありがたくいただいた。

しかしアナタ、本当ここまで宿に泊まりまくっているのです。倉敷にいた期間は別として、移動中野宿したのはたった2日だけ。四国に入ってからはまだ一度もない。野宿ははっきりいって苦手だ。テント張って寝るわけやけど、外も見えないし不安。だからといって、このまま宿に泊まり続けていれば資金も尽きる。これが今の悩みっちゃあ悩み。

四国にはいくつか「遍路小屋」というものがあるらしく、お遍路さんが夜を過ごすための簡易的な小屋だ。今日走ってる道に、遍路小屋が先にあることを示す看板があるので、自分もそこで泊まれないか期待していたが、実際行ってみると、カギがかけられていて、おまけに自転車の人は対象外だと書かれていた。

そっかあ、と残念に思ってる矢先、僕と同じように荷物を積んで旅しているような自転車のオジサンに出会った。オジサンは関西方面の人らしく、時々こうやって旅をしているそうである。
「イイ寝床教えたるわ。ついてきーな。」そうオジサンは行って他にアテもないのでついていってみることにした。

こぐこと小一時間、海に近い広い公園のような場所にたどり着いた。どうやらここがオジサンの言う「イイ寝床」なのだそうだ。オジサンはテントを張り出した。オジサンに礼を言って別れた。波音が聞こえて、確かにイイ場所だ。今日は夕暮れもすこぶる美しかった。

夜になった。夕食は近くのレストランで食べた。(このころは食費にもそんなに気をつかってなかった。)
テントの周りをゴキさんが徘徊していて少しこわい。テントに入り、寝袋をかぶる。すぐに寝付けたらイイけど、そうは行かない。時々散歩する人が通ったり、街灯でその人影がテントに照らされるたび少しドキっとする。

少し離れた公園の遊具で若い子達が遅くまで騒いでいた。それにもいちいちビクビクしていた。4年前に初めてキャンプツーリングした時も海辺で、地元の若い子達の複数のグループが花火をやっていてこわかった、そんなことをおもいだしながらなかなか安心して寝ることができない。
もうイヤやった、こんなことなら野宿はしない。無理せず、宿に泊まったらイイんやん。「逃げ」ではない。そんなことを言い聞かせていた。12時をすぎたころ、若者も帰り、やっと寝ることが出来た。こんな感じでこの先大丈夫だろうか?

9月23日 9日目 「ニューステージ」倉敷→高松

9日目


4泊もお世話になった親戚の家を出ることにした。倉敷の美観地区を案内してくれたり、好きなだけゆっくりさせてもらって、だいぶヒザの療養も出来たと思う。

いよいよ出発。みんな総出で見送りにきてくれた。本当底抜けにみんな優しかった、それはもう気持ちいいくらいに。そんなだから家を離れた瞬間、自分でも予想外だったが、涙が押さえられないくらいにあふれてきた。瞼をにじませて、僕はゆっくりと次の地へと向かう。ありがとう。

倉敷から南下。ほどなくして宇野港に着いた。これから船に乗る。行き先はそう、四国。

あっさり四国にわたっても良かったけど、どうせだから直島にも寄ってみることにした。直島はアートの島として有名だ。島の中に現代アートの作品やアートの施設が点在する。僕もそれなりに興味があった。そして行ってみてビックリした。僕くらいの若者がもうそれはたくさんいた。あんまり人がいるのでアウトロー精神がはたらいて、2時間港でボーっとしてすぐに船に乗った。もう少し人が落ち着いたらゆっくり来ようかな。

船旅ってのはいい。なんか旅情がある。夕暮れ時、船は高松に到着した。四国や、新たな旅が始まる。ここを攻略することが、僕にとって旅のステップアップになる気がこの時から少し感じてた気がする。

とかいいつつ、この日はビジネスホテルに宿泊。そこは野宿とちゃうんかい、さっそく逃げの一手入りました。さてどんな旅になりますか。

9日目その2

9月19日 5日目 「なんとかかんとかきびだんご」 日生→倉敷

5日目


足に気をつかいながら、シップを貼りながら、昨日なんとか岡山県に入ることができた。
昨日、おとついは10km、20kmしか進めなかったのが、今日はトータルでなんと50kmも走ることが出来たのだ。かといってヒザがまだ本調子に戻ったわけではない。

岡山で後楽園やお城を見学したら今日は親戚のいる倉敷を目指す。この親戚の家に泊めていただける話になっているのやけど、実は一度も会ったことはないのだ、なんちゅー図々しさ。

夕日が沈み、夕闇のグラデーションがゆっくり降りてくるころ、僕は倉敷の親戚宅へたどり着いた。初めて会う僕を驚くぐらい暖かく迎えてくれた。有り難いなあほんと。これからしばらくここでヒザの療養をさせてもらうのです。

5日前に大阪の家を出て、そして今岡山のこの家、一つのまずチェックポイントにたどり着いたようでホッとした。ここを出ると次はあの地へ向かう。

5日目(2)

日本一周のもくじ

見たい所をクリックして下さい。【写真】のついているタイトルはエピソードより写真メインのページです。

第一部 大阪ー鹿児島
2009年9月15日 1日目「始まりの日」 大阪(堺)→神戸
9月17日 3日目 「早くもトラブル」 姫路→室津
9月19日 5日目 「なんとかかんとかきびだんご」 日生→倉敷
9月23日 9日目 「ニューステージ」倉敷→高松
9月28日 14日目 「もうヤダ。」 室戸―高知市の手前あたり
10月8日 24日目 「ある意味それは一種の悟り?」松山
10月13日 29日目 「宮島のシカに〇〇を食べられる。」広島―岩国のちょっと先
10月19日 35日目「なんでオレのことを知っている?」宇佐―別府
10月23日 39日目 「小学生にはげまされる」 延岡―宮崎
10月25日 41日目 「たぶん幻でした。」 あえて場所は書かない。
10月29日 45日目 「旅人の聖地へ」錦江町―佐多岬―錦江町
10月30日 46日目 「第一ステージ、フィナーレ」 錦江町―鹿児島市

第二部 沖縄

11月1日 48日目 「南の島の屋上で」沖縄・那覇
11月6日 53日目 「鯉のエサ?に舌鼓み」沖縄・コザ
11月8日 55日目 「とある島にて謎の取引成立?」沖縄の橋でつながるとある島
11月10日 57日目「そして僕は運命の人(っていってもオジサン)と出会った。」恩納村―本部町
11月21日 68日目「ニャンとも言えぬオキナワンライフ」本部町
【写真】「本部での日々」本部町
エブリデイ菜っ葉生活」本部町
12月15日 92日目 「花に囲まれた3日間」本部町
12月27日 104日目 「何かと理由をつけて大阪への旅」本部町ー大阪
2010年1月、2月「1月、2月のオキナワンライフ」本部町
2月28日 167日目 「思い出は幻と消えるのか?」本部町
3月6日 173日目 「布団がふっとんでる話」沖縄本島のとある町
3月17日 184日目 「4カ月半のありがとう沖縄」那覇

第三部 鹿児島ー青森
3月23日 190日目 「それはちんけな初ライブ」鹿児島・与論島
4月7日 205日目 「恐怖のムカデ・ペローン」薩摩川内市
【写真】4月「桜の旅」鹿児島県
4月12日 210日目「鹿児島のおじいさん」鹿児島市
4月22日 220日目「ヤンとヨアンとの出会い」鹿児島・阿久根
5月8日 236日目「愛すべきカタジケナイ」熊本県・阿蘇
【写真】 5月中旬「その後の九州の旅」長崎ー佐賀ー福岡
6月1日260日目 「遠くに来ていた。」島根県・出雲の手前あたり―松江
6月4日264日目「砂丘の夜はブォンブォンブォン」鳥取
6月13日272日目「地元の人達とアサリとりへ。」金沢
6月18日277日目 「いや、ホントすいませんでした。」富山県
6月21日280日目「越後の夜空にクレイジーラブ」新潟県
6月27日286日目「すっとこどっこいな僕にも人は優しく」山形県鶴岡―新庄市
7月4日293日目「そうさ、俺は渡り鳥。」青森・津軽半島
【写真】山口県ー青森県 ハイライト

第四部 北海道
7月6日295日目「はるばる来たぜ」北海道・函館
7月17日306日目「130kmのラブコール」北海道・黒松内
7月21日310日目「なんちゃってEnglishは通用しない?」北海道・函館
8月1日321日目「お祭りラッシュ」北海道・函館―青森
8月22日342日目「夕暮れ空に、鱗雲」函館―森町
8月26日346日目「目覚めたらカレーライス」北海道のとある街
8月26日346日目「拾われました。」札幌
9月2日353日目「その場所、北の果て。」抜海ー猿払
9月8日359日目「この旅一番の星空を」屈斜路湖
9月9日360日目「おそらくこの旅最大のピンチ」道東地方のとある場所
9月14日365日目「僕はやっぱり大楽毛」釧路―豊頃
9月15日366日目「2年目のアホンダラ」豊頃―帯広
9月16日367日目「本日も、イモ掘り日和。」帯広
【写真】2010年10月初旬「風は大地を秋に染める。」富良野ー美瑛
10月10日391日目「トラック野郎と同行10kmの旅」深川―岩見沢
10月11日392日目「北の大地、秋を極める。」札幌―中山峠―喜茂別
10月12日393日目「振り返ればダブルレインボウ」喜茂別―洞爺湖
10月15日396日目「ただいま。と言える街」八雲―函館
10月28日409日目「さらば函館、北海道」函館―青森

第五部 青森ー大阪
10月29日410日目「ファーストキャンプ、翌朝の決意」青森
11月6日「秋の盛岡、そばとアートと珈琲を。」岩手県・盛岡
11月8日420日目「鉄のつながり」岩手県・水沢
11月下旬「Let’s居候。友達の家はしご旅」東京、埼玉
11月終わりから12月初め「はしご旅は続く」神奈川、ちょろっと東京
12月5日447日目「3年ぶりのリベンジを。」静岡・伊豆半島東側
12月10日「旅の空、極まる。」静岡・伊豆半島西側
12月15日457日目「業務連絡:旅人が一人夜を明かしています。」静岡のとある場所
12月21日463日目「ファイナルラウンドのゴングを鳴らせ」愛知県・名古屋―三重県・桑名
12月28日470日目「静寂の旅路」紀伊半島東側
12月31日473日目「この年最後の夕暮れを」三重県・熊野市
2011年1月4日477日目「目指す」三重・熊野市―和歌山・串本
1月7日480日目「みかんの旅」紀伊半島西側
1月8日481日目「幻のチャルメラ」和歌山県・湯浅町
1月10日483日目「この夜に思うこと」和歌山・海南町―加太町
【最終回】1月11日484日目「エンディングテーマ」和歌山・加太―大阪・堺

9月17日 3日目 「早くもトラブル」 姫路→室津

この日は姫路を出発した。まだ残暑厳しく、おまけに荷物満載の自転車をこぐので、水分をガッポガッポと飲んでいた。
午前中走りはとても快調だったが、突然左ヒザに違和感を覚えた。その違和感はペダルをこぐため、足を曲げる度に感じた。一抹の不安がよぎった、気のせいであればいいのだけど。

しかしその違和感は消えることなくしばらく続いた。様子を見るべく公園で休憩することにした。お昼時の公園は木々の木漏れ日が心地よく、地元のご年配達で静かに賑わっていた。
「さあ、どないしよかな。」僕はベンチに座り天を見上げた。すると近くにいたオジサンが話しかけてくれて、自分の現在の状況を話すと、「まあ~大丈夫やって~まあゆっくり休めばエエやん」と、大丈夫の言葉に何の根拠も感じないけど、オジサンの楽天さに心が緩み、僕はしばらくベンチで居眠りした。

またゆっくりとこぎだすことにした。ギアを軽くすれば走れないことはない。しかし長い旅だ。ちゃんと病院で見てもらった方がイイかもしれない。3日目でって所が少し恥ずかしいけど。
その後病院へ行き、レントゲンを撮って診てもらった。お医者さんの言葉は、
「炎症をおこしてますね。無理したら日本一周どころじゃないですよ。」
一瞬、もう家に帰らなければならないのかと想像するとひどく情けないように思えた。無理しないこと、立ちこぎは避けることを言われ、シップと塗り薬が処方された。

道は都会を離れ、田畑の多い田舎道になっていた。軽いギアでノロノロ進み、坂道があれば自転車を降りて押して進んだ。夕日の強い閃光が道を照らす頃、小さな港町にたどりついた。足のことが不安で、頑張って野宿する気になれず、この日も宿に泊まることにした。これからどうなるだろう?

3日目

2009年9月15日 1日目 「始まりの日」 大阪(堺)→神戸

朝、目覚めた。旅立ちの朝だ。今日から長い長い旅が始まる。この心地よいベッドではしばらく寝れない。これまで何度かキャンプツーリングをしているので、旅の生活の不便さも十分知っていた。
体がベッドに張り付いているようだ。僕はまた目を閉じた。

しばらくして目が覚めた。不思議にも心はさっきよりもずいぶん前向きに、
「起きよう、旅に出よう。」
僕はベッドから身を起こした。

午前9時すぎ、出発の時。何かを察したのか、飼ってる猫さんが玄関先までやって来て「ニャア」と鳴いた。猫さんの顔をそっと撫でて、僕は自宅を出発した。こぎはじめ、積んでいる荷物の重さにフラついた。
「長い旅が始まるぞ。」期待と不安を胸にゆっくりと地元の見慣れた道をこぎだした。

出発して1時間もたつころ雨が降り出した。今日雨ということは天気予報ですでに知っていた。なにもこんな日を出発の日にしなくてもと思ったが、ここまでも出発の日を延長したりしていたし、雨の日が無いなんてこともありえないから予定通り行くことにしたのだ。山岳用のレインコートに身を包む。初めてかぶるヘルメットもサングラスも、案外しっくりきていた。

都会の道を進んでいく。1日目から色んな出会いがあった。1年前に自転車で日本一周した青年。仕事辞めたら釣竿持って日本一周してみたいオジサン、同じく仕事辞めたら夫婦で車で日本一周したいご夫婦。信号待ちしている時、横にいた車に乗ってる黒人さん2人組が声をかけてきて、日本一周すると言うと、「デキルノ!?」と目ん玉ひんむいて驚いていたので面白かった。

この日は神戸までで終わることにした。都会やし、と思って、今日は野宿はやめて宿に泊まることにした。窓から見える神戸の夜景が美しい。

突然宿の風呂場から悲鳴が上がった。声の主は相部屋の香港人の人だが、どうやらボイラーが故障しているらしく、水のシャワーしか出ないようだった。という訳で僕も風呂に入れない。

これからどんな出会いがあるだろう。1日目の夜がゆっくりと過ぎていった。

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プロフィール

アマガエル♪

Author:アマガエル♪
自転車に乗って、旅して、撮る。

自称「自転車カメラニスト」のアマガエルです。

旅と日常を写真と、時々文章とともに綴ります。

◎カメラ
・OLYMPUS OM-1
・OLYMPUS E-5
・OLYMPUS E-620
・FUJIFILM NATURA NS
・VOIGTLANDER BESSA R2A
・SEAGULL 4A-107

◎自転車
・ARAYA RANDONNEUR RAN
・DAHON BOARDWALK

ご意見や、撮らせていただいた写真のデータちょうだいとかございましたらメールください。
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