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8月26日346日目「拾われました。」札幌

北海道 (39)

同じ日でもうひとネタ。札幌に到着した僕はある人物と再会する約束をしていた。約束の場所へ行くと彼はいた。たった2日ぶりの再会であったが、妙に久々に会ったような新鮮な感じもした。彼も旅するチャリダーで2日前に長万部の手前で小休止していた僕の横にとまり、話しているうちに仲良くなってその日は一緒に走ってキャンプをした。翌朝、用事で先を急いでいた彼を見送ったがまた札幌で再会することを約束していた。

彼は東京出身で、実家は江戸切子というガラスの伝統工芸を営んでいるらしく、彼も職人見習い中らしかった。自転車旅は好きらしいが、これから職人修行も忙しくなるのでその前に思いっきり旅をしようと、東京からここまで自転車で来たそうだ。札幌がゴールで、千歳から飛行機で帰るらしい。

北海道 (38)

僕たちは再会したその足で有名なラーメン屋さんで夕食を済ませ、テレビ塔を下から見学して、札幌のランドマーク、時計台の前に行った。ところで旅人の噂話の中でよく出てくる「がっかり名所」というものがありまして。テレビや雑誌で紹介されているスケールの大きさと違って、実際はものすごく小さかったりしてガッカリする観光名所を比喩する言葉だ。札幌の時計台もがっかり名所の一つに数えられていた。みんなものすごく大きな時計台をイメージしているらしい。勝手にイメージを膨らませておいてガッカリな噂を流すなんて考えたら失礼な話しだが、果たしてどんなもんかと時計台を見てみた。すると、別に小さいとも思わず、こんなもんじゃないかという大きさだった。建物もイイ感じに古くて個人的には良かったと思いますが。ま、時々ホントに「え?」って思う所もありますけどね。それはそれでまた面白い。

時計台の前で江戸切子の彼と色々語り、別れ際に東京でまた再会する約束を交わした。彼は予約してあるゲストハウスに行き、僕は市内にあるライダーハウスへ泊まれるか電話をしてみた。するとそのライダーハウスには満室で泊まれないと言われた。僕は同じ市内の他のライダーハウスに電話したが、もう営業していないのかつながらなかった。宿代をかけたくなかった僕は、しかたなしに野宿を選択することにした。広めの公園を見つけ、そこのベンチに寝ることにした。

すると携帯に電話がかかってきた。それは札幌に住むもう10数年会っていない、いとこからだった。僕が札幌に来たことを知っていて、電話をかけてきてくれた。公園で寝ていることを知ると、すぐに車で来てくれてそのまま自転車を積んで自宅で泊めていただけることになったのだ。

そのいとこ(♂)は5歳ほど年上で、最近結婚したばかりの奥さんも一緒に車に乗っていた。二人は共働きで、結婚したばかりというのもあるかもしれないが、なんか初々しくて、手探りだけど幸せそうな感じがした。年下の僕がこんなこと言うと生意気ですが。久々に会ういとこも、その奥さんもとても優しく僕を迎えてくれて、こっちまで幸せのお裾わけをしてもらった気分だった。正直、ライダーハウスの宿泊を断られて野宿することになった時は、しょうがないと思いつつなんかむなしい気もしていたが、電話がかかってきて泊めてもらえることになった時には、「救われた。」と心から思った。それは拾われた捨て猫の気分だったかもしれない。(大きな猫だな、オイ笑)
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8月26日346日目「目覚めたらカレーライス」北海道のとある街

北海道 (31)


1カ月以上滞在した函館を出発した僕は本格的な北海道旅をするべく、遅すぎるスタートを切ったばかりだった。函館から北上して幾日がたち、この日はとある港町に泊まることとなった。その街には安いライダーハウスもキャンプ場も無いようだった。港の近くに公園があってテントを張るのに良さそうに思えたが、いかんせん公園の看板に「キャンプ禁止」と書かれてあったのだ。

野宿旅において心がけていることは、快適に寝れる場所より、まず地元の人に迷惑がかからないようにすることである。いつもうまくキャンプ場にあたることが出来ればイイが、そんなタイミング良くあるわけでもなし、オートキャンプ場は本州でもちょくちょく見かけるが、ちっちゃなテントを張るだけでアホみたいな値段とられるので、ソロキャンプでは利用しない。そんな時はどこか寝ても迷惑のかからなさそうな場所を探す。もちろん私有地では寝ない、公共の場所を探す。テントを張る時も暗くなってからで、朝は早いうちに撤収する。朝は通りがかる地元の人にも挨拶したりする、それでけっこうむこうの警戒心もとけることもあるし、田舎の方ではむこうから話しかけてきて「寒かっただろ?」と温かい声をかけてくれることも。世間で何も貢献出来ていない僕のような旅人が守らなくてはならないのは、人に迷惑をかけずに旅をすることだ。「たつ鳥、水を濁さず」という言葉があるが、マナー良く旅をすれば、地元の人達も気持ちいいし、後の旅人が気持ちよく旅が出来ることにもつながると思うのだ。

話は戻って、「キャンプ禁止」と書かれてあった場所では当然あきらめて次の場所を探すことにした。しかしなかなか見つからなかった。さんざん探したあげく、住宅街の中の少し広めの公園に落ち着いた。あまり民家から見えるような場所でも寝ないようにはしてるのですが、どうしてもここしかなかった。さすがにクマの出てくるほど田舎町ではなさそうだったので、ベンチに寝袋でひっそりと寝ることにした。

ぐっすりと寝ていた。すると突然ベンチの前で「カタカタ」と音が鳴って目が覚めた。2メートル前には、夜明け前の薄明かりの中、カートを持ったお年寄りのシルエットが見えた。何やろう?と思った瞬間に、

「兄ちゃん、カレー持って来たから食べ!!」

と言った。僕は寝起きで全く状況が理解出来ていなかった。近づいてきたおばあさんは僕に、深めのヨーグルトの容器を差し出してきた。それを受け取った僕はフタをあげた。するとそこにはカレーライスがみっちりと詰まっていた。ここにきて僕は寝ぼけた頭で、

「とりあえずカレー食えるのか?」

と早合点して、カレーをいただくことにした。まだ寝起きから10秒ほどしかたっていなかった。

カレーをいただきながら、おばあさんは色々と話してくれた。息子さんが夜勤の仕事で朝に帰ってくるらしく、いつも朝早くに起きてご飯を作って待っているらしい。日課である散歩をしている時に寝ている僕を見つけたのだろう。そして今食べているカレーは息子さんに作ったカレーを分けていただいてることもぼんやりと分かってきた。最初は訳が分からなかったが、食べているうちにおばあさんの直球勝負の優しさを感じて、カレーを食べながらポロポロと涙がこぼれてきた。僕は寝起きでカレーを食べて、泣いて、何をやってるのだろう?可笑しいけど嬉しかった。

食べ終えてお礼を言って容器を返すと、「じゃあ。」とあとくされもなく、おばあさんは自分の家の方角へと帰っていった。まだ朝日ものぼってなく、時計は朝の4時だった。

それからしばらくして日も登り、すっかり明るくなったから出発することにした。もう一度おばあさんにお礼を言いたくて周辺を探してみたけど会うことは出来なかった。僕は心の中で一礼して出発した。しかしヨーグルトの容器にカレーライスを入れてくるとは、面白すぎるわ(笑)
さあ今日も自転車こぐで。

北海道 (41)

8月22日342日目「夕暮れ空に、鱗雲」函館―森町

北海道 (28)

ねぶた祭りが終わり、青森から函館に戻ってきたのが8月8日。ひとまず僕はゲストハウスに戻り、数日お手伝い。ゲストハウスのKさんとオーナーさんにお世話になったお礼を言って、16日にライムライトへ「宿泊者」として移動した。少しゆっくりしたら(ゆっくりしてばかりですが)そろそろ出発しようかなと思っていたが、なぜかそうもいかなかったわけでして。

函館はすっかり自分の街になったような気がしていた。ほとんど台所で自炊するので地元の主婦並にスーパー情報にも詳しい。函館の人達とも仲良くなり、家に招かれご飯やお茶をいただいたり。「もう住民票こっちに移したら?」とかよく冗談で言われていました(笑)赤レンガ倉庫あたりを歩いていると観光客の人達がたくさんいて、この人達は1日2日でこの街を出るけど、僕は時間をかけてこの街をたくさん知ることができた。お金はないけど最高に贅沢だなと思う。

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ライムライトの夏のイベント「カラオケビール電車」に参加。函館市内には路面電車が走っていますが、ビールサーバーとカラオケが内蔵されてある特別車両があり、その車両を貸切ことができて、電車で飲んで歌えるというライムライト毎年恒例のナイスな企画を見過ごすわけにもいかず。歌っている間も運転手さんがちゃんと運転していて、電車は街を走っているので、プチ電車好きとしてはちょっと興奮します。この日は25人くらいが列車に乗ってみんなバリバリハイテンション。ちなみに僕は「マイウェイ」と「タイガー&ドラゴン」を熱唱しました。すべては~こころの~きめたま~まに~♪

翌日の21日は湯の川温泉の花火大会へ。これで函館にてこの夏行われた3回の花火を全て見たことになる。

そして翌日22日、やっとやっとやっと、函館を出発する時が来た。これから「真の北海道旅」が始まるのです。ライムライトのみんなに見送られて出発。また戻ってくるぜい!!国道5号線を北上した。森町に着く手前で自転車を停めて夕暮れの空を見上げると天高くうろこ雲が広がっていた。
「早くも秋の気配・・・?」
寒くなるまでに、雪が降る前に函館に帰って来れるやろか?もう道中でダラダラとはでけへんな。僕はまだスタートラインを踏み切ったばかりだった。

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8月1日321日目「お祭りラッシュ」北海道・函館―青森

北海道 (13)


8月になってしまった。7月初めに北海道に着いて未だに現在地がスタート地点って我ながらどういうことよ?と言いたくなる(笑)ゲストハウスでの仕事も一段落して、いよいよ祭りの時期がやってきた。その幕開けに今日は函館の港で花火大会(この夏2回目)。

そして翌日8月2日、イカ踊りの日がやって来た。ツーリングシーズンで、ただでさえライムライトは人が多いが、このお祭りラッシュに合わせてさらに旅人は集まり賑わいを見せていた。イカ踊りは誰でも参加出来て衣装も特にないけど、ライムライト宿泊者は仮装して踊るのが毎年の恒例だそうだ。ちなみに僕はバニーガールの衣装を着さされた。みんなもかなりイイ具合に変態になっていた。

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↑我ながら怖いわ(笑)

そしてイカ踊りは始まった!!BGMを大音量で鳴り響かせるパレードカーに続いて踊りまくる。
「はこだてめいぶつ イカおっどり~ ソーレ
イカ刺し しおから イカソーメン ソーレ
もひとつおまけに イカポッポー ソーレ
イカ イカ イカ イカ イカ踊り~(×4)」
これが延々とループする。旅人も、函館市民も肩を組んで狂気乱舞。冷静になったらかなり酔狂な踊りだけど、そんな理屈は抜きでメチャメチャ楽しい!!サラリーマンで夏休みを使ってツーリングに来ていたライダーのおっちゃんが、「なんかこれまでの人生で一番楽しいかもしれない」と言っていたほど。

翌日8月3日は船に乗り青森へ。青森、こんな早く戻ってくるとは(笑)目的はもちろんねぶた祭り。港の近くに毎年祭りの期間中だけ開設する無料のキャンプ場がある。キャンプ場には僕のように長旅で来ている旅人もいれば、毎年ねぶたに参加にくるベテランもたくさんいてる。キャンプ場では仲の良い者同士でチームを作っている人達もいて、夜の宴会をそのメンバーで楽しんでいる。僕はライムライト系のチームに参加させてもらっていた。

ここで旅人的、ねぶた祭りの正しい(?)1日の過ごし方。
1.ダラダラと10時ごろ起床。
2.祭りの始まる夕方までダラダラする。(元気な人はバイクでツーリングに行くそう。)
3.夕方、会場に移動して跳ねまくる。
4.銭湯で汗を流す。
5.宴会
6.1に戻る。
これが数日続きます(笑)

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ねぶた祭りは衣装を着れば誰でも「跳人」として参加が出来る。衣装は市内で購入可能で、毎年参加する人や、しょっちゅうは行かないけど記念に買っていく人も多い。一式買うと確か7000円くらいやったかな?僕はライムライトで1000円でレンタルさせてもらった。ねぶた祭りにはおよそ20くらいの団体が参加しており、各団体にねぶた、お囃子、跳人の3部門で構成しており、キャンプ場から参加する人達はいつも青森の板金組合主催の団体に跳人として混ぜてもらっているようだ。夕方になるとミーティングをした後、会場の駐輪場へ移動する。この時、旅人組恒例の儀式があって、先に自転車組が出発して、青森のベイブリッジの歩道で一列になり、後から来るバイク組を自転車を担いで見送るという謎の儀式を毎日やっている。

北海道 (20)


祭りが始まると「跳人」は文字通り跳ねまくる。踊りは単純で、2ビートに合わせて跳ねるだけ。「ラッセーラー ラッセーラー ラッセーラッセーラッセーラ」と叫びながら跳ねるので体力的にはかなりハード。市内の周回ルートを2時間かけてゆっくり1周する。跳ねるのをやめて歩きながら休憩してもイイのですが、僕は根性で2時間毎日跳ねまくっていました。仲間内から「お前はスゴイ」と言われるほどに。翌日はいつも体験したこともないような筋肉痛とのど痛におそわれるが、夕方になると不思議とフルパワーで跳ねてしまうのだ。お囃子の音を聞くとアドレナリンが出てきて勝手に体が動いてしまうようだ。

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たくさんの出会いと再会を経て、8月7日に祭りは終わり、翌日8日にキャンプ場にいた面々もそれぞれ旅立つ時が来た。心を一つにした仲間はそれぞれの場所へと旅立っていく、祝福して見送る中で少し別れのさみしさも感じていた。

僕は船に乗り、再び函館に戻ってきた。やっと俺も旅が出来る・・・でな?

7月21日310日目「なんちゃってEnglishは通用しない?」北海道・函館

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函館に戻ってきた僕に、ライダーハウス「ライムライト」のオーナー・シナチクさんは僕の耳元に次なる囁きをした。「ここまで来たらイカ踊りやねぶた祭りにもいかないと。」イカ踊り・・・話を聞くと函館で毎年夏に行われる祭りの一貫で、イカの水揚量が多い函館ならではともいえる「イカ踊り」というイベントがあるそうなのである。誰でも参加でき、しかもライムライトの宿泊者は全員仮装して参加するらしい、なんかアホっぽくて楽しそう。そしてその後青森でねぶたか・・・俺の出発はいったいいつになるだろう(笑)

この話にのってみることにしたが、いかんせん祭りまであと10日もある。さすがにやることないし、この間バイトでも出来ればなと思い、求人誌を探すも都合良く短期アルバイトも見つからないし、どうしたもんかと考えていた時だ。ライムに時々遊びにくる、近所のゲストハウスのヘルパーさんが「ちょっと忙しいから良かったらうちで手伝う?」と声をかけてくれたのでついていくことにした。僕は急遽ゲストハウスに住み込みで働くことになったのだ。

そのゲストハウスは函館山のふもとで、坂を少し登った高台にあるので窓から街と海が見晴らせるとてもロケーションのイイ所だ。(その年の8月に営業を終了したので、現在はありません。)仕事は朝になったら宿泊客を見送って、部屋の掃除をして、布団を干したり、次の予約の部屋をセッティング。午後からはお客さんの迎え入れと宿の案内をする。

北海道 (9)


ちなみにこの宿の利用者は9割が外国人なのだ。外国人向けホテルの予約サイトに登録しているのもあるし、素泊まりも3000円と安いので、外国人バックパッカーや、時々家族連れなんかも来たりする。そう、だからお客さんへのご案内はほとんど英語でしないといけなかった。この旅で何人も外人さんと話す機会があったけど、今回は仕事ですから、いつものなんちゃって英語では不十分だということを働き始めた時に痛感した。かといって急に英語力がつくわけでもなし、一緒に働いているKさん(ちなみにKさんは自身のバックパッカー時代に自然に英語を身に付けたそう)の助けを借りながら、なんとか基本的な案内は出来るようになった。ここにシャワーがあって、共用キッチンはあそこでとか。街のガイドを見せながら、観光スポットはもちろん、ご飯食べる所はこの辺りが多いよとか、路面電車(トラム)の最終時刻は何時で・・・と全て英語で説明する。時々難しい質問もされるが、それもちゃんと答えなければならない。ちなみに色んな国の人が来るが、欧米系ならほとんど英語は通じるし、アジア系のお客さんも多いが意思疎通ができなくて困ったということも特に無かった気がする。分からない時、無責任な説明をするわけにもいかないので、そういう時はKさんに任せる。

ちなみに住み込み食事付きで、お給料はないけど、タダでヒマがつぶせるだけでとても有り難いのだ。むしろKさんに「君が来てから米の消費量が早いよ。」と冗談を言われて少し申し訳ないと思った。チャリダーは炭水化物命ですから。(自転車こいでないけど笑)

あと働いていて良かったことは外国のお客さんと色々と交流出来たことだ。こういうスタイルの宿は、宿側とお客さんとのの距離が近いし、お客さん同士で交流が生まれたりする。もちろん宿側が干渉しすぎることはしないけど、お客さんの誕生日にケーキを作って(オーブンがなかったので、炊飯器でスポンジケーキを作った。)祝ってあげたり、共有キッチンがあるのでお互いの国の料理で一緒に食事したりした。

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そうこうしている間に祭りの時期が近づいてきた。

7月17日306日目「130kmのラブコール」北海道・黒松内

北海道 (6)

~前回までのあらずじ~
北海道・函館に着いた僕は、函館の街とライダーハウス「ライムライト」にすっかりハマり1週間。ようやく函館を出発して旅することにしたが、7月18日に函館で花火大会、19日に僕の誕生日があるので、その辺走って戻ってくれば?とライムのオーナー・シナチクさんにそそのかれ、「戻れたら戻ります。」とあいまいな答えをして僕は旅に出た。果たして函館には戻ってくるのか?

函館を出て、僕は海沿いの道を松前の方角へ進んだ。松前には北海道唯一のお城がある。出発2日目、朝から雨。白神岬という北海道最南端の地に寄ってみた。道の脇に駐車場があって石碑がたっているだけの、どマイナーな景勝地。旅人は「はしっこ」が大好きなので大して景色が良くなくてもそこに着いたという事実だけでけっこう喜べるものであるが、この時は雨も降っていてさすがにそれほどテンションも上がらなかった。雨風に向かって、たくさんのカモメが飛んでいた。「こんな天気なのにこいつらはひたむきやな。」プラプラしてるだけの自分と思わず比べてしまった。その後、松前でお城をサラっと見学。

北海道 (3)


天気も良くなってきて出発から3日目。まっすぐストレートないかにも北海道をイメージさせる道にはまだ出会えていないが、雪の時に道を示す矢印が道に連なっている風景や、土地の広い北海道において20~30kmの間ほとんど集落が無いというのをこの時体験した。江差に来て海が今までに見たことのない青さであることに気付いた、これが北海道の海の色なんや。江差から国道227号線で東へ。中山峠をヒーコラ越えると七飯町の近くまで来た。函館から20kmという近さだったが、この時まだ7月15日。花火は18日だからまだ3日もある。さすがに帰ってもヒマしそうやし、もう少し走ってみるか。

出発から4日目、七飯を出て「いかめし」を食べに森町へ北上。駅で買ったいかめしを食べて、僕はこの先どうするか考えた。森町まで来た時点でもうこのまま北上を続けたい気がしてきた。函館の花火も気になるけど今は旅がしたい。僕は人の期待に応えようと頑張ってしまうことが多いのですが、そういうのいっぺんやめるか。必ず帰るとも言ってないし、ライムの人達も僕にそう期待してるかも分からないし、このまま旅を続けよう。僕は森町を出ると、国道5号線を走ってその日は長万部で1泊した。

北海道 (5)


出発から5日目、まずは札幌方面を目指すべく、僕はそのまま国道5号線を走ることにした。長万部から先の5号線は内陸に入り、交通量も少なくなった。道の横は木々が連なり、初夏のグリーンが気持ちいい。ポツポツと農場やサイロが見えたり、広大なそば畑は白い花を咲かせており、北海道に来たんやってことを喜々として実感していた。途中、JR函館本線の「蕨岱(わらびたい)駅」という駅で少し休憩した。この駅はJRの駅の中でも、あいうえお順で一番最後の駅になるらしい、おそらくテッチャン御用達の駅だろう。この時、ちょうどライムのハコさんからメールが来て、「いつ帰ってくるの?」と書いてあった。僕は、「もうこのまま旅に出ようと思います、すいません。」と送った。それから僕は黒松内まで進み、道の駅で昼休憩をとることにした。ちょうどハコさんからメールが返ってきた。そこには思ってもみなかった内容が書かれていた。
「ええー帰ってこないのー?シナチクさんも〇〇さんも△△さんも君の帰りを待っているよ。君の足なら黒松内からすぐに帰ってこれるじゃないか!!」
えええ~!?そこは北上することに同意してくれよ(笑)少し考えたけど、もうだいたい答えは決まっていた。こんなに熱望(?)されて帰らないわけに行かない、か。ただし、函館までこっから130kmもあるんやけどなあ・・・。僕はさっき来た道を半分苦笑いで走り出した。この日は八雲まで戻る。

出発から6日目、八雲を出た僕はとうとう午後4時に函館に帰ってきた、帰ってきちまった(笑)ライムでハコさんとハイタッチしてその日の晩に花火大会を楽しんだ。そしてその翌日、19日。僕の誕生日はすっかり忘れられていた。(後から祝ってもらいましたが笑)

さて、帰ってきたけどこれからどうするかまだ決めていない。するとシナチクさんはこう言った。
「ここまで来たら8月1日の花火を見て、イカ踊りに参加して、ねぶた祭りにも行かないと。」
へ?次回へ続く。

7月6日295日目「はるばる来たぜ」北海道・函館

北海道

船は港に着いた。僕はついにこの地に来た。そう、北海道!!時刻は夜中の10時であったがあふれる高揚感を抑えつつ、ニヤニヤしながら夜の函館の街を自転車でブラブラしていた。僕は北海道に関しての知識はほぼゼロで、着いてまもないので地図もまだ買ってないし、どの地名がどの辺にあって、見所とかも全然知らない。函館に関してもなんとなく観光地であることは知っていたけど何が有名かは知らない。ここまで野宿だらけの日々だったから、函館の宿で2日ほどゆっくりしてから北海道を旅してみようと思う。しかしこの時は函館が僕にとって、とても縁深い街になるとは思いもしなかった。

北海道にはライダーハウスと呼ばれる簡易的宿泊所が数多くある。民間で経営している所もあれば、市町村が管理している所もある。1泊0円~1000円くらいの所が多い。無料の所もあると聞いて、まだこの時は想像もつかなかったですけど(笑)普通の宿のようなサービスはなく、自分の寝袋で勝手に寝て下さい、という感じ。旅人にとってはそれで十分、屋根と壁があるだけでどれだけ有り難いか。何よりライダーハウスに集まる旅人との出会いが楽しいのだ。

僕は翌日、函館にあるライダーハウス「ライムライト」に向かった。談話室に入った瞬間、ここは絶対居心地がイイと確信した。もうたぶんこの時に僕は足から根が出始めていた。「勝手にセカンドハウス」と決め込んだ阿蘇ライダーハウスと同じ匂いがする。それから僕はこの宿にすっかりハマった。街をブラブラしてみたり、オーナーのシナチクさんやお手伝いのハコさん達と車で恵山の露天風呂に行ってみたり、喫茶店でたまった日記を書いたり、何もせず大量にあるマンガの蔵書をあさっていたり、ダメ人間まっしぐらな生活を送っていた。函館の街もすっかり気にいってしまった。坂と港、レトロな洋館、路面電車。喫茶店もたくさんあって、珈琲好きの僕にはたまらない。

そうして函館での滞在はすでに1週間を迎えていた。そろそろ旅に出ます、そうオーナーのシナチクさんに告げると、「え~もう行くんですか?18日に函館の港で花火大会があるんですよ。」と言った。そして次の日は僕の誕生日だ、それも祝ってあげるよと言われた。花火大会はちょっと魅力やな。少し考えて、函館周りをツーリングして、18日にまた函館に帰るかもしれないし、もしかしたら函館には戻らずそのまま北海道の旅を続けるかもしれないとシナチクさんに告げて、僕は7月13日ようやく函館の街を出発した。果たして僕は函館に戻ってくるのか、そのまま旅に出るのか、次回に続く。

小さな黄色

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窓辺に小さく、黄色の花を。

冬の窓辺がちょっと優しく。

【写真】山口県ー青森県 ハイライト

今回は写真だけちょっと出し。

山口ー青森

まあまずはコーヒーでもどうぞ。山口県・仙崎

山口ー青森 (5)

通りすがりの街に、華やぐ春を見る。山口県

山口ー青森 (7)

日本海は美しい。山口県か島根県

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湯の街さんぽ。島根・温泉津

山口ー青森 (16)

街とニャンコ。鳥取・境港

ミオ

知らない街に出会いたい。兵庫・三尾

山口ー青森 (34)

静かに走っていった。京都・北タンゴ鉄道

山口ー青森 (37)

縁側がたまらなくパリパリ。福井・若狭町

山口ー青森 (43)

古き良き街。石川県・金沢

山口ー青森 (49)

夕暮れ、棒立ち。石川県・能登半島

山口ー青森 (68)

にょろろんなないろ、レインボータワー。新潟市

山口ー青森 (83)

シンメトリー。青森県・龍飛岬

山口ー青森 (85)

こごえそうなカモメ見つめないていました。(の気分で。)青函連絡船

7月4日293日目「そうさ、俺は渡り鳥。」青森・津軽半島

山口ー青森 (79)

この日は色んなことがあって、毎日ノートにビッシリつけている日記はこの1日分だけで6ページ近くに達していた。(ちなみに1日平均3~4ページ)メインの話まで箇条書き。

朝、テントの中で目覚めた瞬間、足がむちゃくちゃかゆい。かきむしっても止まらない。じんましんっていうわけでもなさそうやし、虫さされやろか?だからといって蚊でもなさそう。結果を先に言っちゃうと、後日病院で診断されたのはやっぱり「虫さされ」。ただ先生もなんの虫かは分からないという、ええ?(笑)塗り薬と飲み薬を処方された。そのまた後日、僕の足を見た旅人が「これはダニだな。」と言った。最近、気温も高くなってきてサンダルで過ごすことが多く(自転車をこぐには足の保護の意味でサンダルはオススメしません)、草むらとかでかまれたのかもしれない。ってゆうか何で先生が分からなくて、旅人が分かるんや?(笑)ホントにダニやったかは分かりませんけど。

午前中、お腹が減って田舎の村の小さな商店に立ち寄った。店には可愛らしいおばあちゃんがいて、カップラーメンを買うと店の奥でお湯を入れてくれた。外でラーメンをすすっていると「これ食べなさい。」と、透明のプラスチックの容器に入っていたのはカブラの千枚漬けとトマトだった。甘すぎず酸っぱすぎずの千枚漬けに、よく冷えたみずみずしいトマトが、近頃野菜不足だった体にキュ~っとしみこんでいくのが分かった。「美味しい」って言葉は「美しい味」と書く。おばあちゃんがくれた千枚漬けとトマトはまさに「美しい味」だと思えた。おばあちゃんは店の奥の家から小学生のお孫さんを連れてきて、その男の子に「この人、日本一周してるんだって」と僕を紹介すると、男の子は「へえ~」と照れて笑った。「この辺寄ったらまた来てね。」おばあちゃんはそう言った。絶対寄りますよ!!

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標高230メートルあるという展望台まで登ってみた。僕は一人で山歩きは怖くてできないが、展望台までの道は完全に山道だった。しかも最初地元のおじさんと会ったきり人とは誰も会わないし、途中大きなヘビ(マムシだったかもしれない)に遭遇してビックリした。(むこうもビックリして逃げていった)そして展望台に着くと、展望台が老朽化で壊れていて景色はほとんど望めなかった。山を下って畑や民家が見えてきた時には心底ホッとした。生きてかえってきたよと(笑)ここだけで徒歩で10km近く歩いた。なにやっとんじゃ。

そしていよいよメインの話。今日の目的地は龍飛岬!!演歌の聖地、旅情の塊のような場所で僕はある「目的」を実行したかった。岬まで残り20kmとなった。時刻は午後4時だった、日が暮れるまでには着くだろう。しばらく行くと傾斜のきつい上り坂が現れた。しかもその上り坂は終わらない。何?こんなん知らんで(笑)俄然後悔したが、もうずいぶんきたのでそのまま登っていく。周囲はスケールの大きな山々がそびえていた。その山々は初夏の濃いグリーンに満ちていて、青森というのは「青い森」なんだと、勝手に一人で納得した。その山々をつづら折りの上り坂が延々と続く。途中山の斜面にサルの親子がたくさんいて、この道の感じといい、鹿児島の佐多岬を思い出した。そしてまるでツール・ド・フランスの山岳ステージのようだ(佐多岬でも同じこと考えてました笑)最初頑張ってこいで登っていたが、途中から自転車を下りて押して登って、ちょっと休憩してまた押してと繰り返していた。(ツールの選手は自転車おりたりしないって笑)

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そして看板が現れた。そこには「眺瞰台 2km」と書かれてあった。ちょうかんだい?何やそれ。まだ20kmもすすんだ気もしないので、そこが龍飛岬ではないことはなんとなく分かった。それから山の上の方に展望台らしきものが見えるようになった。そしてそこがこの上り坂の最高所なんじゃないかと思った。(後から分かったけど、下から最高所まで標高差およそ470メートルもあったらしい。知っていたら4時から絶対行かない。)2kmといってもまだ登りは続き、その道のりは長い。それでもなんとか展望台のふもとまでやって来た。眺瞰台への最後の道は、まるでおにぎり型の山をスラロームするように描いていた。最後のスラロームを登っている際、上から妙に視線のようなものを感じた。フと見上げると一眼レフを構えた男性がこちらにカメラを向けているように見えた。こんな時間に自転車で登ってきた酔狂な奴が来た、と話のネタにでもするのかもしれない、と想像した。ただ景色を撮っていただけかもしれないけど。もしそうだとしても人に笑われるのがイヤならこんな旅はしないし、なんぼでもネタにしてやってくれ!!って勝手に想像して一人で開き直る(笑)自意識過剰やな、女の子がこっち見てたら「オレのこと好きなんちゃう!?」とか思っちゃうタイプです(笑)

いよいよ展望台まであと少し!の所であたりが霧がかってきた。そしてついに展望台に到着した。カモン絶景!!意気揚々と展望台まで駆け寄ると・・・!!

霧で何にも見えね~~(笑)

しかしこの状況はまずいで。日はまだ暮れてなかったが、気温が下がってきて山の中は霧に包まれた。20メートル先は白くて見えない。さて、どうしようか。この展望台にはトイレもあるし、ビバーグ出来ないことはない。ただ手持ちの食料はカロリーメイトが1/2箱、小さなドーナツが一つ。あとは外で米を炊くにしても他に粉末のうどんスープくらいしかないな(笑)おまけにトイレの水は「飲めません」と書いてある。自動販売機も無い。龍飛岬までいけば道の駅がある。売店でもあれば何か買えるかもしれない。しかし岬までまだ8kmある。この先どんな道なのか分からない。しかもこの霧だ、安易に進んではかえって危険だ。どうする?あ、そういやさっきカメラを持っていた人がまだ駐車場にいてる。僕はその人が乗っている車に近づき声をかけ、岬までの道は登りか下りか聞いてみた。その若いお兄さんはおそらく地元の人だったのか、岬までほとんど下りだと教えてくれた。そうか、ほとんど下りか。僕は意を決して岬まで下ることにした。(霧の中の道を夕暮れ時に自転車で下ることは良策だったとは思わないのでマネしないで下さいね。無理のないツーリング計画をしましょう。)ところで道を教えてくれたお兄さんですが、もし僕の想像の通りだったら、「さっきの自転車男が、なんとオレに話かけてきてよ!!」と話を盛り上げるかもしれない(笑)なんぼでもネタにしてくれてかまわない、むしろ自分一人しかいなかったら心細かっただろうから感謝だ。

僕は岬に向けて走り出した。道は下りになった。登りのように時間はかからないが、前は霧で見えにくいし、路面も少し濡れていて、さらに幾多のカーブが続き、ブレーキをかけっぱなしで極力ゆっくりのスピードで集中力を高めて下っていった。さっきまでは夕暮れの朱みに包まれていたが、今は夜へと変わる青さに包まれていた。霧で視界も見えにくく、その青の世界には「生」の気配を感じず、恐怖を感じた。

そして僕は無事に道の駅にたどり着くことが出来た。道の駅は人気もなく、施設も開いている様子が無かった。それでも何か望みがないか、施設の周りを歩いていると、事務所のような場所に明かりがともっていた。中に職員の方がいらっしゃって、迷惑とは分かりつつ「スイマセン、売店などで土産物など売っていただけないでしょうか?」と言うと、
「もうすぐ売店の方が来られるので少し待っていただいたらいいですよ。」と言ってくれた。もうすでに売店は閉まっているはずなのに、今ごろ?とにかくラッキーだ。僕は施設の入口の前に座って売店の方を待っていた。霧の中の道は寒く、体は冷えていた。するとさっき対応してくれた男性の職員の方が「こんなのしかないですけど。」とお湯の入ったカップラーメンを持ってきてくれたのだ!予想外の親切に驚いたが、有り難く受け取った。冷たい手で包むように容器を持った。手にあたたかさがじんわりと伝わってきた、ただ容器が温かかったからだけではないと思う。胃の中にじんわりしみこんで、大げさかもしれないけど「生きてる」って感じた。この時のカップヌードルは本当に美味しかった。その後、売店のおばちゃんが来て、土産物のお菓子をいくつか買わせてもらった。おばちゃんもめちゃめちゃ優しくて、自分が食べるために持ってきたパンやお菓子を分けてくれたり、用事が終わるまで中の暖かい場所で休ませてもらった。その後僕は道の駅の近くにテントを張り、さっき買ったお菓子やおばちゃんにもらったものを食べて眠りについた。むちゃくちゃ人の世話になった1日だった。みなさん、本当にありがとうございました。


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翌日の朝、昨日の霧は嘘のように晴れ渡り、青い爽やかな空が広がっていた。岬はすぐ近くだった。土産物屋さんが並んでいる所を過ぎて、僕は階段で下の海辺まで下り、朝も早いので観光客もいないようだったから、いよいよある「目的」を実行する時が来たようだ。その計画は沖縄を出発する時から温めていたこと。僕は磯に立ち、ギターを掲げた。さあ、歌うで。海よ、鳥よ、自然よ、聴いて下さい、「津軽海峡冬景色」!!

山口ー青森 (81)

・・・ジャカジャカジャカジャンジャンジャンジャーン、ジャジャーン!!ああ、目的達成!!気持ち良かー。岬の上から見える景色は格別にキレイだった、今まで「岬」と呼ばれる場所で見た景色の中でダントツに龍飛岬は美しかった。そしてはるか海の向こうにボンヤリと大きな陸のようなものが見えた。まさか、あれはずっと夢見た北の大地、北海道!?胸は高鳴った。

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翌日、青森港から僕は船で海を渡り、北の大地へ向かった。

                 ―第3章 鹿児島―青森編 完―

6月27日286日目「すっとこどっこいな僕にも人は優しく」山形県鶴岡―新庄市

山口ー青森 (69)

山形県に入ったころ、とある人物からメールが届いた。その人物とは、2カ月ちょっと前の4月、僕が鹿児島の阿久根ライダーハウスでお手伝いしていた時に、宿泊に来た東京のライダー青年のI君だ。出会ったその日に仲良くなり、彼が出発してからもちょくちょくメールで連絡をとっていた。話は今に戻る。山形で受け取った彼からのメールは、
「今どこを走っていますか?」とあり、僕は「山形に入った所やで。」と返した。すると彼は、
「山形の新庄市は僕の故郷なんですよ、是非行って見てください!!(中略)あと今地元で仕事してます。」
と送ってきた。あれ?彼、東京に住んでいるって言ってなかったっけ?実家に帰って、新庄で仕事してるのか。しかし地図を開けば新庄市は海から内陸部の東へ60kmも離れていた。海沿いを北上していた僕にとってはけっこうな遠回りになるが、久々に会ってみたいし、友達が自分の故郷を訪れてくれたらきっと嬉しいんじゃないだろうかと思い、そのメールを受け取った翌日、僕は新庄市を目指すことにした。

僕は鶴岡市から東へと進んだ。田畑の真ん中をまっすぐ通る道の沿道には吹雪時に使用するであろう防風壁がズラっと並んでいて、ここが雪国であることを想像させる。この日も雨が降っていて、全身レインコートに身を包み、上に積んであるテントや銀マットにもゴミ袋でカバーする。

道は田畑の中の道から最上川沿いの国道47号線に入った。濃い緑の山々に囲まれて流れる最上川の景色は幽玄な趣があった。しかしこの時には雨足も強まり、国道47号線は道が狭い上、交通量も多く、とても景色を楽しむ余裕など一切無かった。スタートから2、30km走った所で川沿いに広いドライブインが現れ、ひとまず休憩することにした。最上川は観光地でもあるみたいで、このドライブインには雨だというのに観光バスがたくさん並んでいた。天気や季節が良ければ船で川下りでもするのであろうが、さすがにこの雨では出来ないだろう。

とりあえず目的地の半分までは来ただろう。僕はI君にメールを送った。
「今日は仕事ある?」
割とすぐにメールが返ってきた。そこには驚愕の内容が書かれていた。
「山形は小学3年生の時まで住んでいて、今は実家ごと引っ越して東京に住んでいますよ。仕事は休みです。」
えええ~~~~~~~~!!!(笑)ほんなら俺はI君もその家族もいない所にこの雨の中遠回りしてまで走ってきたってのか?勘違いしたのは僕の方だが、ややこしい説明をしたI君にも非はあると思う。メールの文面を見る限り、僕が勘違いをしてショックを受けていることなんてまったく気付いてないようだ。これからどうしようか考えたが、ここまで来たのでとりあえず新庄に向かってみることにした。しょうがないからI君の代わりに、新庄の街をレポートしてあげようと。ちなみに一人でショックを受けて笑っていた僕に、観光バスの運ちゃんが話しかけてくれて、お茶のペットボトルを2本いただいた、ありがとう(笑)

再び僕は国道47号線を走りだした。相変わらず雨は降っているし、道も狭いし、横を通る車も多く神経を使う。安全に気をつけながら走っていたが、路肩を走っていると舗装路に突然泥のぬかるみがたまっている場所が現れ、そのぬかるみに入ってしまった瞬間、自転車のタイヤはスリップして、自転車ごと体勢が左右にブレた。
「あ、こける。」
心の中で一瞬そう思った。

・・・がこけなかった。奇跡的に僕は体勢を持ち直し、こけることなく安定を取り戻したが、路肩から右の車が通るゾーンに飛び出していた。しかしここでも奇跡的に車は走っていなかった。もしこけていたら、こけてなくても車が来ていたらアウトだったかもしれない。僕はそれから少し走って、安全な所に自転車を停めて、雨の中その場に立ち尽くした。心臓はバクバクしていた。
「守ってもらえた。」僕は天を見上げ、感謝した。

それからしばらくして民家がチラホラと見るようになってきた。お腹が減っていたが、お店もあまりなく、そのまま走り続けると今日の目的地である新庄の街にたどり着いた。時計を見ると午後2時すぎだった。飯も食わずに60km走っちゃったな。まずご飯を食べよう。暖かい場所で暖かい味噌汁やご飯を食べたかった。定食屋のような所があれば良かったけど、街には食べ物屋さんも少なく結局コンビニのご飯になった。雨をやり過ごすわずかなスペースの地べたに座り、地元の人が前を往来して少し落ち着かない中、僕は中華丼となめこの味噌汁とアンパンを食べた。

それから僕は割と広い公園を見つけ、あまり大きくない東屋の屋根の下のベンチに座った、ハ~やっと座った。新庄の街に来てみたはイイものの、I君はいるわけもないし、観光でも出来ればイイけど、新庄はおそらくあまり観光地という感じも無かったし、小さな史跡くらいはあるかもしれないが、これ以上雨の中動き回りたくなかった。僕はI君に着いたよ、とメールを送った。するとこう返ってきた。
「街に〇〇食堂っていう馴染みの食堂があるんで行ってみて下さい!!」と。
こいつ俺がここまでどんだけ苦労して来たか全く知らんっちゅー感じやな。それでも僕は彼の期待に応えてあげようとした。近くを通りかかった地元の人に食堂の場所を聞いて、少し雨がマシになったころを見計らって屋根から出てその食堂へ向かった。少しややこしい場所だったので見つけるのに時間がかかったがその食堂の前に行くと、どうにも営業している気配がなかった。定休日?なのかもしれないし、もしかしたらとっくのまえに店をやめてしまったんじゃないかって雰囲気さえ感じた。I君の能天気に振り回された僕はこの時にはホント「あーーーもう!!!」という気分だった。

雨はまた強くなり、僕に冷たく降り注いだ。レインコートを着ているとはいえ、ほとんど1日中雨に当たっていたので体がゾクゾクしてきたことに気づいた。さっきの公園の屋根に戻る。幸い近くにパン屋さんがあったので3つほど買って屋根の下でむさぼり食べた。レインコートの中も濡れて、体は芯から冷えていた。濡れているものを着替えて、ありったけの服を着込んで早々と寝袋にくるまり、ベンチに横になって体温の回復を図った。体調に不安を感じて、なにか打ちひしがれた気分だった。僕はこの街に何をしにきたのだろう?時刻は夕方の5時だった。

夜が深まったころ、目が覚めた僕は体温が回復していることに気付き、寝袋の中で汗をかいていた。服を少し脱ぎ、また眠りにつく。心はさっきよりも落ち着いていた。

翌朝、雨は上がっていた。体調も良く、風邪を引いたりしていないようだ。よくあの状況から回復できた、心も少しサッパリしていた。地元のおじいちゃんが話しかけてくれたり、公園でやっているラジオ体操にも勝手に1番だけ参加してみたりしてから僕は新庄の街をそろそろ出発することにした。電車の踏切待ちで、横に停っていた車のお兄さんに声をかけられ応援された。その数分後、コンビニに立ち寄った僕を見つけて、さっきのお兄さんの車が駐車場に停り、
「君に渡したいものがあって。」
と、カロリーメイトなどが入ったビニール袋をいただいた。公園でしゃべったおじいちゃんも、出発前に立ち寄ったパン屋のオバチャンも、カロリーメイトをくれたお兄さんも、みんな優しい。昨日は「なんでこの街に来たんやろう?」って思ったけど、僕はこの街の人達の優しさをもらった。それだけで十分だと思った。I君、君の故郷に行ってきたで。新庄の人達はとても優しかったよ。

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6月21日280日目「越後の夜空にクレイジーラブ」新潟県

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新潟県に入って2日、雨は日中降らなくて走るには都合が良かったが、空は白く曇り、景色に感動することもなく淡々と走っていたが、だんだん物足りなさを感じてきた。空気は湿っているのに心は乾いている。潤いが欲しい、潤い?出会いだ、出会いが足らない。時々この日本海側で旅人と出会うが、最近はそういう出会いがなかった。僕は若い人よりお年寄りの人に好まれやすいのか、地元のお年寄りの方達との出会いは多くてそれはとても嬉しいのですが、こうなんだ、たまには若い人との出会いも欲しい!!(笑)神様、僕に出会いを下さい。そんなことを考えながら自転車をこいでいた。

とある海沿いの街で今日の走りを終えることにした。広い公園があったので、そこのベンチで寝ることにした。夕食も済ませ後は寝るだけとなり、僕はベンチに座ってボケーっとしていた。すると、僕の数メートル前を若い女性2人組が通りかかった。おそらく散歩でもしてるのだろう。夜に荷物満載の自転車と一緒にいてる僕を見ておそらく、何だあの人はってきっと思ってるだろう。別に自分をさげすんでいるわけでなく、どちらかというと怪しくてスイマセンという気持ち。その数分後、先程の2人組がもう一度通りかかったかと思うと、ゆっくり僕の方に向かってきて、
「あの~、もしかして旅されてるんですか?」
と話しかけられた。
シェ、シェ~~~!!!僕は驚いて心の中で「シェー」のポーズをしたくなるほどの心境だった。まさか若い女性が夜に自分のようなよく分からない人物に話しかけてくるとは思わなかったからだ。僕は、
「あ、ハイ。そうです。」と答えると、しばらくその2人と旅の話をした。僕より少し年上のキレイなお姉さん達だった。
「じゃあ頑張って下さい。」と言われ、お姉さん達は去っていった。また一人になった僕でしたが、その数分後、なんとさっきのお姉さんたちが戻ってきて、手に持っていたビニール袋を僕に差し出した。近くのコンビニで食料を買ってきてくれたらしく、カロリーメイトや大豆の栄養食がたくさん入っていた。有り難く受け取った僕は、
「何かお返し出来ればイイんですけどね~。」と言うと、
「それさっきから気になるんですけど。」とお姉さんが指差したのはギターだった。歌ってお返し出来ればしたかったけど、あまり腕に自信がなかったので自分からは言えずにいた。弾いて欲しいならなんぼでも弾きまっせ!!ヘタクソですけど(笑)ってことでカロリーメイトと嬉しい出会いのお返しに2、3曲ほど弾かせていただいた。越後の夜空に井上陽水の「クレイジーラブ」が鳴り響いた。昼に出会いが欲しいと心の中で願ったけど、その夜にこんな素敵な出会いがあるとは。神様、ありがとうございます。ちなみにお姉さん達とはそのあと健全に別れました。その後の展開はありませんのであしからず(笑)

山口ー青森 (64)

6月18日277日目 「いや、ホントすいませんでした。」富山県

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金沢で梅雨入りしてからもレインコートを着て用心しながら雨の中を走っていた。よほどの雨だと危ないので走らないが、そうでもなければゆっくりと進んでいる。この日は能登半島を抜けて氷見から富山県に入り、とある街で走りを終えることにした。鳥取で宿に泊まって以来野宿ばかりで、今もザーザーと雨が降っていて寝所を探す気もなくなりネットカフェで寝ることにした。食料を買おうと街をウロついていると、地元の紳士なおじさんが話しかけてきて少し旅の話をした。そのおじさんはいたって普通の人だったのですが、「どこどこの寺なら言えば泊まらせてくれるんじゃないか?」とおっしゃった。今日は僕の中でネカフェに泊まることにしていたので、他所さんの所に頼みこんで泊めていただく必要は感じなかったし、今までもそんなことはほとんどしたことがない。でもなぜかこの時は「まあ一応行ってみるだけ行ってみますか。」と思って、おじさんのいうお寺に向かった。

そのお寺は観光地として割と開放的な所だったので、とりあえず門をくぐり、敷地内にあったトイレの片隅に自転車を停めた。来てみたはイイものの、人に頼るほど困っている状況でもないし、どうしようか。するとお堂の扉を締めに来たお寺の奥さんらしき人と一瞬目が合った。僕はその時雨の当たらないトイレの屋根の下にいたが、レインコートも着ていたけど全身ズブ濡れだった。その後女性はお堂の中へと帰っていった。僕は「いや、アカン。こんな中途半端な気持ちは。」と思い直し、すぐにお寺を自転車とともに出た。お寺を出て10メートルほど離れた所でなんとなく寺の方を振り返った。するとお堂の所で先程の女性がこちらの方を見ている気がした。さっき近くで僕を見た時、おそらく変な人か可哀相な人に見えていたかと思う。前者は間違いなくそう思われているだろうけど(笑)どちらにせよ、なんか余計な気を使わせてしまったんじゃないかと思い、後悔した。今さら戻って弁解しても変だし、そのまま立ち去ることにした。思いすごしであればイイが、どうか僕のことは忘れて下さい、心の中でそう願った。中途半端はあきませんな、反省。
ちなみにその後ネットカフェに移動しました。

山口ー青森 (61)

6月13日272日目「地元の人達とアサリとりへ。」金沢

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6月12日、石川県に入り、金沢までやって来た。金沢は3年前くらいに電車旅で来たことがある。金沢は北陸の都市ではかなり都会で、ビルが立ち並ぶ香林坊あたりの風景には驚いたけど、少し入れば茶屋町のようなしっとりとした風情を残す街並みが残っていて、面白い街だ。銭湯を探して街をウロウロしていると、地元のちょっとダンディーなおじさんに声をかけられ、おじさんも旅が好きで、僕のような旅人を見つけると声を掛けたくなるそうだ。話がしたいからとおじさんの家に招かれた。そこは築100年の古民家で、人の暮らしと時間がこの木の空間にしみついているようで、優しい居心地の良さに包まれていた。地元のお酒と奥さんの料理が振舞われて、おじさんからは東北から北海道までのオススメの温泉やグルメ情報をたくさん教えていただいた。そして明日なぜか一緒に海までアサリを拾いにいく約束をした。ちなみにおじさんも僕のように若い頃、貧乏旅行をしていたらしいけど、「オレはこうして君みたいな子を見つけたら家で話をしたりするけど、泊めたりはしないんだ。『甘え』は持っちゃいけないからな」と。ハイハイ、全然問題ないですよ。僕はおじさんの家を出ると、自転車を押して歩いて、地元の人の迷惑ならなさそうな場所を見つけて眠りについた。

翌日おじさんの車に乗って、おじさんの友達と3人で海へアサリ取りへ。砂浜に付き、パンツにTシャツの姿で足元を海水につけながら砂に潜っているアサリを見つけ出す。なかなか思うようには見つからない。天気もうす曇りで海水もけっこう冷たい。1時間くらいで10コほどのアサリを取った。とったアサリはペットボトルの中で真水にしばらくつけて、その日のうちにアサリのおすましにして食べた。ほんのり潮の香りがして美味しかった。

そんなこんな街に帰る途中のおじさんの車の中のラジオでついにその時が来たことを知る。
「石川県も梅雨入りしました。」
来たよ、来やがったよ、梅雨の野郎が。まあいずれ追いつかれるのは分かっていたけど。梅雨が明けるのを待つ場所もないし、しばらくは雨との闘いになりそうだ。安全に進めるよう用心せねば。

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6月4日264日目「砂丘の夜はブォンブォンブォン」鳥取

山口ー青森 (20)

鳥取県に入った。海側の国道をメインに走っているが、山口・島根は案外坂が多く、連日の向かい風とあいまって苦しむこともあったが、鳥取に入ってからは坂道もマシになり、快調に歩を進めていた。(その後、兵庫県でまたアホほど坂に苦しめられるのですが・・・)

ところで山口の下関から鳥取まで10日間くらいかかったが、夜は全て野宿していた。野宿がイヤで仕方なかった最初のころを思うとずいぶん成長したなと思う、社会で何も役に立たなさそうな成長だけど(笑)でもここ2~3日、たまには宿に泊まろうと思っていた。本州の日本海側はゲストハウスやライダーハウスといった安宿はほとんどなく、最初はネットカフェで寝て安くあげようかと考えていたが、ネカフェにタイミングよくあたらなかったので「今日も野宿か・・・」とずるずるここまでひっぱっていたが、もう民宿でもビジネスホテルでも少々お金かかってもいっぺんゆっくり寝たかった。

そんなこんな鳥取市にたどり着いた。ここにはずっと行ってみたかった鳥取砂丘がある。この日こそ街でちゃんと宿を・・・と思っていたが、今日はとりあえず砂丘で夕陽を眺めたかった。砂丘と街は少し距離があり、夕陽を眺めてから街に戻るのは自転車では少しおっくうな気がした。そこで考えた。今日は砂丘で夕陽を見た後、その辺で野宿して、明日は走るの休んで夜は鳥取の街の宿でゆっくり寝る、と。

とりあえず砂丘へ。オオオオオ!!!!!すごいよ、マサルさん!!砂丘は予想以上に広くて迫力があった。丘のてっぺんに行く。ちょうど夕陽が沈みかけるいいタイミングだった。夕暮れLovers達と肩を並べ海に沈む夕陽を心ゆくまで堪能した。

さて、その後は砂丘に来る前に街で買っておいた弁当で夕食を済ませ、砂丘の中では寝てはいけないと書いていたので、砂丘の周囲を探して、その辺にあった長イスに横になり、寝袋で寝ることにした。しかし砂丘の夜はサイレントにはいかなかった。来るわ来るわ、夜の砂丘を見に来る若者たちの車が。暗くて何も見えないやろうって思うんですがね。、多分地元の子達なんでしょうが、夜遊びしてたらなんとなくこの場所に来ちゃうんだろうな。気持ちは分からないでもない、でも寝ている僕にとっては車の排気音が大変不快。車が通る道が見える場所で寝ていたので、車のライトもまぶしくて寝れない。だんだんイライラしてきたが、こんな所で寝てる自分が悪いのでなんとも言えませんけど(笑)途中場所を変えたが、やはり騒音からは逃れることが出来ず、深夜になっても砂丘の周りは車が往来していた。

グッスリ寝つくことも出来ないまま、夜は明けかけていた。僕は寝袋をしまい、朝日が拝めるかもしれないと砂丘へ向かった。昨夜の喧騒を忘れてしまうような爽やかで清らかな朝日だった。夜は少し大変だったけど、砂丘で夕陽と朝日を見ることが出来て幸せだと思った。

この日はハナから走る気はなく、鳥取の街で宿をとるつもりだった。昨夜の寝不足と連日の疲れで、日中から公園のベンチで寝ていた。駅の観光案内所で一番安い宿を聞くと
、確か素泊まり3700円くらいの「旅館」だった。「旅館」か・・・ブルジョワな響きだ(笑)3700円なんて最近の僕には高くて思えて鼻で笑って野宿を選ぶセコイ男になっていたが、この時ばかりは迷うことなくその宿に泊まることにした。宿の奥さんが優しくてとても心が休まった。ゲストハウスやライダーハウスに慣れていたから、個室、フカフカの布団、宿の方のいたって普通のおもてなしに至上の幸福感を感じた。「この宿に泊まって良かった。」僕は心底そう感じて、白い布団と同化するように眠りこけた。

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6月1日260日目 「遠くに来ていた。」島根県・出雲の手前あたり―松江

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九州を出て、夏の北海道に向けて日本海側を北上していた。その日は出雲を午後4時に出発して40km先の松江を目指した。僕の自転車はスピードメーターはついてないけど、急がず、遅すぎずのペースでだいたい時速20kmくらいで走っているらしい。今回はアップダウンはほとんどない。信号待ちや途中の小休止も考慮して、40kmという距離は3時間を見ておけば着くはずだ。40kmを午後4時から走るのは遅い出発だけど、夏至も近くて日も長いから平地だとそんなに暗くはならないだろう、多分。僕は走るだけの日でも1日60kmくらいしか走らない。その日のゴール地点も決めず、夕方、寝れそうな所があれば走りを終えるというスタンスだ。この日なぜ少し頑張ってでも松江に着くことにこだわっていたのは少し理由があった。

3年前くらいに電車で5日間の一人旅をした時、松江にも立ち寄った。街自体に情緒があって街を見るのも目的だったが、何より楽しみだったのが宍道湖で見る夕日だった。宍道湖の夕日はとても美しいと、どこかで聞いて楽しみにしていた。松江に着いた1日目は水平線の上に雲がかかりあまり見えなかった。2日目も同じく、やはり雲でキレイな夕暮れをのぞめなかった。諦めきれなかった僕は予定を変えて3日目の夕暮れチャンスにのぞんだ。そしてついに宍道湖は僕に微笑んだ。日が沈んでも僕はしばらく夕暮れの残照が湖を優しく染めているのを心静かに眺めていた。

そんな思い出があって、今回も同じ場所で夕暮れを見れたらイイなと。しかしこのところ毎日向かい風。自転車の旅はしょっちゅう風に一喜一鬱させられる。この日も東に進む僕を西向きの風が邪魔をした。僕はゆっくりと宍道湖沿いを東へと走った。

そして僕は松江にたどり着いた。疲れて宍道湖のほとりの芝生に寝転んだ。夕日はもうすでに沈んでいた。その時、風はなく、さざ波すらない静かな湖面は夕暮れの残照を優しく映していた。水平線と空の境目が溶けて、どこまでも続いているように見えた。僕はフと思った。「遠くにきている。」旅が日常化していたので最近はそんなことも思わなかったが、ここにきて久々に感じた感覚だった、宍道湖がそれを僕に思い出させてくれ、なんだか嬉しくなった。3年前より宍道湖と仲良くなれた気がする。今思ったことだけど、松江を故郷に持つ人は、帰省してこの湖を見て「故郷に帰ってきた。」と、ほっと胸をなでおろすんじゃないかと想像した。あ、なんかオレ火野正平みたい(笑)

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【写真】 5月中旬「その後の九州の旅」長崎ー佐賀ー福岡

阿蘇を出た後の九州の旅。人との出会いも、美しい景色との出会いもたくさんありました。写真でハイライト的にちょっと出し。

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長崎は今日も猫だった。

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2:50?

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バイク集団

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トゥデイもキャンプ。

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佐賀県行っちゃう?

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土谷(どや)の棚田。どや!!

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佐賀県唐津の虹の松原

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Road

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九州の玄関口、福岡県の門司にて。

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ありがとう、九州。

5月8日 236日目「愛すべきカタジケナイ」熊本県・阿蘇

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阿蘇のライダーハウスに着いてから滞在はすでに4日目に突入していた。阿蘇ライダーハウス入った瞬間に、ここは確実に居心地が良いと確信したが、実際ここがなければ阿蘇にこれまで長く滞在することもなかったと思うほど素敵な空間だった。宿泊料は900円から。3日目以降は700円。談話室はいつも旅人達で賑わい、みんなの持ち寄りのつまみやお酒、料理で毎日宴会。老若男女関係なく、ここではみんな同じ目線で色んな話をして、みんな青春真っ盛りといったイイ顔をしている。ライハのある内牧温泉街にある個性的な店を巡るだけでも面白い。さらに街の中には100円で入れる公共湯が3軒もあり、気兼ねなく毎日極楽の温泉ライフが送れる。

しかし阿蘇の魅力はなんといっても「自然」にあるだろう。外輪山にグルっと囲まれるように盆地が広がり、盆地には田畑が広がり、ちょうど田植えの時期だったので水田に阿蘇の山々が映り込んでとても美しい。日本の原風景ここにあり、と思った。山の斜面は青々とした緑に覆われて、山の上に登って見ると、アルプスの少女ホニャララの世界を想像させる絶景に息を飲んだ。

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ちょっと自転車をこいでみるのも良い。街をブラブラしてるのも良い。何もせずにライハで漫画をゴロゴロ眺めているのも良い。そんな感じで気ままに過ごしていた。ところで阿久根ライハで出会って、タケノコ掘りの際、一緒に新聞に載ったオランダ人チャリダーの2人にどうにかして新聞を渡せないか考えていた。連絡先などは聞いてないけど、彼らが今後立ち寄る可能性のある場所を知っていたので、そこに先回りして新聞のコピーを郵便で送って現地で渡してもらおうかと考え、郵便に出そうとライハを出た時のこと。阿蘇ライハのヘルパーさんが、
「今日外人さんのチャリダーが2人来るらしいよ。」
まさか、いやまさか。この宿はけっこう外人の宿泊客も多い。日本を自転車で旅している外国人も、普通の人には考えにくいけど、けっこういてるんです。いや、まさかな~と思いつつ、手紙を出すのを一応やめておいた。そしてその1時間後、どうやら宿泊客が来たようだ。その人達は・・・

あああ!!!

ヤンとヨアン!!!(笑)

「Oh~~~ミノ(←僕の名前)~~~!!!」

3人で抱き合って奇跡の再開を喜んだ。抱き合うついでに強くヤンに羽交い締めされた、これも彼らなりのジョークで。すごいすごい、奇跡ってあるんやな。彼らともう一人同行人の日本人のオジサンがいた。その日本人のオジサンは出張で香港に行った際、ちょうど香港にいた旅行中のオランダ人と出会い、その時に日本で再開する約束をしていたという。自転車も趣味でやっているオジサンは、自宅のある福岡で彼らと再会して、阿蘇まで一緒に来たそうだ。マジでグッジョブです、オジサンありがとう。こうして彼らにそれぞれ新聞のコピーと、日本語を英訳した紙を渡すことが出来た。

その日、昼から一緒に4人でツーリングすることにした。自転車をこぎながらオランダ人2人はずっとしょうもないことを言っている。まるで高校生くらいのノリ、とても50過ぎたオッサンとは思えない(笑)自転車でいけるところまで阿蘇の山を登っていく。緑がキレイな牧草地を抜けて、さらに上まで行くと、活火山の影響で草の生えない荒れた地肌の所まで来た。いわゆる「砂千里」という場所である。自転車を駐車場に停めて火口をのぞき込める場所へ。ちなみに火山のガスの発生具合や風向きによって、この付近は立入禁止になることがある。上から火口をのそきこむと、ナメック星人のようなグリーンの液体がたまっているのが見えた。それを見てオランダ人が、
「まるでミノの作った料理みたいだね。」とまたくだらない冗談を言っている。さらに気が付けば全然知らない観光客の若いネーちゃんと肩組んで写真撮ってるし、ホンマこのオッサンら(笑)

それからさっきと反対側に山を下り、南阿蘇方面へ。山の下まで降りたら山の回りをグルっと走り、ライハのある内牧温泉へと帰る。ライハに近づいてくると、オランダ人達のテンションが上がってきて、
「ビール!フロ!カタジケナーイ!!(←誰かに教えてもらって気に入っているらしい)」
と願望を叫んでいる。内牧に帰ってきてスーパーでビールとつまみを買って、オジサンとオランダ人は風呂も入らず外で飲むと言ってるが、この日はすこし肌寒く、僕はクタクタだったのでパスさせてもらった。僕より断然年上の3人、どんだけ元気なんやろう(笑)

翌日の朝、ライダーハウスに衝撃が走った。第一発見者は僕だったのですが、朝起きてライハの玄関に出ると、玄関先で寝袋で寝てる人達が2人!!(このライハの玄関は階段上がって2階にあるので近所の人には見られてないと思う。)よく見るとヤンとヨアンだった。みんなを呼んで、何でこんな所で寝てるんやろ~と笑いながらみんなで話していた。後から聞くと部屋の中が暑かったからということらしいのですが、宿泊料払ってるのに外で寝てるってどうなん?(笑)

その日にヤンとヨアンとオジサンは出発した。この旅でたくさんの外人さんと交流したが、中でも彼らが一番印象に残っている。この旅で再び会うことはなかったけど、きっといつか、日本で、オランダで、もしくは世界のどこかで彼らと再会したいと僕は強く願う。

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4月22日 220日目「ヤンとヨアンとの出会い」鹿児島・阿久根

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鹿児島の北西部にある阿久根市のライダーハウスに僕はもう1週間は滞在していた。ライダーハウスとは、ゲストハウスによく似た簡易的な安宿で、相部屋で自分の寝袋で寝るカタチをとっている所が多い。旅人が好んで利用するため、談話室が設けられ、交流の場所になっている。ゲストハウスとの違いがあるとすれば、ライダーハウスというからに、バイクの利用者が多く、ゲストハウスより広めの駐輪所が設けてあることが多い。宿泊料は1000円~1500円くらい。ちなみに北海道には本州と比べ、別格にライダーハウスが多く、宿泊料も圧倒的に安いがその話はまた北海道編の時にでも。

阿久根のライダーハウスは少し変わっていて、引退したブルートレイン(寝台列車)の中で寝ることが出来るのだ。電車もそこそこ好きな僕は是非泊まってみたかった。1泊するだけの予定が、オーナーさんにライハの案内看板を書いて欲しいと頼まれ、滞在しながら1枚、2枚と書いていたのですが、他にも色々仕事を手伝ったりして、すでに滞在1週間を迎えていた。

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ある日、外国人のチャリダー2人がライダーハウスにやってきた。これまで何度か外国人の旅行者と交流しているが、この時はなんのためらいもなく積極的にその外国人達にヘタクソな英語で話しかけにいった自分に後から驚いた(笑)彼らはオランダ人で、ヤンとヨアンという。50歳すぎで、一人は世界一周中で、もう一人は日本だけを一緒に旅しているそうだ。彼らとは2日間一緒だったが、底抜けに陽気だ。終日テンションが高く、いつも冗談を言っていた。やはりオランダ人だと思わせたのが、台所で2人で作っていた野菜の煮物はチーズだらけ。近くの洋食レストランに連れていくと、2人ともスパゲッティを頼んで、テーブルにあった粉チーズを全部空けてしまった。

彼らが来た翌日、オーナーさんの山にみんなでタケノコを掘りにいった。その様子を地元の新聞社が取材にきて、僕とヤンとヨアンが写った記事がその2日後の新聞に掲載されていた。残念ながら新聞にのった前日に彼らはライハを出発していた。どこかで見ているとイイけど。

ちなみに阿久根のライハには、色々手伝うことがあってさらに1週間以上滞在した。その間たくさんの旅人が訪れ、交流することができ、後につながるイイ出会いもたくさんあった。

5月1日、ようやく出発する日を迎えた。このライダーハウスは地元NPOの理事長と事務長の主に2人で経営されているが、出発の時に限って理事長がいない。お世話になったからちゃんとお礼を言いたかったけど、ここまで出発が延び延びになっていたから、事務長にだけ挨拶して僕は再び旅に出た。その日は阿久根からそんなに離れていない長島(この島は橋でつながっている)という島でキャンプすることになった。夜、まだ理事長にちゃんと挨拶が出来てなかったので、携帯で電話をかけると理事長はなんと、
「長島!?近くじゃん!!今から連れ戻しに行くから!!」
ハ?冗談かと思ったが、1時間もしないうちに理事長の車が来て、自転車と僕を積んで即刻阿久根に連れ戻された。やっと旅を再開したのに(笑)帰ってきて事務長に、
「家出少年みたいだね。」と言われた。確かに。まあでも内心面白かったです。

翌日、理事長にもちゃんとご挨拶して、僕はようやく阿久根を出発して、天草に着いた。この時点で1カ月半滞在した鹿児島県から、熊本県に入った。

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4月12日 210日目「鹿児島のおじいさん」鹿児島市

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薩摩半島を回り、熊本へ向けて鹿児島を北上しているころ、関西の友達が会いにきてくれることなり、また鹿児島市へと戻ってきた。ついでだから鹿児島のおじいさんにもう一度会いにいこう。鹿児島のおじいさんとは僕の同級生のおじいさんで、僕が大阪にいる時は直接会ったことはなかったが、電話などではしばしば交流があって、今回の旅で沖縄に行く前に初めてお会いした。一軒家に一人暮らしで、少し話し相手にでもなればという思いだった。

おじいさんの家に行くと、もう遅いから泊まっていきなさいということになった。おじいさんは足が悪いので夕食は近くのスーパーで買って、布団も自分でひいた。暖かく迎えてくれたのも嬉しく、僕は溶けるように布団で眠りについた。

翌日の朝、足が悪いのにおじいさんは僕のために目玉焼きを焼いてくれて、僕の出発時にはおこづかいまでくれた。喜んでもらうために来たのに助けられているのは自分だった。おじいさんと訪問介護のヘルパーさんに見送られて出発。お元気で、ありがとう。

その1カ月後、僕が長崎にいてる時におじいさんが亡くなったという知らせを聞いた。あの時元気そうだったのでとても驚いた。僕の住んでいる大阪の家の庭にはユキノシタという植物が生えている。このユキノシタは僕が旅に出る前に、鹿児島のおじいさんが2、3株送ってくれたたのを植えて、今では地面を覆い尽くすようにたくさん増えている。春には可憐で繊細な花を咲かせる。ユキノシタを見ると、鹿児島のおじいさんを思い出す。

【写真】4月「桜の旅」鹿児島県

桜の時期に旅が出来る幸せ。

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4月7日 205日目 「恐怖のムカデ・ペローン」薩摩川内市

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虫の苦手な人は見ない方がイイかもしれません。さほどグロテスクな話ではありませんが。

九州に戻ってきて、夏に向けて北海道への旅を始めていた。さて、この日も寝床を探していた。しかしなかなかテントを張れるのに適した場所が見つからない。地図を開けばキャンプ場のマークがあるが、少し山の方にあるし、この時期開設してるかどうかも分からない。時は夕暮れ、現地に行ってみてやってなかった場合のリスクを考えると他を考えざるをえなかった。もう少し走っていると、川沿いの河川敷が芝生広場になっている所があった。最初はその芝生広場にテントを張ろうかと思ったが、見れば芝生広場の向こうの橋の下に空間があったので、そこにテントを張ることにした。

テントも張ってあとは寝るだけとなったが、その橋の下はコンクリート敷きになっていたが、近くに草むらを住みかにしてる虫たちがたくさん僕のテントの周りを徘徊していた。ゴキさんやクモ、ヤスデ。僕はさほど虫嫌いではないが、他足類は苦手だ。うっかりテントの入口を開けていると、ヤスデが中に入ってきて怖い。もうすでにこの時二度と橋の下で野宿はしないと決めた。

翌日の朝、テントに張り付いていた虫さんを払って、片付け、撤収。出発準備をするため、カバンを開けた時に事件は起きた。カバンの中の布を外に広げた時、同時に大きなムカデが「ペローン!!」と飛び跳ねるように出てきて、僕は「ギヤ~~~!!!」と絶叫して、その場を走り回った(笑)ムカデは地面に落ちて、そのまま草むらの方へと消えていった。僕はショックで、しばらくその場で気が動転していた。虫さん達のテリトリーで僕が寝ていたのが悪い、ゴメンね~と思い、出発した。しばらく走った所で自転車を停め、僕はこれ以上虫が入ってないか荷物を全てドキドキしながらチェックしたがいなかった。

虫という字を2つに春と書くと「蠢く(うごめく)」となる。春は虫たちの季節。この後も度々ムカデに遭遇したりゲジゲジが自転車にくっついていたり、その度、驚かされました。皆様も春の野宿には虫さんに気を付けて。(誰がこんな旅するねんな笑)

3月23日 190日目 「それはちんけな初ライブ」鹿児島・与論島

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「春の海 ひねもす のたりのたりかな」 与謝蕪村


沖縄を出た僕が最初に向かった場所。それは鹿児島の与論島。ここはずっと憧れていた島で、大好きな映画「めがね」の舞台なのである。世間をただ離れたくてたどり着いた南の島、都会の生活が抜けきらない主人公はのんびりとした島の空気に最初は戸惑いを見せたが、その空気感に少しづつとけこんでいく。何もなくてイイ、何もないからイイ。心地よい音楽のようにスッと心に入ってくる映像。「我」を放つことこそ、真の意味での「自由」なのかもしれません。

そんな与論島に僕は1週間キャンプしながら滞在した。1周すると30kmくらいの小さな島。自転車を走らせてみたり、まだ少し冷たい海につかってみたり、夕日を見ながらビールとギターを愉しんでみたり。

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島の人達とたくさん触れ合いがありました。この時期には夜も暖かく、海辺に一升瓶を持って飲みにくる人達が多く、キャンプしてると毎夜声をかえられ、島の人達の宴会に参加させてもらっていた。

島には知り合いから紹介された50歳くらいの女性に大変お世話になった。初めての待ち合わせの時がメチャメチャで、待ち合わせ場所に早く着きすぎて海辺で時間をつぶしていると、例のごとく島の人の外飲みに誘われ、1杯だけ・・・のつもりが盛り上がってしまい、女性と会うころにはベロンベロンになってしまい、その後女性と居酒屋に行ったのですが、居酒屋のイスで寝てしまい、あげく居酒屋から引きずられるようにタクシーに乗せられ、近くのビジネスホテルの部屋に放り込まれ、そのまま朝まで爆睡。ホテル代は女性が払っていてくれた。

そんな初対面で大失態をおかした僕でしたが、その2日後女性から電話があり、仕事が休みだから島を案内してあげる、と同僚の方も一緒に車で島を回って案内してくれた。それだけでなく自炊用に野菜をくれたり色々と面倒をみてくれた。

島を離れる日の朝、女性の職場である老人ホームを見学させていただいた。

ところで沖縄でギターを買ったばかりの僕。女性が突然、
「良かったらみんなに1曲歌ってもらえない?」
と頼まれ、少し躊躇したけど、何か僕にも出来ればという気持ちで歌わせてもらうことになった。

ロビーでテレビを見ていたお年寄りの方々の輪で、僕は紹介され、まだちゃんと練習も出来てないけど、ハンバートハンバートというアーティストの「夜明け」という歌を歌わせてもらった。けっこうヘタクソでしたが拍手をいただいた。1曲歌い終わって収まりがつかなかったので、もう1曲、そしてまた1曲とやったが練習中だっただけにかなりしどろもどろな演奏だったと思う(笑)それでもお年寄りの方達はとても喜んでくれたみたいで、前の方に座ってらした3人くらいと握手をした。そのうち一人は涙を浮かべていて、僕も思わずもらい泣きしてしまった。こちらの方が元気をもらった感じがして、何も出来ない自分が恥ずかしくなった。

女性と老人ホームの前で別れた。別れる時には、これまでお世話になったことと、さっきの勢いもあってボロボロと涙を流した。

その後僕はフェリーに乗るべく港へと向かった。港には仲良くなった島の人が待ってくれていて嬉しかった。その人にもお礼を言って、僕はフェリーに乗り込み、出航までデッキで港を眺めていた。するとさっき老人ホームで別れた女性が港にかけつけてくれた。手には僕のお昼ご飯を持っていて、「どうやって渡せばいいかしら」と言ってると、船員さんが気を使ってくれて、お昼ご飯の入った袋をヒモにくくりつけてくれ、僕の元まで上げてくれた。横にいたオバチャンが「何か映画みたいなシーンだね。」と言った。

やがて船は出航し、僕は女性に手を振って何度目か分からないお礼を言った。港が、女性が小さく、見えなくなるまで僕はずっとデッキから見つめ続けた。ありがとう、また来ます。今度はもっとギターの腕を上げて。

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青い夜

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この前の月食です。言わないと誰も月食って気付かないと思いますが(笑)

3月17日 184日目 「4カ月半のありがとう沖縄」那覇

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3月12日に僕は再び那覇へ戻ってきた。那覇に着くと知り合いの旅人達が待っていた。高知YHで知り合った沖縄出身のソーヘイと沖縄で知り合った大阪の自転車日本一周チャリダー・トモ、そしてこの時初めて知り合った大学生のチャリダー君。再会記念にブルーシールという、沖縄では有名なアイスクリーム屋さんで特盛パフェを4人でつっついた。

那覇に着いてほっとしたのもあり、数日ダラダラと過ごしたり、次の旅に向けて自転車や調整や道具の調達をしていた。これまでご飯は全部買って食べていたけど、資金の節約なども考えて自炊用の山岳用コンロを購入した。コッヘルはもともと大阪の家にあるので送ってもらった。これでキャンプ場で米が炊ける。あと一つ面白い買い物、それはギターだ。トモが那覇の楽器屋で3000円で安物のミニギターを買ったのを見てすぐ買うことを決めた。楽器を持って旅することに憧れていたけど、かさばると思って諦めていたけど、ミニギターならどうにか持ち運べそうだと思った。買いに行くと4000円だったが購入した。店員さんに「これは子供のおもちゃみたいなやつなのでちゃんと音出ないですよ。」と言われたが、貧乏旅で高いギターを買うのはなんとなく気が引けたので、あえて安物でいくことにした。「トラック野郎」の「カモメのジョナサン」から「ジョナサン君」とギターに名付けた。

トモとは日中、別行動していたが夜は一緒に街外れでテント泊をしたり、ゲストハウスに泊ったりした。4日目のテント泊の時、トモが「明日そろそろ沖縄出ようかな・・・」とつぶやいた。たぶん言ってるだけやろうと思っていたら、早朝目が覚めた時、横を見るとキレイにトモの姿はなくて、「ホンマに行ったんや。」と笑ったけど、少し寂しくもあった。でもそのあっさりした性格、ちょっと憧れる。さてそろそろ俺も出発しよかな。

翌日の朝、船で出ることにした。出発前の夜にソーヘイが駆けつけてくれて、酒を飲み、色々話をして、その場でテント泊をしてくれ、そのまま次の朝に港で出発を見届けてくれた。熱い男やな、と思う。

そして僕は船で沖縄を出た。4カ月半、色んなことがあったけど楽しかった。みんなに本当に感謝、ありがとうございました。そして絶対また来ます。本部のオジサンありがとう。ソーヘイも見送ってくれてありがとう。

船はゆっくり港を離れた。デッキで那覇の港を小さくなるまで眺める。頭の中では中山うりの「マドロス横丁」がながれていた。さあ、新しい旅が始まる。

                            ―第ニ部 沖縄の旅 完―

2010年3月6日 173日目 「布団がふっとんでる話」沖縄本島のとある町

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4カ月滞在した本部を出て本島を回る旅に出た。道を走っていると、「おい!!」と横で呼ばれた気がして顔を向けると、昼間から家の前でオジサン達6~7人が宴会をしていて、やはり僕を手招きしていた。オジサン達の元に行くと、「飲んでけ。そして泊まってけ。」となった。正直言ってまだ昼間もいいところで前に進みたかったけど、こういう誘いはあえてのってみることにしている。そらちょっとヤバイかなと思ったら断ることもありますが。沖縄でこういう出会いは初めてではなく、ここに来るまでも一度家に泊めていただいたことがあるのですが、本部でお世話になったオジサン同様、キャラが濃いぃから少ししんどいし、気を使うこともある、そんなこというなら最初から断ればイイのは分かってますが。

そんで宴会に参加。あんまり内容は覚えてないけど、オリオンビールや泡盛があって、刺身とかをつまみにやってた気がする。横にいたオジサンがかなり酔っ払っていて「お前(僕のこと)は俺の息子に似てるよ~」と言って、僕の体をベタベタ触られまくられてちょっと気持ち悪かった。以降そのオジサンの手が動く度に体がビクッと反応するようになった(笑)

宴会も終わり、そのタッチおじさん始め、みんなが家へと帰っていった。家には家主のオジサンと同居人のオジサンと僕の3人いる。中でテレビを見ながら飲み直すこととなった。しばらくして家主のオジサンと同居人のオジサンの雰囲気が悪くなってきて、しまいに口ゲンカになった。2人ともヒートアップすると沖縄の方言になって何を言ってるかさっぱり分からない。なんとなく直感で、たぶんこの2人は毎日こうやって口ゲンカをしてるのだろう。とめようもないなと思って僕はテレビを見ていたのですが、家主のオジサンが僕にいきなり「お前のことでもめてんだぞ!!」と言って、「ええ!?何でですか?」と聞くと、僕が来たことで2組しかない布団で、誰が寝るかということでもめてるらしかった(笑)「僕は寝袋持ってるので布団はいりませんよ。」と言うと、「あ、そうか。」と言ってあっさりケンカ終了。2人は何事もなかったかのように仲直り。

そして夜中目覚めた時、2人の方を見てみると床でそのまま寝ていた、布団も使わずに。「この人達適当すぎ!!(笑)」

2010年2月28日 167日目 「思い出は幻と消えるのか?」本部町

沖縄に来たのは、冬の間寒くて本州は走れないので、仕事を見つけて冬を越すことが大きな目的だった。アルバイト生活も終わり、この時期の沖縄は早くもポカポカとした春の陽気がたちこめていた。再び旅の空に戻る時が来た。本部町を出たら北へ進み、本島をグルっと時計回りで那覇まで旅をしようと思う。

出発は翌日とすることにした。この日は瀬底島の喫茶店「一休」(現在は宿の営業になっています)に遊びに行ってた。晩ご飯まで食べさせてもらい、そのままオバチャンが「もうここで寝ていったら?」と店の中の床で寝させてもらえることになった。電気を消して、床に寝そべって思った。明日が出発というのになぜオジサンの家で寝ないのやろう?もちろん一休のおっちゃんおばちゃんのご好意はとても嬉しいけど、4カ月もお世話になったオジサンの家で最後の夜を過ごせないのがとても寂しく感じてきて、何かオジサンと過ごしてきた時間が幻のように僕の記憶から消えていく気がした。僕は思い出をつなぎとめたいと思い、立ち上がって一休のご夫婦に訳を説明すると、「そら、帰った方がエエわ。」と優しく笑ってくれた。自分勝手なのは十分に分かっていたが、一休のご夫婦にお礼を言ってオジサンの家へ帰った。

帰ってきてオジサンに、「やっぱり最後なんでここで寝させてもらいます。」と言ったら、
「フフン、そうね。」と少し笑ってまたテレビを見ていた。

翌日、本部町で仲良くなったみなさん、もちろん「一休」のご夫婦と、オジサンにもお礼を言って僕は再び旅に出た。ありがとう本部町、そしてオジサン、また遊びに行きます。

2010年1月、2月「1月、2月のオキナワンライフ」本部町

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年末年始いた大阪から沖縄のオジサンの家に再び帰ってきた。実は前年のうちにすでに、とある観光施設で1カ月半の短期アルバイトの採用が決まっていた。これは道端でスカウトされたとかでなく(笑)履歴書を書いて持っていって・・・という普通のパターンで。オジサンの仕事は手伝えないけど、食費だけ渡してそのまま住まわせてもらっていました。この1月、2月の期間は僕にとって安定していたというか、色々楽しいことや新しい仕事場での苦労もあったけど、そんな特筆すべきことも起こらなかったので、今回は箇条書きで沖縄の1月、2月をご紹介します。

・気候
「沖縄って冬でも暖かいんやろ?」ってよく言われるけど、答えるなら「ビミョー」です。
確かに最高気温は下がった日でも15℃くらいはあるけど、海風が強く吹く日もあって、体感温度はけっこう寒い。さらにオジサンの家はすき間風が中に入ってくるし、ストーブなんて言葉自体この家には存在しないようで、オジサンに聞いてみると、「ストーブ?ハッそんなのあるわけないさー」と鼻で笑われ、一蹴。いや、沖縄全体でストーブが存在しないわけではないですよ(笑)なので大阪から持ってきたダウンジャケットを家の中で着てました。

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さらに1月、とくに2月の沖縄は曇り、そして雨の日が本当に多い。新しい仕事は野外での体力仕事が多く、雨の日はレインコート着ての作業でけっこう苦労でした。空の写真家・HABUさんの著作に「海は空を映す」という写真集があるが、ホントにそうで、空が晴れてないと、海も美しいエメラルドグリーンには見えず、雲を映して白っぽい感じの海になっています。雨と風で荒れた天気の翌日は、海底の砂が水の中で巻上がって茶色の海になってたりして、あれ見た観光客の人はちょっとかわいそうやな思う時がある。でも曇りの人気のないモノトーンの海もまた趣深いなと思う。

・桜
沖縄でも桜が咲きます。といっても本州のソメイヨシノなどの桜とは違います。まず咲くのが1月。品種は「ヒカンザクラ」というもので、濃いめのピンクの花が咲き、桜吹雪のような散り方はしない。本部は本島でも桜の名所で、八重岳にはたくさんの桜の木があり、ちょっとした桃源郷のような雰囲気である。

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・旅人
この間にたくさんの旅人との出会いがあった。日本中を股にかけて旅するなら、僕のように南の島で過ごす旅人も少なくない。道端での出会いもあれば、沖縄の旅好きの友達が色々知り合いの旅人を紹介してくれたり、またオジサンも旅人が好きで(だから僕みたいな人間を家においてくれるのでしょう)どこかで面白そうな旅人を見つけたら、老若男女関係なく家に連れてきて酒を飲んだり、近くの居酒屋に行ったりしていた。仕事から帰ると全然知らない人が家にいて、「あ、こんにちは。(また連れてきたんや笑)」ってことがよくあった。後につながるイイ出会いもたくさんあったけど、資金はほとんど持たず、ギターの路上ライブでかせいだお金だけで自転車日本一周をしている同年代の旅人と会って、心底感動、尊敬した。

・犬を飼う
ある日仕事で家に帰ってくると、小さな黒い犬が家にいた。オジサンがタバコをふかせながら、「こいつ、ここで飼うから」と言った。エエエ~いきなり!?(笑)オジサンにはこういう突拍子もないことで度々驚かされる。前から家の周りをウロウロしていたが、時々エサをやってるうちになついて、いついてしまったそうである。その子は「クロ」と名付けられた。あの時はちっちゃかったけど、今どんな感じになってるやろう?

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・珈琲
僕は珈琲が好きで、喫茶店という空間が大好きな男である。沖縄には喫茶店というより「カフェ」というようなお洒落な店が多い。おそらく本州から移り住んで沖縄で経営してる店が多いと思います。休みの日にはよく色々なカフェに珈琲を飲みにいってた、貧乏旅だけど贅沢ですね。色々な店に行ったけど、一番好きだったのは瀬底島にある「一休」というお店だった。今はカフェ営業はやめて、1日1組限定の宿にしているらしい。大阪のご夫婦が経営されていて、そのおっちゃんおばちゃんと仲良くさせてもらってしょっちゅう通っていた。床に掘りゴタツという店内だから、お客さんのいない日は床でゴロゴロ寝させてもらったり(笑)プライベートで夕食も食べさせてもらったり本当にお世話になっていました。

そんなこんな、2月の終わりごろに短期アルバイトも終わって、4カ月近くいた本部町とオジサンの家を出る日が近づいていた。

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12月27日 104日目 「何かと理由をつけて大阪への旅」本部町ー大阪

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菊バイトの3日間が終わってすぐ風邪を引いたと思ったら熱が39℃まで上がって、こらおかしいぞ~と思って、オジサンに町のお医者さんに連れていってもらうと、インフルエンザと診断され、1週間寝込むこととなった。3日間くらいはホントにしんどくてトイレに行く時は床をはいつくばっていました。

そんな中オジサンがよく看病してくれて感謝していたが、治りかけのころに、家の冷蔵庫がちょうど壊れていて、
「近所の人が冷蔵庫くれるからとりに行くぞ。」
と言われ軽トラで一緒にとりにいったのですが、大きい冷蔵庫を運ぶのは初めてで、要領の悪い僕を見てオジサンが、
「何ね~非力ね~。そこにいてるおばあの方がよっぽど力あるよ。」
と言われ久々にイラっときてしまった(笑)

そんなこんな大阪へ一度帰ることにした。旅中に1回はどこかのタイミングで大阪に帰るつもりでいたが、色々大阪でやりたいこともあったし、オジサンから少し距離をおきたいのも正直な所だった。

大阪へ帰る日、オジサンが名護のバスターミナルまで送ってくれた。別れ際、インフルエンザの時によく看病してくれたこと、これまでのことには感謝していて、気持ちだけお礼を渡した。オジサンは、
「そうね。じゃあもらっとくよ。」
そこは「そんなのイイよ。」と言わない所がオジサンらしいというか。また年明けお会いしましょう。

空を飛んで大阪へ。見慣れた地元の駅に降り立つと、ふるえるほどの喜びを感じた。沖縄と違って空気はキンと冷えているが、それさえも気持ちよく感じるくらい心は弾んでいた。

家に帰って思う存分ゆっくりしていたが、2~3日たったころ、その時沖縄にいてた日本一周中の友達にメールしてみると、
「今年の年越しはキャンプになりそう(泣)」
とかえってきて、僕は急に心のスイッチが入ったように沖縄に帰りたくなった。
「オレは今ここ(大阪)にいるべきとちゃう。早く、沖縄に、居心地の悪いオジサンの家に(←オイオイ笑)帰りたい。」
それからはいてもたってもいられない日々が続いたが、飛行機のチケットの関係上、帰るのは翌年の5日になった。それまでずっと家でソワソワしていた。

でも帰って色々良かったこともある。地元のみんなに会えたこと、家の猫さんに会えたこと、そして旅への強い思いを再確認できたこと、大阪への旅はとても価値のあるものだった。

12月15日 92日目 「花に囲まれた3日間」本部町

沖縄には「パーラー」と呼ばれる、喫茶店に満たない野外的(?)雰囲気の店で軽食を出してる所がよく見られる。「パーラー」と聞いて、本州の人はパチンコ屋と勘違いする人が多いけど、食べ物屋さんです。大阪でいうと、駄菓子屋の中でタコ焼きとかお好み焼き焼いてますって感じの軽い雰囲気。

本部町のとあるパーラーに休みの日はよく遊びに行ってた。パーラーのおじさんがとても優しくて、値段も良心的で量も多い。よく食べてたのが、チャーハン(300円)とラーメン(150円 インスタントラーメンにモヤシとポーク)。チャーハンなんかけっこう後悔する程凄い量が出てきます、もちろん毎回ペロリと完食ですが。

そのパーラーに地元の農家の方がやってきて、僕を見るなり、
「アンタ何か暇そうだね。ちょっとうちが今忙しいから手伝わない?」
と突然言われた。聞けば、観賞用の菊を栽培してる農家さんで、この時期は収穫が忙しいらしいのだ。今手伝ってるオジサンの仕事の合間で良ければやらせて下さい、とお願いした。この出会いが2~3週間前の話。

そして12月15日からとりあえず3日間、農家でアルバイトすることになった。夜中も電球を当てて促成栽培で育てる「電照菊」は、沖縄近辺の南の島ではポピュラーな農業らしい。農家のご家族と、パートで来ている地元のマダム達と作業開始。膨らんだ蕾がついた枝を地際から長い専用の鎌を使ってサクっと刈る、刈る、刈りまくる。大阪の家で田んぼを少しやってるので(家で消費するだけの分ですが)農業の感じは初めてでは無かったが、基本的には単純作業が延々と続き、これを生業にするっていうのは大したもんだと改めて思った。僕以外のみんなは手馴れていてサクッサクッと次々と菊を刈り込んでいく。

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1日目が終わり、クタクタで帰ってきた。でもなんか爽やかな充実感。するとオジサンが突然、
「おい、ビデオ借りにいくぞ。」
と言って、疲れていたけど断るタイミングを掴めないまま、軽トラに乗車。お願いですので一人で行って下さい(笑)レンタルビデオ屋に中古ビデオのワゴンセールをやっていて、「これはイイさー」とオジサンは言って、洋画のビデオ(主にアクション映画)を50本くらい買っていった。その買いっぷり豪快だわ~。家に帰ってオジサンはさっそくビデオ鑑賞。わたくしは部屋でバタンキュー。

菊バイト2日目。この日は1日中菊の仕分け作業。作業小屋ではラジオがかかっていて単純作業には助かる。DJの「ペンネーム『バックストリーズボーイズ』さんから『チャゲ&アスカ』の○○○の曲のリクエストいただきました~」って所に一人でウケていたのを覚えている。残業して夜10時にこの日の作業終了。

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3日目、この日は1日中収穫。後半からは鎌使いも慣れてきてサクサクと刈れるようになっていた。しかしオジサンの仕事と連チャンでここまできてるので疲れがさすがにたまってきてる気がした。明日からは3、4日またオジサンの仕事を手伝い、その後菊のバイトもまた参加する。果たして体力が続くかな?

・・・と思ってたら、次の日速攻風邪を引いて、なかなか熱が下がらないと思ったらなんとインフルエンザで、部屋で寝込んでしまって何もできなくなってしまい菊バイトは結局前の3日間だけの参加で終わってしまい、とても申し訳なかった。それでも農家の人は心配してくれてて、インフルエンザも治ったころ、お給料をわざわざ持ってきてくれて「またお彼岸の前が忙しいから良かったら手伝いに来てね」と言ってくれた。時給と働いた時間などがボールペンで書かれた茶封筒を大切に受け取り、僕はあまり貢献出来なかった申し訳なさと、動いて稼いだお金のありがたさを封筒を持つ手から強く感じていた。

今回は携帯カメラだけしか撮ってないので写真小さめです。

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プロフィール

アマガエル♪

Author:アマガエル♪
自転車に乗って、旅して、撮る。

自称「自転車カメラニスト」のアマガエルです。

旅と日常を写真と、時々文章とともに綴ります。

◎カメラ
・OLYMPUS OM-1
・OLYMPUS E-5
・OLYMPUS E-620
・FUJIFILM NATURA NS
・VOIGTLANDER BESSA R2A
・SEAGULL 4A-107

◎自転車
・ARAYA RANDONNEUR RAN
・DAHON BOARDWALK

ご意見や、撮らせていただいた写真のデータちょうだいとかございましたらメールください。
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