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【最終回】1月11日484日目「エンディングテーマ」和歌山・加太―大阪・堺

青森ー大阪 (86)


朝が来た。テントのジッパーをめくる。山の稜線からちょうど眩しい朝日が顔をのぞかせていた。

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ついに今日大阪の自宅へ帰るのだ。テントを片付けて、出発前に記念撮影。テントを張った場所に一礼。(そういやいつも出発する時は一礼してから去るようにしていた。)さっさと行くかと思いきや、昨日も寄った小さな商店に行き、のんびりしゃべり、加太を出発したのは昼前の11時くらい。最後までのんびりやね、君。自宅のある堺まで、およそ60kmくらい。加太、和歌山、ありがとう、また来るね。出発してゆるいアップダウンをしばらく走ると、ある看板が見えてきた。そこにはなんと、あああ!「大阪府」と書かれてあるではないか!!1年ぶりの大阪、カムイーーーン!!!(←この英語が合ってるのか分からないけど、県境ではいつも言ってます。)ああ、岬町。懐かしい響き。嬉しすぎる。今踏みしめているこの土地は大阪なんや、カーーーッ。しかも道の脇にある六角形の道標には「県道」ではなく「府道」と書かれてある。大阪府の道やから、「府道」カーーーッ。(もう、うるさいって笑)

道を堺に向けて走る。車が多いが、順調に歩を進めていく。今日はほとんど出会いはなかったが、岸和田のコンビニで遅い昼飯を買いに入った時、コンビニの兄ちゃんが旅の応援をしてくれた、ありがとう!

走る、走る。見知った地名が次々と出てくる。やがて、高石市。たかいし!?堺のとなりやんか!!さらに行くと、あー浜寺公園や!!そして・・・あーーー!!!さ、さ、堺市の看板があああーーー!!!!!あっはっは、もうこの時はホンマに心も体も嬉しさでふるえる思いやった。

さらに走り、ある所で右へ曲がり、東へと走る。もう完全に地元の道。ゴールまで残り5kmをきっていた。そしていよいよ家への最後の交差点、右へと進路を変え、最後の直線100メートルを走る。これがこの旅の最後の道、そしてゴールへの道なんや。あふれる気持ちを感じながら、僕はペダルをひと踏み、ひと踏み、大切にこいだ。頭の中にアントニオ猪木氏のあの詩が浮かんだ。

この道を行けば どうなるものか

危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし

踏み出せば そのひと足が道となり そのひと足が道となる

迷わず行けよ 行けば分かるさ

ありがとうー!!!



2011年1月11日午後5時50分くらい、僕は自宅へと無事に帰りました。全国の応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。ただ一つ言えること、本当にこの旅をして良かった。もう一度、ありがとう!

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             ―第5部 青森―大阪編 そして自転車日本一周の旅 完―
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1月10日483日目「この夜に思うこと」和歌山・海南町―加太町

青森ー大阪 (82)


いよいよ大阪に近くなってきた。数日前大阪にもうすぐ帰れると喜々としていたと思うと、近づくにつれ、旅が終わってしまうと少し悲しくなり、今はやはり大阪に帰れることをよろこんでいた。残りの距離を考えると明日にゴールとなりそうだ。

和歌山市へたどり着き、和歌山ラーメンを食べて、お城を外から見て、さあぼちぼち移動しまっせと思ったら、いきなりあたりは吹雪になって、「ムハハ。寒いわけやわ!!」と妙にテンション上がるも(お前は犬か)すぐやんだ。和歌山市で移動を終えてもよかったが、この旅に出る前に、前の仕事の先輩と自転車で堺から加太という小さな港町までツーリングしたことがあり、その加太でこの旅最後の夜を過ごそうと思い、僕は出発した。

青森ー大阪 (84)


日が暮れたころ、加太に到着した。銭湯に入り、港の近くにテントを張ってもぐりこんだ。もう幾度こうやって知らない土地の空の下で過ごしてきたやろう。朝起きて、テント片付けて、走って、飯食って、夕焼けを見て、テント張って、飯食って、寝て、また起きて。美しい景色に感動して、人との出会いがたくさんあって、たまにはバイトもして、雨・風・坂に苦しんだり、しょうもないことで真剣に悩んだり、能天気に何もせんと遊びほうけてたり。そんな日々を483日続けてきた。あっというまの気もするが、1日1日を思うとなんと濃い時間を過ごしてきたんやろう。

明日、僕は大阪に帰ります。

1月8日481日目「幻のチャルメラ」和歌山県・湯浅町

青森ー大阪 (81)


僕は湯浅にたどり着いた。湯浅はこの旅に出る前からずっと行ってみたかった街なのです。なんでもあの醤油の発祥の地らしで、情緒ある古い街並みが残っているそう。僕は古い街並みを見るのが好きだ。歴史的な趣を残す街並み、都会の下町に見る長屋や所狭しと並べられた植木鉢を見るのも好き。はっきり言って歴史や建築様式についての詳しいことは知らないし、そこまで興味がない。ただ視覚的にワクワクするのだ。そして猫のように路地から路地へ、この道の先にはどんな世界が待っているのだろうと考えながら歩くのが楽しいのである。

初めて足を踏み入れた湯浅の街の印象は素晴らしかった。路地も複雑で古い街並みの範囲が広い。街の人達も優しく、またみかんをビニール袋いっぱいに詰めてもらったり、手作りのお味噌をいただいたりした。

地元の方達とも仲良くさせていただき、すっかり湯浅の街を楽しんでやがて夕暮れの時を迎えた。教えてもらった銭湯で汗を流し、テントを張る場所を探して自転車を走らせた。しかしなかなか良い場所が見つからず、少し右往左往していた。お腹も減ってきたけど、コンビニはおろかスーパーも見つからなかった(翌日朝になってスーパーは見つけました)。食べ物屋さんも早くに閉めてしまったのか、開いている所はほどんどなく、やっと見つけた居酒屋さんではラストオーダーが終わったと言われて入ることが出来なかった。手持ちの食料はといえば、昨日かおとつい炊いたご飯をおにぎりにしてラップにくるんであるのがカバンの中に入っているが、このクソ寒い中、キンキンに冷えたおにぎりを食べる気にはなれず、温かいものが食べたかった。

そんな折、遠くの方でチャルメラの音が聞こえたのだ。ラーメン・・・食べたい!!僕はチャルメラの音の方角へ自転車を走らせた。だがその方角へ走るとチャルメラの音はやんで、どこにいるのか分からない。するとまた別の場所で鳴り出した。またその方角へ走るも、チャルメラは一向につかまらず、結局あきらめることになった。お腹が減りすぎて幻を聞いたのではなく、鳴っていたのは確かなのですが。仕方がないので、僕はカバンからおにぎりを出し、アイスのごとくキンキンに冷えたそれを噛み締めると、歯に滲みて滲みて、なんかもう泣けてきそうだったので半分だけ食べてあったかい缶コーヒー買って飲んで広場にテント張って寝ましたとさ。

ちなみに湯浅の醤油は、めちゃくちゃうまいので、湯浅に行くことがあったら是非醤油を買われることをおすすめします。

青森ー大阪 (79)

1月7日480日目「みかんの旅」紀伊半島西側

青森ー大阪 (76)


栃尾さんの家を出て3日。新宮市から和歌山に入り、潮岬を経て僕は紀伊半島の西側を走っている。旅もいよいよ架橋に入ってきた。冬枯れの景色の中を走る。草は黄色く枯れ、乾いた青空にはいそぐように白い雲が駆けていた。紀伊半島の東側は海沿いの道でも「山」が近くに迫ってくるイメージだったが、西側は「海」を近くに感じるイメージだ。

青森ー大阪 (72)


またここが紀伊半島だと思わせてくれるのが、どこにいっても道行く人に「みかん」をもらっていたことだ。嬉しいけど、けっこうかさばったり重くなるので、水分補給でチョコチョコ食べて、減ってきたぞと思ったころに限ってまたドカッともらってしまう。うーんこれぞオートみかんシステムかな。旅に慣れてくると荷物が減っていくとどこかで聞いたが、僕はその逆で、ギター、長靴、調理道具、雑誌古本、あちこちでもらえる果物に野菜と荷物は増える一方で、必然的にペースも遅くなるのですが、その一方で他の旅人は持っていないであろう面白い荷物を積んでたりするので旅先での話のネタとしては重宝するのである。

青森ー大阪 (71)


地図を開けばあと何kmやから何日もすれば大阪に着くなとワクワクしていたのですが、いざ近づいてくると、旅が終わってしまうのが寂しく感じるようになってきた。これだけ旅して懲りるかと思いきや、全然そんなことはなく、次はどんな旅をしようかと考えだす自分がいる。旅が本当に好きな自分に気がつき、嬉しいと思う。

1月7日、僕はこの日の目的地の街を目指して走っていたが、あっさり大阪に近づき、この旅が終わってしまうことが悲しく、フと海が見たくなったので、僕は西に進路を変えて国道から海へ向かう県道へと入った。県道は小さな山を越えるためにいくつかのゆるやかなカーブを描いていた。カーブに沿って段々畑が連なり、畑にはみかんの木も多く植えられている。あたりを包んでいた夕暮れの光は優しいみかん色だった。そうか、ここは和歌山なんや。当たり前のことを今あらためてこの風景を見て感じたのだった。

山を越える際、水っぽい未完成の雪がチラチラと降っていた。僕は海まで出て少し走り、適当な場所でテントを張る。この日の最低気温はー2℃、よくこんな所で毎日寝て風邪を引かないもんだ。

翌朝、テントを片付けた僕はイスに座っていた。ちょうど後ろから日が登り始め、目の前にあった山の岩肌を朱く染め上げた。僕はウォークマンでハンバートハンバートの「旅のおわり」という曲を聴きながら、その光景を無言で眺め、この旅をしていることを心から幸せに感じていた。

青森ー大阪 (77)

2011年1月4日477日目「目指す」三重・熊野市―和歌山・串本

青森ー大阪 (66)


年の暮れのアホキャンプ(荒天により中止)から一夜。目が覚めると、窓越しにまぶしい朝日が家の中に差し込んでいた、この時すでに朝8時くらい。キャンプも失敗、初日の出も見逃す。「試合に負けて勝負も負けた」って感じかな、まあエエか。(切り替えは早い。)

栃尾さんは、「正月中、一人で家の番をする所だったから、いてくれて助かる」と言ってくれたが、年越し、お正月を人様のお家で過ごさせてもらうなんて、本当に恐縮であり、感謝であります。という訳でお言葉に甘えて心底まったりヌクヌクとしたお正月を過ごさせていただきました。いやあ、もう幸せすぎる。お世話になってばかりではいけないので、料理は僕も手伝わせてもらった。オムライス、鍋、クリームシチュー(ペシャメルソースから手作り)など。

青森ー大阪 (64)

青森ー大阪 (68)


そんなこんな1月4日、栃尾さんの家を出発することにした。出発する僕に、栃尾さん手作りの「めはり寿司」(高菜の塩漬けでご飯をくるんだこの辺りの郷土料理)を持たせてくれた。長期間、温かい時間を過ごさせていただき本当に感謝、ありがとうございました。栃尾さんのお母様にも感謝です。

もう迷わず大阪を目指すのみ。さあ、行こか!!

12月31日473日目「この年最後の夕暮れを」三重県・熊野市

青森ー大阪 (65)


年越しはどこでキャンプになるやろな?そんなことを考えながら紀伊半島を旅していたら、大晦日の数日前に、青森で知り合った当時自転車で日本一周していたおじさん・栃尾さんからメールが来た。栃尾さんは群馬県の方だが、お正月はご実家の三重県で過ごされるらしく、遊びにこないか?と声をかけていただき、向かうことにした。

ちなみにここまでの道のりは楽ではなかった。坂はキツイし、もうすぐおじさんのご実家のある熊野に着くぞーっていう手前で日が暮れて、街灯もほぼ無い田舎道を走るのも危険なので、名も知らない小さな港街でテント泊すると、明け方が寒くて寒くて。たぶん普通に氷点下を下回っていました。でも冬の星空がキレイでキレイで、やっぱり旅の夜ってイイなとしみじみ思ったり。

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そんなこんな栃尾さんの家への到着は僕のトロトロペースで30日となった。着くなり栃尾さんは、「このまま正月も過ごしていくとイイよ。」とおっしゃった。なんて慈悲深いんだ、お世話になります。(そこはちゃっかり)ほとんど毎日外で過ごしているもんだから、着いて「家」の温かみにとてもホッとした。先日ご実家の栃尾さんのお母様が亡くなられたそうで、仏壇の前で手を合わせた、スイマセン少しお世話になります。軒下には生前お母様が作られた干し柿がつるされてあり、夕方の西日が差すと窓ガラスに干し柿の優しいシルエットを映していた。

青森ー大阪 (63)


到着から一夜明け、2010年12月31日。栃尾さんは正月もここで過ごしていいとは言ってくれていて、この上なく有り難いのですが、年越しはキャンプで過ごすと数日前から考えていて僕は迷っていた。キャンプはどうしてもやりたかったし、でももう少しここにもいたい。悩んだ末に僕はハッと名案(後から思えば迷案でした)を思いついた。年越しだけキャンプして、年明けの朝にまた栃尾さんの家に戻ってこようと。僕のこの超自己中心的な考えを栃尾さんに相談してみると「イイよー。行ってきな。」と優しく言ってくれた。キャンプ道具を積み込んで、今年最後の夕暮れを頬に浴びながら僕は数キロ先の海辺へと向かった。

さて、キャンプだ。広い砂浜にテントを張った、くーワクワクするぜよ。年越しそばなぞ作って夕食。しかし海辺に着いた時には天気は穏やかであったのですが、日が暮れてすっかり暗くなったころには風が強くなり、だんだんとその勢いを増してきた。気がつくともの凄い風が海辺を吹き荒れていた。テントに入って寝袋をかぶり、ラジオで紅白歌合戦なぞ聴いて気を落ち着かせようとしたが、風が強すぎて、テントのナイロンの壁が押されて寝ている顔にくっついてくるほどだった。このままではテントが壊れてしまう、身の危険も感じた。キャンプは中止だ。しかし中止してどうする?海から離れたトイレで一晩避難してもいい。僕はそこでフと栃尾さんのことを思った。栃尾さんの奥さんは用事で群馬の家にいらして、こちらの熊野には栃尾さんだけが来ていた。せっかく正月を一緒に過ごそうと言ってくれたのに、僕はなんて自分よがりなことをしてるのだろう。帰ろう、栃尾さんの所へ。僕は電話をかけ、僕の相当勝手な事情にもかかわらず栃尾さんは優しく「帰っておいで」と言ってくれた。さっそくテントを片付けるが、もの凄い風が吹き荒れ、撤収はかなり困難を極めた。息絶え絶えに(大げさ)に夜中の11時くらい、栃尾さんの家に帰ってきた。栃尾さんは、「おかえり。風が強いから心配してたよ。」と言い、僕はものすごく安堵した。コタツに入って紅白歌合戦を見る。さっきまではちゃめちゃの時間を過ごしていたかと思うとなんて今幸せなんだろう。

「ゆく年くる年」の鐘の音を2人心静かに聞いていた。2010年、今まで過ごしてきた人生で確実に濃い1年だった、ありがとう。

12月28日470日目「静寂の旅路」紀伊半島東側

青森ー大阪 (60)


紀伊半島の旅を続けている。思ったより時間がかかっているのは観光もかねて伊勢では2泊したし、志摩にはライダーハウスがあり、そこの居心地が良くてここでも2泊した、野菜たっぷりの朝ごはんもすこぶる美味しくて。旅の途中、世界一周中のフランス人ご夫婦と出会ったり、旅の知り合いとも2人再会したり、こんな寒い時期にも出会いが充実していた。ちなみにテント泊すると当然ながらアホほど寒い。寝る前は着込めばそうでもないけど、明け方はいつも寒さと格闘する日々。

青森ー大阪 (57)


四日市までは交通量も多かったが、志摩を出たころには落ち着き、道は本当に田舎になった。いや、イイんですよこの田舎な感じが。関東に入ってから最近までずっと交通量が多く、街の中を走ることが多かったので、この静けさがとても新鮮であり、こういう田舎道にこそ旅の醍醐味を感じる。その土地の、季節の空気感が敏感に感じられるのものんびりとしたペースで走る自転車旅だからこその魅力だと思う。冬の午後のオレンジ色に包まれた静寂の道を、僕は前へと進んでいく。

青森ー大阪 (59)


小さな街の広場でテント泊。朝起きてテントのジッパーを開けると、10メートルほど先に地元の子供たちが横に整列するように並んで、みんな僕の方を何も言わずじっと見ていた。一瞬不思議に思ったが、僕は彼らに向けて無言でペコリと首を降って挨拶をした。すると彼らも礼儀正しくペコリと挨拶して、それからは僕なんて最初からいなかったような感じでみんな広場で遊びだした。子供ってよく分からんなーと思いつつ、可愛くて可笑しかった。

しかし紀伊半島、思ったより坂が多いし、キツイ。1日中アップダウンと格闘する日もあり、まるであの苦しんだ伊豆の坂道を彷彿とさせるようだった。また紀伊半島の道を走っていると、海側の道でさえ常緑樹の生い茂る山の緑が圧倒的な迫力であたりにそびえ、僕の視界に大きく広がって、その光景は圧巻だった。

さて、もう年の暮れ。年越しはどこで過ごそうか?

青森ー大阪 (58)

12月21日463日目「ファイナルラウンドのゴングを鳴らせ」愛知県・名古屋―三重県・桑名

青森ー大阪 (53)


朝が来た。目覚めの缶コーヒー、GEORGIAシリーズ名古屋限定の「でら!珈琲」を飲み干す、思えばこれが今回唯一味わった名古屋の味(?)名古屋にはたくさん名物があるけど、お金がギリギリになってきたからもうグルメにお金を出す余裕もないんだぜ。

青森ー大阪 (55)


名古屋を出発した僕は西へとさらに進む。大きな川が2つ、それぞれ長い橋で渡る。2つめの橋を渡ったころ、県境の看板が見えてきた。そこには「三重県桑名市」と書かれてある。おおお・・・三重や。そのおとなりのおとなりは大阪やんか!!今日はここで走りを終えることにした。近くにあった桑名名物の「時雨煮」のお店に入って近所に銭湯がないか聞いてみる。従業員の方と話しをすると、とても気さくに答えてくれたのだが、驚いたのが関西弁であったことだった。今朝いた名古屋では関東よりの言葉だったが、大きな川を2つ越えただけでここまで劇的に言葉が変わるとは思わなかった。もう関西弁が心にしみてしみて、旅が長すぎて若干自分の発するイントネーションもおかしくなっていたがここにきて一発で取り戻しました、ふるさとの言葉って、エエね。

さて、これからのルートですが、このまま西へと横断していくと大阪まで早く着くのですが、やはり紀伊半島をしっかり旅して大阪にたどり着きたいので、紀伊半島を海沿いの道でグルッと走っていこうと思います。しかしこの紀伊半島がどうにも長いようだ。地図上で見ると東京―名古屋の直線距離と同じくらい、もしくはそれ以上ありそうな感じ。これが大阪までの本当に最後の旅となる。さあ、行きまっせ!!

青森ー大阪 (54)

12月15日457日目「業務連絡:旅人が一人夜を明かしています。」静岡のとある場所

青森ー大阪 (51)


突然ですが、みなさんはコンビニで宿泊したことはありますか?

YES、私はあります。(どや顔)いや、どやって言われてもやね。

いや、宿泊とは言いすぎですが、そこに至った経緯を書こうと思います。

伊豆を経て、さらに静岡の旅を続けていた。テント泊をした翌朝、出発してのっけからものすごい向かい風が吹いていた。あまりに風が強すぎて、ペダルをこごうとしても度々バランスを失って自転車から降りるというのを繰り返していた。車道でそんなことやっていると危ないので、歩道に上がり、自転車を押して歩くことにした。そういや旅の歌人・種田山頭火の詠んだ歌に、

「何を求める 風の中ゆく」

とある。風に向かって歩く俺、カッチョエエ・・・と自分に酔いしれつつ、ごまかしつつ。

5kmほど何もない道を歩いてやっとこさ大きな道に合流した。ここにきて風も少しマシになった。しかしまだたった5kmほど進んだだけなのにひどく疲れた。

快適とは言えないペースで少しづつ西へと進んでいく。交通量が多く、景色も特によくはないし、相変わらず向かい風が吹いている。

1日中ペースも変わることなく日が暮れてきた。今日の寝所を探さないと。今日の向かい風でかなり疲弊してしまった、あと風呂に4日入っていない。風呂には絶対入りたいが、地図を見ると温泉施設の場所がどうにも中途半端な所で、寝所を確保できるかも分からない。もういっそ宿に泊まってしっかり疲れをとった方がイイのでは?そんなことを思っているとコンビニを発見した。そこのコンビニは店内にイスとテーブルがあって買ったものをそこで食べれるスペースがある。僕は缶コーヒーとパンを買って、食べながらこれからどうするかボヤーっと考えていた。すると店員のオバチャンが話しかけてきた。
「自転車で旅してるの?」
「あ、そうなんです。スイマセン、この辺りで安い宿ってご存知ないですかね?」
と聞くと、オバチャンはちょっと分からないようだったが、タウンページを出してきて、
「良かったらこれで電話して調べてみて。電話はお店の使ってくれてイイから。」
と言ってくれた。おお、何とご親切に・・・感謝です。

数軒かけてみたが、少し高いか、安くてもちょっと距離があり、すでに外は暗いので走る気にはなれなかった。
「あまりイイ所ありませんでした。」と言うと、オバチャンが、
「そう。まあ別にそこのイスで朝までいてくれるくらいはイイんだけどね。」と。
え・・・!?ここにいてイイんですの!?寒さをしのげるだけでむちゃくちゃ有り難い。僕は、
「スイマセン、じゃあ一晩ここに座っててもイイですか?」と聞くと、
「イイよ。私はもうすぐ帰るけど、次のスタッフにそう言ってくれたらイイから。」と言ってくれた。オバチャン、本当にありがとう!てゆうか風呂入るんちゃうかったん?→うん明日入る。疲れを取るのでは?→明日どっかでちゃんと泊まるぜよ。コイツいい加減(笑)

という訳で僕はコンビニで夜を明かすことになった。夕食ももちろんコンビニで。その後はコンビニ版のドラえもんを買って読んだり、テーブルに立てた肘に顎を乗せてうつらうつらとしてみる、時々バランスを崩して一人でビックリする。スタッフさんが変わったので、缶コーヒーやお菓子を買って事情(?)を説明すると、
「あ、聞いてますよー。」
と明るい調子で容認してくれているようで嬉しかった。どうやらさっきのオバチャンが引継ぎしてくれたよう。

あまり露骨に寝ることは出来ないので、座ったままマンガと、うつらうつらを繰り返し、朝が来た。するとまたスタッフさんが変わっていた。今度はどうやら店長さん?朝飯を買うと同時に一声かけると、
「あ、聞いてますよー。気を付けて行って下さいねー。」
と爽やかに応えてくれた。また僕の存在を引継ぎしてくれていたようだ。なんてみんな優しいのだろう、ご迷惑かけて申し訳ありませんでした、そしてありがとうございました。

翌日健康ランドに1泊しました。

12月10日「旅の空、極まる。」静岡・伊豆半島西側

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12月8日伊豆半島4日目、僕は半島の最南端の岬、石廊崎に立つことができた。半島の右半分を攻略して、残りは左半分。高台にある岬から下の駐車場まで下ってきて、僕はそこの食堂で昼ご飯にする、「あおさ」と「ふのり」の入った醤油ラーメン、感想は「海草」って感じでした(そのまんま)、もちろん美味しかったです。店のおばちゃんが、「道はこれからがキツイんだよ」と言う。地図を見ても、石廊崎から境に道はグネグネを増していた。なぜ道がグネグネ曲がるのか。専門家やないからハッキリ言えませんけど、おそらく直進だと傾斜がキツイからグネグネさせているのやろう。地図上で道がグネグネしていたらまず峠のような険しい登り下りがあると見ていいかと思う。

さて西伊豆の旅、これよりスタート。おっとのっけから登り坂。ほほお、これはなかなか。ほほ、ほ・・・・・・・・。いや、これホンマきついな(笑)なんか一気にレベルが上がった感じ。しかも坂が続く範囲が今までに比べて長くなった。もうやめてくれと言っても坂は次から次へと現れる。腰が砕けそうだ、ギアがもうこれ以上軽くならない、もうさっきから視界のほとんどが黒いアスファルトだ。相当高い所まで登ってきたようで、ある所で視界は開け、向こうの山々と空だけが広がっていた、まるで天空の道を旅しているような心地だった。

幾度かアップダウンを繰り返し、とある温泉街に着いた所で日が暮れた。さて今夜の寝所を探さんと。砂浜があってテントを張るのに良さそうだと思ったけど、いかんせん看板に「キャンプ禁止」と書かれてある。うーんここがあかんとなると、さっき屋根とイスがあるバス停があったからそこで朝まで寝させてもらうか。いや、それはさておきご飯だ。さっきの砂浜は「キャンプ禁止」と一緒に「煮炊き禁止」と書かれてるので米も炊けない。しかしそこは田舎の温泉街だった。探しても食べ物屋さんはおろか商店さえも見つからない。うーん風呂はどうや、と探すと民宿で日帰り湯が出来る所を見つけて、入らせてもらうことになった。宿の女将さんに食料の売ってる店があるか聞くとやはりないようである。すると女将さんが、「今けんちん汁作ってるから風呂上がりに食べていきな。」と言って下さった、有り難い!!冷えた体が極楽の湯で蘇る、まるでかんぴょうになった気分だ(?)風呂から上がるとけんちん汁とご飯を出してくれた、ご飯もついてくるとは何たる幸せ。温かいけんちん汁、「五臓六腑に染み渡る」という言葉を今まさにかみしめている思いだった。さらにはお刺身も出していただきました。ちなみに入浴代しか払ってないんですよ、こんな親切を受けてイイのだろうか?食後、お茶を出していただき「テレビでも見てゆっくりしていきなさい。」と女将さん。外で寝るのが嫌というわけではないが、ここまでお世話になってしまい、少しでもここの売上に貢献させていただきたい。そんなことを思って、素泊まりだといくらか聞いてみた。3千円くらいなら泊まろうかと思っていた。しかし女将さんは言いにくそうに5千円だとおっしゃった。うーん5千円か、出せないことはないけどかなりキビシイ金額だ。申し訳ないけど今日は野宿を選ぼう。それから僕は立ち上がろうとはしたのですが、ちょうどお孫さんの女の子がロビーにやって来て、女将さんとお孫さんは奥へと行き、立ち上がるタイミング逃してしまった。そうこうしていると、宿泊客のおじさん3人がロビーへとやってきた。その方達が僕にしゃべりかけてきた。おじさん達は東北の方だそうだが、仕事であちこちに行き、伊豆に来る時はいつもこの宿を使うそうなのである。おじさん達はロビーのソファに座り、ウイスキーを飲み始めた。やがて僕にも勧めてくれ、「じゃあちょっとだけ・・・。」とお湯割りのグラスを受け取ってゆっくりと口に運ぶと、喉の奥がカーッと熱くなる。「う、うまい。」おじさん達が本当にイイ人達で、女将さんやお孫さんも交え、色々話が盛り上がった。さっきも言ったが、別に野宿が嫌というわけではない。少々寒いのを我慢すればイイだけのこと、いつものことだから何てことはない。いや、この辺り野生のサルがいてるらしいから、外で寝て夜這いでもされた日にはお嫁に行けない・・・なんて話はとりあえずおいといてだ。話が盛り上がってなかなか立ち上がるタイミングをつかめずにいた。何よりこの温かい空間がとても居心地が良かったのだ。ここを離れるのが寂しかった。この人達と同じ空間にいたいと思った。甘えようという考えはない、払うところはきっちり払う。でも布団じゃなくてそこの廊下でイイから宿泊料が安くならないか頼もうかと僕はタイミングを伺った。するとおじさんの一人が、
「で、どうすんだよこの子?泊めてあげんのか?」
と言った。女将さんは悩んだ顔で「泊めてあげたいけどうちも商売だからね。」と言った。
僕は、「お金は払います。でもその辺の床とかでけっこうなのでもう少し安くなりませんか?」と聞くと、女将さんは、
「いや、お金はイイんだよ。ただ今日寒いからね・・・。」少し間が空いて、
「そこの座敷で寝ていきな、お金はいいから。」
えええーーー。そんな嬉しいけど申し訳ない。申し訳ないけど嬉しすぎる!!でもやっぱり申し訳なくて申し訳なさすぎるけど(もう意味分からん笑)今回は甘えさせてもらうことになった。女将さんとおじさん達に本当に感謝だ。座敷に寝袋を敷いて、連日の疲れからか、一瞬のうちに眠りについた。

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翌日、伊豆半島5日目。立派な朝ごはんまでいただいた僕は、せめて何かお手伝いさせて欲しいと頼むと、テーブル拭きと風呂掃除を任された。ここは内湯と露天風呂があるのだが、露天風呂を掃除している際、急に上のトタン屋根でガツガツ!とすごい音がしたかと思って見ると、サルの群れだった。ほ、ほんまにおったんやな。やはり昨日外で寝ていたら夜這いされてそん時にゃあもうお嫁に・・・ってもうええっちゅうの。何度感謝の言葉を述べても足りないくらいにお世話になった民宿を出発する。本当にありがとうございました、次に伊豆に来る時は絶対ここで泊まりたい。

再び走り出した。今日は坂はそれほど凄いという感じでもなかったが、変わりに相当強い向かい風が行く手を阻んだ。坂道と向かい風が重なった時なんて、とてもペダルをこいで進めなかった。そんなこんな土肥という温泉街にたどり着き、本日の走りを終えることにした。さっそく寝所を探すが目星をつけていた場所が「キャンプ禁止」と書かれてあった、お前もかブルータス。他を探すがなかなかイイ所が見つからない。あてもなくさまよった末、腹減った、とコンビニで夕食を食べることにした、まあそれからでも何とかなる。コンビニの前に座り、カップラーメンやらをすすっていると、若い男性が、
「旅人ですか?」
と声をかけてくれた。僕より何歳か上のその男性、この辺りで働いているらしく、自分も旅が好きなので声をかけた、と。そして話の成り行きで男性の住んでいる社宅に泊めていただけることになった!わお!捨てる神あれば拾う神ありとはこのこと!(別に捨てられてはないけど笑)2日連続でこんな親切を受けるなんて本当に有り難い。何もなしでは申し訳ないのでビールを数本買って男性の社宅へと向かい、色々とお話させていただき、温かい夜を過ごさせてもらった、感謝。

そしてこの日、12月10日伊豆半島6日目。男性の社宅を出発、本当にありがとうございました。今日も坂道をヒーコラ登る。落葉樹の葉っぱはほとんど落ちてしまい、グネグネと曲がるワイディングロードの路面に木々のシルエットが冬の太陽を受けて映し出されていた。小さな展望台に立ち寄ると、山茶花が咲き誇り、海と一緒にキラキラと輝いていた。春はパステルカラーに彩られた植物たちの息吹を。夏は濃いグリーンに紺碧の空、白い入道雲、秋は全てが鮮やかに色づく1年で最も色にあふれた季節、でも冬にだって色はある、落ち着いたモノトーンの日もあれば、時折キリっと澄んだ青空を、朱く咲き誇る山茶花がある。だから自転車旅は年中楽しいのだ。(個人的には2度熱中症をやってる夏は走りたくないけど。)

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坂を下ると景色が開けた、そして驚いた。静かな湾の向こうにデデーンと富士山がそびえている。この光景なんか見たことある気が・・・と思うと、銭湯の壁画に書かれそうな感じだ、それのリアル版。ほどなく、戸田という港街に到着。昼食を済ませると出発。戸田まで来た所で、伊豆半島の旅もほとんど終盤戦にきていた。今日には沼津まで着きそうだ、沼津まで来ると半島を出たことになる。よっしゃ行くで!!

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しかし意気揚々と走り出した僕に「最後の敵」が立ちはだかった。戸田を出てすぐ、目の前にもの凄い傾斜の1本の坂が現れた。「ラ、ラスボス出現・・・」頭の中でFFⅦのボス戦の音楽が鳴る。乳母車を押していたおばあちゃんが「兄ちゃん自転車で頑張るねー。みかん持ってたらあげたのに。」サンキューおばあちゃん、その気持ちでお腹いっぱいよ。必死で坂にくらいつく。これは本当にすごい。最初のコーナーを曲がってもなおも坂は続く、続く、続く・・・立ち止まった。ありえないくらいに息切れしている、腰が砕けそう、何より胸が苦しすぎておかしい、酸素も体にまわりきれていない感じがした。立ったままハンドルにうつぶせになり、息を荒らげた、なかなか呼吸が落ち着かない。やっと進もうという気になったが、これ以上こいで進むと体の何かがはちきれそうな感じがして、これまで伊豆半島では苦しみながらも全てペダルをこいで登ってきたけど、この時ばかりは自転車を押して歩いて登ることにした、少し悔しいけどここで果てるわけにはいかない。そんな中、途中立ち寄った展望台からの風景がすごく心に響いたのだ。高台にあるその展望台からは午後の太陽の光を浴びた海と空が調和して、全てが真っ白に僕の前で輝いていた。旅の空はここに極まった。

幾度アップダウンを繰り返し、ある所から傾斜はゆるやかになってきた。暗くなってきたがライトをつけて、なおも自転車を走らせる。そして県道17号線は国道414号線に合流した。もうこの時点で伊豆半島をほぼ抜けたことになる。国道をさらに進み、ついに僕は沼津の街にたどり着いた。「着いたあああ・・・。やった!」ここに伊豆半島1周完了、3年越しのリベンジをついに果たしたのだ。

精魂尽きたので翌日は休息日にしました(笑)

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12月5日447日目「3年ぶりのリベンジを。」静岡・伊豆半島

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「熱海に来た。やはり海が俺を出迎えてくれた。」

関東の友達の家巡りを終え、ようやく大阪への旅を再会した私。この日は小和田を出発してまず天下の国道1号線を走る。すぐに交差点、まっすぐ行けば箱根峠、そして左に行けば伊豆半島の方面に行く。距離的には箱根を越えた方が断然近い。箱根の峠は相当キツイらしいが、寒いし早く大阪に近づけた方がイイだろう(じゃあ何で東京であんなのんびりしてんのや)。が、しかし僕は左へと曲がった。それは3年前の雪辱を晴らすため。

3年前(当時21歳)のお盆を過ぎた8月後半、僕は仕事の休みをとり2泊3日で伊豆半島を輪行ツーリングすることにした。熱海駅で自転車を組み立ていよいよ出発、伊豆半島を海沿いの道で回り、沼津まで来たらまた輪行して帰るという予定であった。しかしこの夏は全国的に猛暑がふるっていた、が、当時の僕は浅はかにも都会の大阪よりはマシやろうと都合よく考えていたが、伊豆半島でもやはり暑いもんは暑くて、1日目から熱風の中を旅している心地だった。さらに坂がすごかった、どこを走っても坂、坂、坂。道も狭く海水浴シーズンで交通量も多いし、とことん苦しめられながら、ついに2日目の昼過ぎ、軽い熱中症で頭がクラクラしてきて、下田から電車に乗って伊豆半島を1周することなく途中リタイアしたという話。ちなみにこの話は前のホームページにものせてますので、よければそちらもご覧ください。
→3年前の伊豆ツーリング

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(写真は小和田城)

というわけで、今回こそ伊豆半島を攻略して3年前の雪辱を晴らすのだ!!今回はさすがに熱中症の心配はないやろうし、この旅で幾多の峠を越えてきたしきっと大丈夫。小和田からまずは熱海へ向かう。その間にもいきなりいくつもアップダウンがあらわれた。熱海まで着いた僕は思った。やはり伊豆の坂はキツイ!!(笑)足は以前より鍛えられてるとしても、荷物は当時の倍積んでいるから負担はやはりそんな変わらないのかも。とりあえず3年前と同じスタート地点に立ったのだ。しかもこの時点で神奈川県から静岡県に入ったことになる。中部地方か、俄然大阪に近づいた気がするぜ。(いやこの静岡がけっこう長いんですけどね。)さあ、伊豆半島よ、とくと向き合おうじゃないか。

再び走り出すとやはりいくつもの坂道が現れる。しかし、苦しみながらもどこかこの逆境を楽しんでいる余裕が今回はあった。自転車乗りの中にも峠好きがけっこういらっしゃると思うが、今なら少し気持ちが分かる。

さてこの日はとある温泉地で走りを終えることにした。伊豆半島は温泉天国でもあり、いたるところに大小の温泉街がある。伊豆は僕にとっては「挑戦」の場所なのだけど、普通の人からいえばここは東京からも近い大きな観光地なのである。(普通みんな車か電車で来るし。)250円で入れる温泉の銭湯へ、温泉地の銭湯は安い所が多いので嬉しい。その銭湯で衝撃の光景を2つも見た。洗い場の水道は蛇口をひねるものではなく、2つのレバーを押すとそれぞれお湯か水が出てくるという銭湯によくあるタイプ。40℃くらいのちょうどイイ湯加減にするにはこのお湯と水のレバーを同時にプッシュしなければならない。ちなみにシャワーはないので、毎回レバーをプッシュしたお湯で体を洗う必要があり、シャワーよりは少し手間がかかる。そこですごいオッサンがいてた。桶を2つ用意して、お湯のたまった桶で頭を流していると同時に、両足で2つのレバーをプッシュして次のお湯を準備して、2つの桶を効率良くループさせている「離れ業」をこなしていたのだ!!確かに無駄はないが、そこまでするかとツッコマずにはいられない衝撃(?)の光景だった。さらに、違うオッサンが風呂場の壁で逆立ちをしてるよ!!ズッコケないかハラハラするわ。この銭湯に来る人、面白すぎます(笑)

今晩は砂浜キャンプとシャレこんだ。(いや、間違ってもお洒落ではない。)浜辺で湯上りに缶ビールを飲んだらせっかく温まった体も冷えてしまった(そらそやろ笑)

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本日、伊豆半島2日目。海沿いの道を南へ走る。相変わらずアップダウンが多いけどそれほど苦しいわけでもない、やはり3年前より俺は成長している(社会的には退化をたどる一方だが、いや今はその話はおいといて。)下田に到着した。懐かしい。ところでこの時の僕は出発から前髪以外一度も髪を切ってなく、15カ月近く伸ばした髪は肩まで達しようとしていた。風呂は2~3日に一度しか入らないのですが、シャンプーをした時にその2~3日分の髪がまとめて抜けて、それがけっこう迫力があって、ヤバイ、俺ハゲてしまうんちゃうかと毎回あせる。冬とはいえ、自転車をこぐと汗をかき、ヘルメットをしていると頭もむれるのに風呂に入るのは2~3日にいっぺんでしょ、絶対髪に良くないでな。もう残りの旅資金も少なくなってきているのですが、ちゃんと風呂には毎日入ろうかなどと考えた。旅から帰り、楽しかったけど頭が薄くなったなんて、そんなのはいーやだ。てことで下田にある「昭和湯」という銭湯へ。昭和湯はこの辺り特有の「なまこ壁」と言われる模様を纏った伝統的な建物で、「昭和湯」という名前といい、お湯の具合といい、ナイスな銭湯でした。

今日はとある公園でテント泊。夕食を食べ終わり、水道で歯を磨いていた。すると雨がポツポツと降り出してきた。なんとなく嫌な予感がしたので、急いで東屋に戻り、屋根に下にテントを設営しだした。その後すぐ雨足は強まり、さらに近くで雷が鳴り出した。ドドーン!!うおお、かなり近い!!危険を感じ、まだテントの設営の途中であったが、近くのトイレの中に逃げ込んだ。その後もしばらく強い雨と共に大きな雷音が辺りを轟いていて、僕は一人トイレの中でこわくて縮み上がっていた。やがて雷が去り、雨もマシになったようなのでテントのある東屋の所まで戻ると、風もけっこう吹いていたのか、屋根の下まで雨が吹き込み、設営中のテントは水浸し。テントを持ち上げると、ジャーっと雨水がこぼれてきた。ムフフ、と僕は一人で苦笑いして、丁寧にタオルでテントの中を拭き、眠りについた。

伊豆半島3日目。昨夜の嵐で疲れが取りきれてないので今日はあまり移動しないことにする。下田といえば黒船が来航した場所として有名だ。先程にも述べたが、なまこ壁を纏った建物が並ぶなかなか情緒ある街並みだ。ペリーロードと言われる通りには川に沿って柳が植えられ、石畳の道と相まってイイ雰囲気がある。街歩きを楽しみ、今日も下田に泊まろうかと考えていた。僕は基本的に同じ場所で2日連続野宿をしないことにしている。これは住民の方々に不安を与えないよう僕なりに配慮しているのですが、昨日の場所以外にイイ所が見つからず、少しだけ移動することにした。

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コンビニで夕食を買い、下賀茂温泉の付近へ。そうそう、3年前はここでギブアップを決めたのだ。来たねえ、ここまで。適当な所でテントを設営開始。しかし今日は昨日のように雨や雷こそないものの、風が勢いよく吹き荒れ、テントを激しく揺さぶった。テントの中に入ってもテントの壁は左右に揺れ、このままではポールが折れてしまう気もする。僕はテントを片付けて、近くのトイレに逃げ込んだ。そのトイレは比較的広くキレイだった。僕は思った。ここで寝れるのでは?田舎のトイレであまり人もこなさそうやし、比較的目につきにくい場所の床に銀マットをしいて寝袋で寝始めた。そしてそのまま朝まで寝ることが出来た。いや、もし僕を見た人がいたらビックリしたやろな、スイマセンです。みなさんは真似しないようにね。

伊豆半島4日目。少し道を引き返し、僕は伊豆半島の最南端の岬を目指す。そして僕は伊豆半島・最南端の石廊崎に立った。やったこれで右半分は攻略。あと半分や!!ここまで色々あったけど概ね順調だ(そうか?)うん、心は全く折れてない。よし次行くでー!!

しかしホントに大変なのはここからだったのだ。長いので続く。

江戸切子

日本一周の話「Let’s居候。友達の家はしご旅」で出てくる江戸切子なんですが、買わせてもらったグラスを自宅であらためて撮ってみました。美しいです。

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こちらはコブが切り込みを入れたガラスの板をいただいたもの。もうこんなすごいもの作れるんや。

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すごいものいただいたな。グラスも、板も大事にしたい。

11月終わりから12月初め「はしご旅は続く」神奈川、ちょろっと東京

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スワちゃん宅を出発して南へ進み、東京から神奈川県へと入った。夕暮れが近づいてきた頃、走っていた道は狭くなってきて、やがて斜めから路面電車の線路が現れた、江の電だ。そしてそのまま道なりに進むと、その道はT字路にたどり着く。その先は海だった。そう、ここは湘南。海辺で少し夕暮れを楽しんでから僕は海沿いの道を東へと進む。その街に近づいてくるとオシャレイなカフェやらレストランが立ち並び、ここが人気の土地であることが分かる。着いたその街は鎌倉だ。

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テント泊をした翌日、鎌倉の街をプラプラ散歩。観光地っぽい場所といえば鶴ケ丘八幡宮に行ったくらいかな。坂道を登った先にある有名なお寺の前まで来たけど、入館料がいると分かり、外から手を合わせるだけにした。(確か300円程度だったと思うのですが。)何より鎌倉は海がキレイだ。もちろん街もキレイで居心地がイイ。

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この日は夕方から自転車を鎌倉に置いておいて、電車で東京の世田谷の方に移動。実は東京に着いた当初、柴又の帝釈天の前に座ってボーとしていた僕に話しかけてきた営業中のサラリーマンの若いお兄さんと仲良くなり、東京にいる間に飲みに行こうと言われていたのが、向こうの仕事の都合でこの日となったのだ。世田谷のとある駅で待ち合わせして、お兄さんの行きつけのBARを2件はしご。BARにはお兄さんの知り合いの常連さんがたくさんいらして、その人達とも仲良くさせていただき、初めてお会いする人達なのに温かく迎えてくれて心から楽しい時間を過ごさせてもらった。夜はお兄さんの家に泊まらせていただいた、感謝です。

翌日、鎌倉に電車で戻ってきた。鎌倉を出発すると、海沿いの道を西へと進む、左に海が見えてとても爽快な道だ。

江ノ島で次の知り合いと待ち合わせをしている。北海道で仲良くなったライダーのシンちゃんだ。ジョリーパスタで2人で昼飯にした後、厚木にあるシンちゃんの家へ自転車で向かう。今日の夕暮れはとてもキレイで、空全体が優しいオレンジやピンクに染まっていた。夕暮れ空の向こうに山が見える、そうかあれが富士山。夕暮れ、海、富士山、まるでデラックス幕の内弁当を手にした気分だ。

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シンちゃん宅に到着。ハイ、もうお決まりのパターンですが今回も人の家でお世話になります(笑)シンちゃんの家にも3泊させていただきました。3日目の日にシンちゃんのバイクに乗せてもらって、山梨の山中湖までツーリング。湖越しに富士山、デカイ!!その夜、帰ってきたシンちゃんのお家で手打ちうどんを作る。実は僕うどん好きが講じて、手打ちうどんをよくやるのですが、旅先では綿棒とかの道具が揃わないのでやったことがなかったのですが、じゃあ買ってしまえと今回スーパーで綿棒を買って旅うどんを作っちゃりました。2回にわけてゆで、釜玉とざるでいただく、ウマイ。綿棒担いで、各地でうどんを打って食べてもらうって旅も面白かったやろな、次の旅はそれしようかなとか妄想。

楽しく、ゆっくりさせてもらったシンちゃんの家を出発。本当にありがとう!!

シンちゃんの家を出て、やっと大阪に向けての旅が再開した。東京に着いてからここまでで泊めてもらった家は6件、合計12泊、みなさん本当にありがとうございました。あんさん年内に大阪帰る気ありまんのかいな、うん、もう自分でも分からない(笑)ここからは知り合いの家もないので、黙々と走るはず。さあ、次はあの場所へ3年ぶりのリベンジを果たしにいくのだ。

11月下旬「Let’s居候。友達の家はしご旅」東京、埼玉

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岩手を出ると、国道を中心にひたすら南下、この間ではあまり出会いがなく、淡々と走り続けた。宮城、福島、茨城、千葉を走って、ある時大きな川にかかる橋を渡る際、向こうの方に話題のあるものが見えた。スカイツリーだ。川を渡ると「東京都」の県境の看板が現れた。やった!!ついに東京に来た。青森を出てからまずは東京を目指してずっと走ってきたのでとても感慨深かった。とりあえず本格的に冬になってもこれから走る所は大阪と同じくらいの寒さだろうから少しは安心な気がする(そうか?)。

東京はまず葛飾区の柴又に入った。おお、柴又といえば寅さんの街やんか。旅に出るまで「男はつらいよ」を見たことがなくて、沖縄のおじさんの家で初めて見て、こんなに面白いものを今まで見ていなかったとは!とショックを受けたもんだ。ちなみに沖縄のおじさんんの家でこれまた初めて「水戸黄門」体験をして、思ったより面白くて毎週けっこう楽しみにしておりました。

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そんな寅さんの街、柴又の近くに北海道で一緒に走った大学生チャリダーの英ちゃんが住んでいるので久々に再会し、ついでに家に泊めてもらえることになった。もう1泊させてもらえることとなり、翌日英ちゃんは用事があるらしく、僕一人で電車と歩きで東京下町散歩へ。向島あたりの下町をブラブラと歩いて喫茶店で珈琲飲んで、そのまま歩いて押上のスカイツリーの根元まで歩く。見物客もけっこういた、当時は建設中で497メートルであった。夕方に再び電車に乗って移動、しかし東京はどこの駅も人が多く街が栄えていて凄い。大阪の人間がこういうんやからホンマに。すっかりこの旅で銭湯好きになっていた僕が是非行きたかった「三助」さんがいてる銭湯へ。「三助」さん、風呂場で背中を流してくれる人のことですね、今はだいぶそういう人はいなくなったそう。番台で銭湯の料金と別の料金を払って、木で出来た手形を渡される。その手形を流し台の所においておくと、やがて「三助」さんがやって来て、僕の背中をガッシガッシと洗い流す。そしてその後は背中や肩の指圧。ははあ、なんか貴重な体験で面白かったー。
英ちゃんの家には結局3泊させてもらった、ホントにサンキュー!

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続きまして、同じく北海道で一緒に走ったコブの家へ。江東区にある彼の実家は伝統工芸「江戸切子」を代々営んでいて、是非見せて欲しいと北海道にいるころから頼んでいた。江戸切子はカットグラスというと分かりやすいかもしれないが、精巧な模様を切り込んだグラスやお皿などのガラス製品である。グラス一つでも手作業で切れ込みを入れていくため、ものすごく手間がかかる。その切り込みはおそろしく精巧で細部にまで到り、機械では不可能な領域なのかもしれない、日本人の技術と美意識がつまったガラスの結晶がこの江戸切子というものかもしれない。

コブとの久々の再会を祝して一献、切子のグラスで日本酒を飲ませてもらい、こんなイイグラスを使わせてもらって恐れ多いけど、このグラスで飲むとお酒がとても美味しく感じられる気がするのだ。コブもまた職人として修業中で、色々模索しながらやっているそうだ、単純な感想かもしれないが同年代ながらその道を極めていく姿勢、凄いなと思う。ちなみにコブの家で1泊させてもらえることになったが、家の人が「うちの家は狭くてねー」とおっしゃっていたので、「大丈夫っす!床で寝ますんで。」と事務所の床にダンボールをしいて寝袋で寝かせてもらった。寒い外でテント泊するのに比べたら床でさえもホテルにでも泊まっている嬉しさだ、ホントに。しかし大丈夫かオレ(笑)切子のグラスを一つ買わせていただいて、大阪の家に送った。時々これでお酒を飲んでいます。サンキューコブ!

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ネクスト、今度は大阪で一緒に働いていた先輩が東京で働いているというので再会することになった。お家の社宅は埼玉にある。1泊目、「お前、臭すぎるぞ!!」と言われ、シャワーを浴びる。この先輩はハッキリものを言うタイプですが、そんな臭いのやろか?今まではみんな黙っただけか。今までどれだけ匂いを発してきたのかこわいわ(笑)

翌日、仕事の先輩とは別行動で古本屋の多い神保町あたりをブラブラしてから仕事終わりの先輩と秋葉原で合流してアニメ系の本屋になぞ入ってみる。僕はちなみにアニメといえばルパン三世くらいしか見ませんです。先輩の家には2泊させてもらう、サンクスです!

さて次は、と。(まだまだ行きまっせ笑)西へと進み、国立に住むスワちゃんに会いにいく、スワちゃんも北海道で一緒に旅した仲である。

スワちゃん宅には3泊させていただきました。スワちゃんが学校休みの時は国立を散歩したり、電車に乗ってオシャレイな若者がたくさんいる吉祥寺を歩いてみたり。晩秋の東京を二人で歩くのはオダギリジョーと三浦友和主演の映画「転々」のようだ。スワちゃんの作るパンの朝食が男にしてはとても手がこんでいて旨い。お返しにと、スワちゃんが学校に行ってる間、ハヤシライスや鍋を作って主人の帰りを待っていたり、新婚生活かっての(笑)ありがとうスワちゃん!!

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はしご旅はまだ続く。長くなりそうなので今回はここまで(笑)

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11月8日420日目「鉄のつながり」岩手県・水沢

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盛岡から南下してきて、水沢という街にたどり着いた。水沢にはライダーハウスがあるようなので今日はそこに泊まろうと思う。

そのライダーハウスまでの道を確認するべく歩道で地図を見ていると、男性が僕に話しかけてきた。見上げるとファッショナブルでイケてる感じのお兄さんだった。そのお兄さん・ヨシツグさんは以前、僕のような旅人と関わったことがあるらしく、声をかけてくれたそう。話したいからご飯食べにいこうとなった。一旦ヨシツグさんと別れ、ライダーハウスばるかんへ移動。ライハに荷物を預け、迎えにきてくれたヨシツグさんと車で焼き鳥屋さんへ。ヨシツグさんの他に、仕事仲間の石川さんと、友達のカイト君の2人もかけつけ、4人で色々お話させていただいた。自分の旅のよもやま話に始まり、途中からはヨシツグさん達の熱き仕事論に移り、色々クリエイティヴな考えを持っている人達で、聞いているだけでとても刺激になる。

ちなみにカイト君の実家は、岩手の伝統産業「南部鉄器」の工場らしく、僕はものづくりの世界にも興味があるので、工場を見学させてもらえることになったのだ、これは凄い出会いだ。

翌日、カイト君の実家の工場、(株)及富へ。突然のことにもかかわらず、社長でもあるカイト君のお父さんが色々と解説をしてくれる。見学は2日に渡った。1日目は型から取り出した製品を研磨する機械や塗装の工程を。2日目は鉄を溶かして型に流し込む作業を見せていただいた。この鉄を溶かしたりの作業がとても迫力満点。あの固い鉄がトロトロの赤い液体状に溶けている、その温度は1400℃にも達しているそうだ。炉からは火花が激しく飛び散る場面もあり、従業員のみなさんがチームワークよく作業をこなすその光景はまさに「男の世界」であった。

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ちなみに1日目の時に、ヨシツグさんが新聞記者の方を呼んでくださり、見学中なぜか僕が色々とインタビューに答え、翌日の地元の新聞に、
「日本一周中の青年(刃物産地・堺市出身)が水沢の南部鉄器の工場を見学。鉄製品をめぐる“草の根交流”を楽しんだ。」
と掲載されました。インタビュー中に「そういや僕の街(堺市)は包丁が有名やから鉄同士でつながってますねー。」と何気なく言ったのが、記者の人にウケたらしくそんなことが書いておりました。

貴重なものを見せていただき、ヨシツグさん、石川さん、カイト君、社長さん、及富のみなさんに感謝なのでありました。

ちなみに記事の最後にはこうかかれてある。
「青年は奥州市を離れると、南下して年内に大阪に帰る予定だという。」

自分でそう言ったんやろうけど、年内に帰れるやろか。

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11月6日「秋の盛岡、そばとアートと珈琲を。」岩手県・盛岡

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青森より国道4号線を南下してきて、岩手の盛岡にたどり着いた。盛岡では絶対にやりたいことがあった。それは子供のころからの夢だった「わんこそば」。

盛岡にある数多くのそば屋の中で、有名な「東屋」さんへ。2階のお座敷に案内されると、同じ部屋ですでにサラリーマン風の男性が「挑戦」の最中だった、かなりのお椀が重なっているが男性は言葉を発せず苦しそうにそばを食べていた。それを見て「わんこそばとは過酷なものなのか・・・」とか思いつつ、自分のそばが用意されるまでとりあえず座って待つ。横の男性がギブアップ、150杯!!僕は思った、負けたくないと。

そんなこんな自分のそばが運ばれてきた。豪華な薬味が十数種類、机に並べられた。たくさんのお椀が乗ったお盆を抱えるお姉さんがそばに立ち、いざ挑戦スタート!!モリモリ食べる、モリモリ、モリモリ・・・。そばを入れてくれるお姉さんの掛け声がなんともキュート。ズルズル、「どんどん」、ズルズル、「もう1杯」、ズルズル、「がんばって」ってな感じで。結果、おとなりさんの150杯を越えたところでそろそろ限界・・・僕の記録155杯でした。100杯越えたので、賞状と手形をいただく。ちなみに15杯でかけそば1杯の麺に相当するらしく、155杯やからかけそば10杯ってことか?そんな食ったっけな(笑)満身創痍(?)で座敷に座っていると、同じくグッタリしているおとなりさんと目が合って、お互い微笑んだ。おとなりさんは実は台湾の方で、東北に旅行に来ているそうだ。これからの旅の予定を聞いてみると、ここからさらに内陸の聞いたこともない温泉地をはしごされるらしく、ここのわんこそばといい、なかなか日本人でもしないディープな旅をされているようです。そのあと、その台湾の方は気持ち悪さが抜けず、しまいに・・・あーちゃー。何が起こったかは言えません(笑)ちなみにわんこそばトライは3150円。この旅で1番高かった食事です。2番目はというと、大分・臼杵のフグ定食2800円、3番目に北海道・稚内で食べたウニ・イクラ・サケの海鮮丼1500円でした。

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「東屋」さんのそばと薬味、とても美味しかった。店員さんも雰囲気が良くてとても満足でお店を後にしました。

適当な所でテント泊をした翌日、盛岡をちょっと歩いてみるかな。盛岡城址の公園に行くと紅葉がすこぶる美しかった。北海道の紅葉と違って、こちらはお馴染みのモミジやイチョウ。関西と冷え込みが違うから、色付き方も断然凄い。モミジも素敵だけど個人的にはカツラの木が好きだ。天高く伸びて、葉っぱはフリルのついた丸いハート型が鮮やかに黄色く染まっている。イイな、この木持ち帰りたい。風が吹くと、落ち葉が空に舞い上がり、朝の太陽を受けてキラキラと光っていた。

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公園にいると、自転車に乗ったおじさんが話しかけてきて、そのおじさんと仲良くなり、
「盛岡を案内してやるからついてきな。」
と、街を案内してもらえることになったのだ。ちなみに昨日の台湾の方ともたまたまこの公園で再会しました、お互い良い旅をしましょう。

名所、旧跡をおじさんの解説つきで巡る。さらに盛岡にあるアートのギャラリーをいくつか回り、もともとギャラリー巡りが好きな僕としては終始ワクワクする街歩きでした。締めは珈琲豆専門店「クラムボン」のカフェスペースでまったりした。おじさん、楽しかったです、ありがとう。

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盛岡に何があるのか、来るまでは知らなかったけど、ひょんなことですっかりこの街を堪能しました。また再訪したい街です。

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10月29日410日目「ファーストキャンプ、翌朝の決意」青森

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28日に北海道・函館を出た僕は、いよいよ地元大阪への最後の旅を始めようとしていた。しかし旅先でのんびりグセがついてしまい、北海道を出るのがこんな時期になってしまったのだが、先日は函館でついに初雪を観測して、こらいかんとやっとこさ出てきたというわけだ。

さて、青森港にたどりついた僕は東へと向かい、適当な所で野宿することにした。今晩の寝所は海辺の公園で。幹線道路が近いのでトラックが夜中も通ってかなりうるさいが仕方がない。ではおやすみなさい。

翌朝。さ、さむっ!!寒い。あーこんな寒いんや。寝始めはなんともなくても明け方の冷え込みがきつい。だってもうすぐ11月やし、当たり前ですやん。これから下北半島をグルっと一周してから南下していく予定だったが、それはやめて、すぐさま南下することにした。もう言うてられん。さあ、行こか。

10月28日409日目「さらば函館、北海道」函館―青森

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約2カ月ぶりに函館に帰ってきた僕。少しゆっくりしたら、大阪のゴールに向けて南下の旅を始めようかと思っている。では北海道を出るまでの過ごした日々を簡単に。

10月16日、函館で仲良くなった地元の方達と会うべく、数日は滞在する予定。そういうことでまずスーパー魚長に行って野菜を買いまくってきた。ライムで出会った一人の自転車の旅人はニセコでホテルのアルバイトを探して越冬するという。僕も北海道で住み込みの仕事を見つけて越冬するか迷ったこともあったが、旅が長引いてもマンネリ化しそうなので、このまま大阪に帰ることにする。この日はライムライトにある大量のマンガの蔵書から「ハチミツとクローバー」をチョイスして読みふける。

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10月17日、シナチクさん達と近くのトレーニングジムへ行く。会員の人と一緒に行けば、会員でない人も100円で施設を利用出来る。僕の場合、体を鍛えるのが目的ではなく、その施設にあるシャワーを浴びるためについていくのである。ライムにはシャワー・風呂はなく、銭湯などで入る必要があるのですが、僕はなぜか色んなところでタダ風呂に入っていて、函館で風呂代にお金をかけたことがほとんどない。トレーニングジムでズンバのエアロビクスを踊っているオバチャン連中の機敏な動きにビビる、負けた。

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10月18日、知り合いの方と会う。ご飯を御馳走になった上、銭湯にも連れていって下さった。(ここでも風呂代ゼロです、申し訳ない!)

10月19日、ついに400日目。SPORTS ALPENで自転車の整備。お好み焼きを4枚焼いて、ほぼ一人で食べる。

10月20日、1週間分たまった日記を書きまくる。カフェ「ヒメジュオンハルジュオン」へ、お洒落で女性ごのみだけど、僕はもうちょっとブルースが効いた喫茶店の方が好きかもしれない。フと自転車で迷い込んだ、露天で野菜などを売っている地帯があった。安い、大きなナスが5本で100円、玉ねぎが3コで100円。なんぼか買って、ライムでシナチクさんに言うと、中島廉売という市場らしい。なんか大阪の下町チックで懐かしい感じがした。

10月21日、シナチクさんの車で鹿部ロイヤルホテルの温泉に入りにいく。雑誌のクーポン券を持っているのでここでもタダ風呂なのである。僕は1時間であがったが、シナチクさんとハコさんは2時間は風呂場にいたよう。風呂場で2時間も何やってるんですか?と聞くと、ハコさんに関しては風呂場にマンガを持ち込んでそこで読んでいるらしい、マンガは濡れないのだろうか?帰り道、七飯の小さな商店でソフトクリームを。オオオオオ、長い。店のカウンターに「クリームを店内で落としたら、掃除して2度とお売りしません。」と書かれてあった。

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10月22日、吉田商店にスープカレーを食べにいく。カフェ「MOSTREES」へ。古くて可愛らしい木造の洋館のカフェで、内装も落ち着いていてブルースを感じる。函館では一番好きな喫茶店かもしれない。ライムライト常連の姉さんが泊まりにきた。函館在住のこれまたライム常連の兄やんも遊びにくる。僕が20歳前に、当時思いをよせていた高校の同級生が住んでいた愛媛の松山まで夏に自転車で会いにいって、野宿した海辺で若者の花火グループにビビりまくったり、途中暑さで熱中症になり病院で点滴を打ったりしつつも、なんとか着いた松山で見事にフラれて、失意を胸にフェリーで大阪に帰ってきた話しが大ウケ(笑)

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10月23日、仲良くなった地元の人の家に2件遊びにいく。そのうち1件ではお昼を御馳走になり、お茶をいただきながらゆっくりさせていただく。姉さんと兄やんに連れられ、坂の上のカフェ「無垢里」へ、純和風でちょっと贅沢な気分を味わえる喫茶店です。夜はラウンドワンでカラオケ。

10月24日、おとついライムに来た、学校サボってヒッチハイク旅をしている高校生P君(学校行けよ笑)が、ジンギスカンの店「羊々亭」の2kgのお肉を1時間で食べきったら無料というチャレンジメニューのチラシがライムライトの談話室に張ってあるのを見て、「オレ余裕っすよ。」というからみんなでそのチャレンジを見に行くことにした。結果、残り4分の1くらいのところでペースダウン、そして店のマネージャーらしき人が嬉しそうにタイムアップをつげにきた。油がかなりキツイらしい、でも量的にはまだ入るとP君。食べきれなかったので4000円払うことに。残りのお肉はみんなで美味しくいただく。姉さんと兄やんでまたカフェへ。「Piece Peace」シンプル&モダンな雰囲気。

10月25日、もう3日前くらいから函館を出よう出ようと思っているのに、周囲の引き止めの声でなかなか出発しない意志の弱い僕。昨日チャレンジメニューに敗退したばかりのP君が、また違う店のチャレンジメニューに挑戦すると自分から言い出した。それは、函館周辺で有名なハンバーガーチェーンのラッキーピエロのとある店舗の予約制裏メニュー、2kgのトンカツ定食25分食べきり無料というもので、実は僕が7月にチャレンジして半分も食べきれず敗退している。そのメニューを聞いたP君、「え?楽勝っすよ。」とサラっという。てことで挑戦が決まり、それを見ずに出発は出来ないとまた連泊決定、なぜか周囲から拍手があがる。しかも挑戦は明日の夜なので必然的に明日も連泊が決定する・・・。

10月26日、北海道に寒波到来。そして・・・初雪降りました。ついに、雪降ったか(笑)いや、笑いごととちゃうで。居酒屋「ココ」で500円ランチ。昼過ぎに起きてきたP君、お腹を空かすため、近くの運動施設にみんなで卓球を。車でラッキーピエロへ。2kgのトンカツ定食、あらためて見るとやはりスゴイ、キャベツはマッターホルンがごとく盛られている。結果、またしてもあとちょっとのところで完食ならず。25分というのが短すぎるらしい、量的にはまだ食べられるとP君。君は将来大物になりそうだ(笑)ちなみに完食出来なかったので3000円近くのお会計、2回連続で可哀相なので、みんなでいくらかカンパ。焼肉もトンカツも残った分はみんなで完食。こんなことをしながらも、食べ物に感謝。帰りの車内、みんなひと仕事終えたような感じでしんと静かで、車は橋の上を渡り、街灯のオレンジが視界を流れていた。向こうに函館山が見えた頃、車内のラジオからABBAの「チキチータ」が流れ、妙に一人で感じいっていた。明日も寒波とか、また連泊やな。

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10月27日、何をするでもなく、連泊者達とのらりくらり。明日こそ出発かな?

10月28日、ついに出発する日がやって来た。青森行きのフェリーの出発時刻は11時半だった。出発の時間がせまるにつれ、まだゆっくりしたい気もしてくるが、いずれは出ねばならない。ゴソゴソと準備をしだす僕を見て、周囲から当然(?)のように引き止めの声がかかる。「今日も寒いよ。」「あれ?越冬するんだよね?(←オイ笑)」おまけにハコさんが、「よし、今日はコタツを出してみんなで鍋をしよう♪」というのには思わず意志が動きそうになったが、それでも出発を決意した。

そしてライムライトを出発する時が来た。みんな下まで見送りにきてくれた。函館、本当に楽しかった。ここには仕事で来ていないが、よく遊んだ兄やんに「ニャンチュウ、お前はこの夏俺が見た中で一番の旅人だよ。」と言われて少し誇らしい。シナチクさん、ハコさん、函館のみなさん、そして北海道、本当にありがとうございました、絶対また来ます!!

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僕は青函連絡船で青森へと渡る。いよいよゴールの大阪までのファイナルステージが始まろうとしている。

                        ―第4部 北海道の旅 完―

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差し込む窓辺に、冬の光。

10月15日396日目「ただいま。と言える街」八雲―函館

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13日朝に洞爺湖を出発し、僕は北海道旅のゴール地点である「あの街」を目指す。そう、僕にとって北海道のスイートホーム、函館だ。あと少しで着くとなって心が踊っていた。

10月13日、一緒にキャンプしたおじさんに挨拶して出発。湖の南側への移動中、対向車線を走っていた原付に荷物を積んで旅している男の子がコチラに気付き、声をかけてきた。
原付ボーイ「ニャンチュウさんですよね!?(←旅先ではこう呼ばれていました。)」
僕「お?おう!!」
あれ?誰やったっけな?北海道は出会いが多すぎて、たまーにこういうことがある。おそらく帯広の「カニの家」にいたたくさんの旅人の中の一人やと思うんですが。とにかく僕のことを覚えていてくれたことは嬉しく、一応こっちも知ってるフリして(笑)彼とトークした、良き旅を!

それからまた走っていると、
「パーン!」
ん?何か踏んだな?と思うと、アーアーアーパンクしてるよ。ちょうど湖の南側の温泉街に着いたころだった。よく旅先で「パンクしたらどうすんの?」って聞かれますが、当然ながら自分で直します。スムーズにいけば30分くらいで完了。自転車に荷物を大量に積んでいるのでそれを外すのが少しホセ・メンドーサ(面倒さ)。昼飯を食べてから、湖のほとりでパンク修理。穴をふさいで空気を入れるが、すぐに抜けてきた。アレアレ?もう一度調べると、修理の際、別の場所にまた穴を開けてしまったよう。あーもうホセ・メンドーサ(もうエエっちゅうに笑)。思ったより時間がかかった。なんかもう走る気ないなってきたな。もう今日ここで終わろかな?と思ったけど、走り終えるにはまだ早い時間だったので、僕は洞爺湖を後にしてさらに南へと向かった。

洞爺湖から南へ走ると、やがて海沿いの国道に出た。海!なんか久しぶり。そうか、帯広以来ずっと内陸側走ってたから海はなかったんや。この旅では基本的に海に近い道を走ってきたので、1カ月近くも海を離れることはなかったのである。

この日は豊浦のキャンプ場で泊まることにした。水平線に沈む夕日を見届けてから、夕食準備開始。最近になってキャンプがとても楽しく感じるようになってきた。今日は何を作ろうか?米を炊きながらギターを弾いて、食後は熱いコーヒーをすする。心が落ち着く。この日は前にトラック野郎にいただいたジャガイモがあったので、それにモヤシ、長ネギ、白身魚を加え、インスタントの味噌汁で煮込んでみそ鍋にした。最後はうどんでしめる。また自炊だけの話も書いてみたいと思います。わけのわからん料理も作ったりしてたので(笑)

10月14日、むほー寒い!ありたっけの服を着込んでも、朝方はどうしても冷えてくる。ラムヤートで買ったパンと、温かい生姜湯を入れて朝食。今日もグイグイと函館に近づくぜ。今日は静狩峠を越えねばならない。まあそんな大したことないやろ思ってたら、どっこいけっこうしんどかった。一つだけかと思っていた峠は実は3つくらい連なっていて、最後はお腹がペコペコになってヘロヘロになりつつも長万部の街にたどり着いた。おしゃまんべ!!ヤバイ、めっちゃ久しぶり。7月に函館を出発して長万部経由でまた函館に出戻りしたことがあるので、この街を通るのはこの旅で4回目となり、すっかりお馴染みの街になっていた(でもカニめしは一度も食べたことがない)。腹が減りすぎてて、気が付いたらコンビニで100円のパンやらおにぎりを800円分食っていた(どんだけ笑)

さらに走って今日は八雲で1泊。途中、夕日をバックにススキの海が煌いていた。「焦燥感」という言葉が頭に浮かんだ、季節は駆け足で巡るのか。

10月15日、八雲を出発。さあ、今日はいよいよ函館まで帰るのだ。手始めに国道5号線を森町まで走る。さらに歩を進め、函館まであと20kmという所まで来た。このまま函館まで行きたいが僕はある交差点で左に曲がり、大沼の方面に向かう。2日前に豊浦のキャンプ場で知り合ったキャンパーのおじさんが、大沼のキャンプ場にいる知り合いの人に伝言をして欲しいと頼まれたので、人助けと思って引き受けることになったのだ。大沼のキャンプ場まで片道10kmほどあるので往復20kmか、引き受けたもののちょいと面倒臭い。

キャンプ場にたどり着いた。そこで見た大沼の景色に驚いた。静かなる水面が空の全てを映し出し、幻想的な景色を作り出していた。この風景を見たというだけでここに来て良かったと感じた。肝心の用事も、それらしき人を見つけて豊浦で会ったおじさんの言伝を伝えることが出来た。しかしここのキャンプ場、とても快適そうで、思わずここで1泊していこうかと思ったが、早く函館に帰りたい気持ちが勝り、僕は再び走り出した。

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七飯の街を通り、函館市に入った。だんだんと見慣れた景色になってくる。そして、ついに、スイートホーム「ライムライト」に到着!!か、帰ってきた。階段を上がり、2階の談話室へ。するといつも通りシナチクさんとハコさんがいて、僕を見るなり、
「あ、おかえりなさーい。」
といつもの力の抜けた感じで言ってくれ、全身から力が抜けるほどホッとした。「ただいま。」と言える街。僕はこの旅でたくさんではないけど、「ふるさと」と呼べる街をいくつか作ることが出来た、それはとても幸せなことだと思う。それから僕は夕食をするべく近くのラッキーピエロに行き、シナチクさんにもらった折り込みチラシで30%オフになるカレーライスをほおばると、疲れてそのままイスでウトウトしてしまった。

さて、「少し」ゆっくりしたら北海道を出るとしようか。ホンマに「少し」か?この街が君をそう簡単に出してくれるのかい?うんまあ「少し」ね。

10月12日393日目「振り返ればダブルレインボウ」喜茂別―洞爺湖

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喜茂別を出発した。空気はひんやりとしていて、近くの川には朝靄がかかり、その周りの林まで白く包んでいた。今日は洞爺湖を目指す。距離的にはなんら大したことはない。空は白く曇り、辺りは湿り気を帯びた秋の情景を見せていた。長イモ畑も葉が黄色に染まり、収穫の時期も近いよう。

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なんなく洞爺湖に着いた。僕が最初に着いたのは湖の北側、民家やお店もポツポツとあり、とてものんびりとした所だ。キャンプ場もかねた湖沿いの公園があり、そこでスパゲティをゆがいて市販のソースとからめる。さっき買ったラムヤートという近くにある天然酵母のパン屋さんで買ったクルミとレーズンのパンを軽く焼いてスパゲティと一緒に昼食にする。パンはほどよく酸味があり、かみしめるほどに旨みがジュワーっと口の中に広がり、なんともいえない幸福感を感じる。湖の南側に泊まってみたいライダーハウスがあるので今日の移動はほぼ終わり。鹿児島で買った瀬戸物のカップに熱いコーヒーを入れてゆっくりと湖を眺める。湖は薄く霧が立ち込めていて、幻想的な景色を見せていた。

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そんな一人でまったりしている僕に初老の男性が話しかけてきた。僕のような旅人と話すのが好きだそう。今日ここでキャンプをするらしく、「お前もここで泊まっていかんか?ウマイもんくわしてやるぞ。」とキャンプをすすめてくれたが少し迷ってしまった。おじさんの話も面白いし、素敵なキャンプ場なのでイイだろうなとは思う。ただ頭の中で最初から今日は南側のライダーハウスに泊まる予定だったので、悩んだ結果、南へ移動することにした。おじさんに移動することをつげると、
「そうか。」
と表情を浮かべず言って、僕は少し引っかかる気持ちでキャンプ場を後にした。キャンプ場を出て走っていると小雨がパラついた。雨はすぐやんだと思うと前方の雲のすき間からまぶしい太陽が現れた。もしや、と思い僕は自転車を脇に停め、後ろを振り返った。

大きな虹がかかっていた。しかもうっすらともう一つの虹、ダブルレインボウや。

僕は決意した。やはりおじさんの所へ戻ろう、一緒にキャンプをしよう。虹が僕を呼び戻してくれた気がした。

キャンプ場へ戻った僕はおじさんに、やっぱりここでキャンプすることをつげると、
「飯食いたいから戻ってきたんだろ?」
とニヤリと笑った。ハハ、まあ確かにそれもある(笑)

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テントを張って、近くの丘の上にある温泉で3日ぶりの風呂に入る。夜になって僕は米をたき、おじさんはニシンとサンマを炭火で焼く。おじさんが持ってきた焚き火台では炭が熾火となって静かに紅く燃えていた。それを眺めながら心静かに焼酎のお湯割りをチビリチビリと飲む、イイ時間だ。予定通りにいかない旅、予定をあっさり変えてしまう旅、ええやんか。それをしたくて僕は旅に出たんやから。雨が降ってきたので片付けて解散。自分のテントにもぐりこむ。テントの屋根を雨が打つ音が、心地よいBGMに聴こえていた。僕はそれを聴きながらいつのまにか眠りについていた。

翌日の朝、天気はすっきり良くなり、おじさんに挨拶して今日も自転車を走らせる。

次回、ついにあの街に戻ります。

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10月11日392日目「北の大地、秋を極める。」札幌―中山峠―喜茂別

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前日、僕は札幌入りした。以前札幌に着いた時に予約の段階で満室だと断られたライダーハウスに今回はちゃんと泊まることができた。普通の民家で2階の一室をライダーハウスの寝室にしている。オーナーさんに「今日は女性の方が1人いてるから」と言われた。部屋は男女相部屋。寝袋敷いて寝てくださいねとオーナーさん。その女性は荷物だけ部屋に残して姿は無かった。僕は外で夕食を済ませ、12時くらいに寝袋にくるまったが、まだその女性は帰ってきていなかった。

朝、目が覚めると茶色の髪の女性が同じ部屋で寝袋で寝ていた。おお、日常ではありえない状況やなと少しドキドキしつつ再び二度寝。朝7時体を起こすとその女性も起きたよう。ドキドキのファーストコンタクト、するとその女性から思わぬ一声。
女性「ミノ君だよね?」
僕「あ。」
なんと知り合いの人だった。(こんなん多いね笑)しかも遠く離れた九州の阿蘇ライダーハウスで知り合ったライダーの方。北海道に実家があるらしく、帰省の途中だったのだという。ところで僕のカバンには「ひこにゃん」のぬいぐるみがついてある。ツライ時には「ひこにゃん頑張ろや!!」と一人でブツブツぬいぐるみに話しかける僕は24歳の青年です、同年代の子はみんな立派に働いております、ハイ。で、昨夜ひこにゃんのぬいぐるみを見たそのお姉さんは、コイツは・・・と思ったそうなのである。ちなみに昨夜は一人で居酒屋で飲んでいたそう。姉さんもなかなかやりますな。

そのお姉さんと記念撮影して僕は札幌を出発した。今日はビッグな旅になりそうである。なぜなら洞爺湖方面を目指すにあたって、「中山峠」という標高差800メートルを越える大きな峠を越えなければならないからだ。

しばらく走ってゆるやかに登り始めた。もう10月も中旬にさしかかろうとしていて、山は秋の色に染まっていた。中山峠は紅葉の名所でもあるらしく、この日は日曜日だったので峠へ向かう道は紅葉目的の車で渋滞していた。まあ自転車なので渋滞にはあまり関係なく渋滞の横を走りながら、頑張って自分の足でこいでる者の特権やなと、顔には出さずに心の中でニヤニヤしていました(やらしいな笑)。

定山渓からさらに上へ。ところで紅葉の木といえば赤はイロハモミジなどの楓系で黄色はイチョウといった感じだろうか。モミジの紅葉のイメージといえば、繊細で優美、神社仏閣との和の調和。しかし僕が中山峠で見た紅葉は本州の紅葉とは全く違うものだった。繊細な本州の紅葉とは違って中山峠のそれはダイナミックだ。赤はナナカマド、黄色は白樺、そしてエズマツなどの常緑樹の緑、それらの色が混じり合い、山はモザイク模様に彩られ、圧倒的なスケールで視界全てに広がっていた。山々を見晴らせる展望所で、僕は感動のあまりしばらく立ち尽くしていた。

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さらに峠を登っていく。勾配はさほどキツくないが、高さ800メートルとあって距離は長い。それでもついに、峠の頂上に到着!!ツール・ド・フランスでステージ優勝を果たした気分で一人感動のガッツポーズ。揚げイモを食べながら、羊蹄山を眺める。

峠を下ると喜茂別にたどり着いた。小さな川にかかる橋の上に立ち、暮れなずむ空と羊蹄山を見ていた。すると後ろから
「お兄さん旅がんばって~」
と通りかかった車から若い女の子が応援してくれた。僕は親指を立てて女の子に向かって笑ってその手をかざす、アホか。しかし最近、夜キャンプすると寒くなってきた。早く南下せんと。

10月10日391日目「トラック野郎と同行10kmの旅」深川―岩見沢

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富良野、美瑛、旭川と少し北へ登り、いよいよ北海道旅を締めくくりに入るべく札幌・函館方面へ南下しようとしていた。その朝、僕は朝飯を買うためコンビニに入った。その時の僕の容姿と言ったら、モサモサの長髪に1カ月に1回ハサミで切るだけの無精髭、しかもなぜかギターを担いでいるという怪しさ満点の姿であった。そのいでたちからよく「フォークシンガー」「ヒッピー」「ギターを持った渡り鳥」と、出会った人に言われていました。

で、コンビニをウロウロしていると突然、
「兄ちゃん、お前格好イイな。」
と声がした。誰ぞ私を呼ぶアルネ?(何キャラ?)と振り返るとおっちゃんが一人立っていた。そのおっちゃんは僕に興味を持ってくれたらしくこう続けた。
「俺トラック乗りなんだけどよ。これから南に行くけど良かったら乗ってくか?」
僕は少し考えた。旭川から札幌までは100km以上国道12号線を走っていくのですが、この道は交通量も多く、景色もさほど期待するものではないと聞いていた。さっさと札幌まで着いてしまいたかったし、自転車乗りとしてプライド丸なげで、
「じゃあ札幌までお願いします!!」
と頼んでしまった、ってあんたタクシーやないんやから。

そのおじさんには相方さんがいて、自転車を積み込んで3人でのトラック旅が始まった。まあしかしこのおじさん、キャラが濃い。失礼な言い方ですが、あまり人の話は聞かなそうな押せ押せタイプ。何を考えてるのか予想がつかないのでちょっと気疲れしそうな感じです、南の島ではよく今日のようなおっちゃんと出会ったな、みんな心は優しかったのですが。そんなこんな車内でおじさん独壇場のぶっちぎりトークが炸裂。都合良く誘いに乗ってしまったことを若干後悔しはじめていた、まったく自分勝手やな、俺。相方の人は温厚な性格だったので正直ホッとした。

10km走ったか走ってないかで、トラックは整備工場のような所で停った。
「トラック塗装に入れるからよ。車乗り換えるんだ。」
は、はあそうなんですか?と僕。自転車をトラックからおろして、これから乗る車へとおじさん達と向かう。その車はセダンだった。僕は思った。
「絶対自転車入らんやん。」
・・・そして案の定、入らなかった。おじさんはどうしようか考えている。僕はとっさに言った。
「あのお、無理に入れて車傷つけたらいけないし、僕もう自転車こいで行きますよ。」
と言うと、「あ、そうか。」とおじさん笑って、あっさりトラック野郎2人との旅は終了した。

僕はまた一人で国道12号線を走り出す。一人になってやっぱりちょっとホッとした。都合のイイ自分を少し反省しなければいけないが、おじさん達の優しい心づかいには感謝でありました。10km進めたし(笑)

この日は岩見沢まで走りました。

【写真】2010年10月初旬「風は大地を秋に染める。」富良野ー美瑛

帯広を出た僕は、北海道の中でここは絶対行っておきたかった富良野と美瑛に向かった。

そしてそこで見た景色は、これぞ北海道と思わせてくれる素晴らしいものだった。すでに10月初めとあって木々も色付き初め、北の大地は秋のカラフルに彩られていた。

景色だけでなく、人との出会いもたくさんありました。特筆すべきエピソードはないのですが少し箇条書きでご紹介すると、

・沖縄で出会った、富良野在住のおじさんと再会して、自宅で2泊させていただいた上、車で十勝山脈の温泉に連れていってもらったりした。地元のスナックにも連れていってもらって、周りの平均年齢に合わせて昭和の歌謡曲を歌いまくっていると(星降る街角とか五番街のマリーとか)「お前何歳だよ!!」とツッコミをいただいた。

・美瑛に到着。ライダーハウス「蜂の宿」がとても居心地が良かった+雨の日が少し続いた+美瑛の景色が最高だった、日本とは思えない。+なぜかライダーハウスの改装も手伝った+帯広で出会った旅人とバッタリ再会して2ケツでプチバイク旅=美瑛に1週間滞在した。

アンタ、ホンマに寒くなる前に北海道出る気ありまっか(笑)

ではハイライトをどうぞ。

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映画「鉄道員」の舞台の駅にて。一人で健さん気取り。

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空に続く道。

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GREEN×SKY BLUE×a few SAND YELLOW

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北の紅葉

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愛を込めて、夕暮れ。

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こんな景色にずっと出会いたいと思っていた。

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strange BLUE

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カレーとギター

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空に続く道2

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バイク旅


風は「絵筆」なのだ。キャンバスをなぞるように、その季節の色を塗り替える。あたたかな春の風は、優しい黄色や萌木色。爽やかな夏の風は濃い緑と青い空。涼しい秋風は暖かく少しせつない赤や黄色の暖色系、そして冷たい冬の風は、草花を枯れた黄色に、そして白く、時折青く。北の大地でフと感じた、秋と旅の風。

9月16日367日目「本日も、イモ掘り日和。」帯広

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~前回までのあらすじ~
帯広のライダーハウス「カニの家」に着いて旅仲間2人と再会、その2人は帯広の農家でアルバイト中。誘われるがまま、僕もアルバイトに参加することになったのだ。

スワちゃんも誘ってみたが、大学のなんちゃらで東京に戻らないといけないらしく、ボチボチ苫小牧を目指してフェリーで帰るそうである。一緒にいたのはたった5日間だけど、まるで何年も付き合いのある友人のような気がする。スワちゃんに限らず、この旅ではそう思うことは何回もあり、旅での出会いは何か人と人をつなぐ不思議な力がある気がしてならないのだ。東京でまた会おう、ありがとうスワちゃん!!

さて、帯広に着いた翌朝は早速5時起きなのであります。農家の方に軽く挨拶を済ませると、もういきなり機械に乗り込み作業開始。畑を見てビビった、とんでもない広さのジャガイモ畑。「ハーベスト」というイモを掘る機械の前に運転手と、後ろに4人が乗って作業をする。機械が堀上げたジャガイモがコンベアーにながれてくる。4人のうち僕が担当したポジションでは、コンベアーにイモに混じって泥の塊が一緒にゴロゴロとながれてくるので、その泥だけをつかんでとにかく外にかき出す。かき出す。かき出す!!もうほとんどゲーム感覚、モグラたたきと同じね。こればっかりやってたらかなり動体視力が鍛えられそうだわ。泥の量がすごいので常に手は回転しっぱなし、けっこうハードです。作業は朝6時から始まり、お昼までにおやつ休憩1回、お昼休憩、そして午後もおやつ休憩があって夕方5時ごろ作業終了。

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ジャガイモ以外にも大根や玉ねぎ、長イモなども出荷しているこの農家さん。敷地面積はなんと東京ドーム10個分あるんだとか、もうよく分からんし(笑)とにかく広い。他の農家さんの敷地も含めて、畑がどこまでもどこまでも続くその景色は圧巻だ。そんな広い畑だから機械もすごい。イモや大根を掘る機械があること自体衝撃でしたが、大根の機械にはなんと10人も乗り込んで作業をします。抜かれた大根が行列になってぶら下がってる様子はまるで「大根工場」のごとくです。(写真ないので分かりにくいですが。)その中で僕が経験したのはイモ掘り、大根掘り、長芋畑の雑草とりでした。

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アルバイト中の生活ですが、ここの農家さんは毎年こうして旅人を雇っているらしく、家の横に男女別のプレハブ小屋を用意されていて、そこで生活をする。炊飯器、冷蔵庫、電子レンジなども用意されていて、あとは自分達のコンロでみんなのご飯を一緒に作って食べていました。ところで、いくみちゃん、中村ハンに加え、もう一人知り合いの旅人も加わった。彼の名、「仙人」(長髪で髭をたくわえたその姿でそう名付けられた)も日本一周中のチャリダーで、僕とは阿久根、阿蘇、青森、函館、そしてこの帯広で再会している縁深き旅仲間なのである。4人一緒に畑で作業して、同じ釜の飯食って、笑って、まるで結束力のある部活の友達のような感じ。僕がここで過ごしている時間というのは心から素晴らしいものだとその時感じている。旅仲間だけでなく、農家さんのご家族やお手伝いにきている地元のおっちゃんおばちゃんお兄さん達とも仲良くさせてもらって、僕はこの大地と大きな輪の中に抱かれているような感覚だった。

雨の日や、土の状態が悪い日は休みになる。そんな日は数km離れた「カニの家」に遊びに行って旅人と交流したり、プレハブ小屋に引きこもって日記書いたりギター弾いたり、親方とジンギスカン食べにいって、そこでみっちり人生のご説教をいただいたり(笑)

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それにしてもここの景色は本当に素晴らしかった。先にも述べましたが、どこまでも続く広大な畑。ずっと向こうにそびえる十勝山脈。ズラっと立ち並ぶ防風林のエゾマツ。さえぎるものが一切ない大空、朝日と夕暮れ。ここはまさに僕の、北海道の「こころの風景」といえる場所なのです。

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そんなこんな、実質働いた日は6日間だけでしたが、天候の関係で帯広には2週間ほど滞在していた。中村ハンは一番先に出発して、いくみちゃんと仙人はもう少し残るらしく、僕もまだ働きたい気持ちはあったけど、なんぼなんでも寒くなったらいけないので9月の終わりに出発をすることにした。仲間と農家さん達にお礼を言ってお別れをする時には思わず涙が出そうになったなあ。

さて、また旅をするか。

(追記)you tubeに大根掘りの動画ありました。機械のタイプが違いますが「大根行列」の感じが分かると思います。

9月15日366日目「2年目のアホンダラ」豊頃―帯広

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旅の連れ、スワちゃんと僕は帯広へとやって来た。室戸岬に行かず、帯広へやって来たのは、このまま美瑛や富良野に行きたいからというのもあうし、帯広にはこれまで何回か会っている旅仲間が僕の旅立ち1周年を祝おうと待ってくれているからである。

待ち合わせ場所は帯広のライダーハウス「大正カニの家」。ここのすごい所は無料にもかかわらず、建物は立派なログハウスで、中も清潔でシャワーも浴びれる道内屈指のライダーハウスなのである。帯広市の観光事業の一貫でこのライダーハウスを管理しているようですが、なんとも有り難い。連泊は3日までとか、ミーティング&掃除などのルールもあるけど、みんな気持ちよく利用するためにはあった方がイイでしょうね。

先に僕たちがライダーハウスに到着して、夕食の準備。台所もあるので今日はちゃんとしたもの食おうと、野菜がたっぷり入った麻婆茄子、大根マヨサラダ、冷や奴、ご飯、う~ん健康的だわ。そして知り合いの旅人がカニの家にやってきた。その2人、いくみちゃんは原付で旅する女の子。阿蘇ライハで出会い、函館のライムライトで再会している。もう一人、ライダーの中村ハンは倶知安のキャンプ場で仲良くなり、留萌のライダーハウスでも再会している。そんな2人がどこで知り合ったか忘れたけど、現在帯広の農家でアルバイトをしているそうなのだ。

再会と、そして僕の旅立ち1周年を記念して(?)みんなで宴会。1年か・・・長かったような短いような。でも確実にこれまでで一番濃い1年を過ごしてきたことだけは分かる、というか濃すぎ(笑)1年無事に旅が出来て本当に感謝だ。

そして話の成り行きで明日からいきなりいくみちゃんと中村ハンと農家で一緒にアルバイトをすることになったのだ(!)ア、アンタもう9月の半ばやいうのにそんなことしとって大丈夫かいな?北の大地は寒くなるのも早いのに。もちろん長居するつもりはありませんがちょっくらジャガイモ掘ってまいりやす。次回は農家アルバイト編です。

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9月14日365日目「僕はやっぱり大楽毛」釧路―豊頃

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根室のトイレで仲良くなった・・・と書けばおかしな響きだが、たまたま入ったトイレの中でお互い旅人と分かり、意気投合して一緒にしばらく走ることになったのがスワちゃんという大学生の青年である。根室を出た僕たちは帯広に向けて西へと走っていた。

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2人で走っていると、前を走っていた僕に後ろからスワちゃんが、
「なんか前に旅人が走っていますよ。」
と言って、よく見るとずっと前の方に自転車をこいでいる男の子が確認できた。スワちゃんも、僕と同じく出会いを楽しむ人間だ。僕は、
「(スワちゃんは)追っかけたいんやな。」
と思って、スピードを上げて彼に追いつこうとした。・・・がなかなか追いつけない。むこうもけっこうな速さで走っている様子。僕よりタイヤが細いロードタイプの自転車にのってるスワちゃんが前に出て、僕を牽引するように走り出した。

そしてなんとかその彼に追いつくことができ、まずはスワちゃんが話しかけた。3人自転車をとめて、声をかけられたその青年は、
「ああ、どうも。」
と、大して笑いもせずボソッと挨拶をした。この時僕は、
「あれ?反応悪いな。」
と思ったのですが、スワちゃんは意気揚々と、
「釧路までもうすぐだから一緒に走りませんか?」
と彼を誘って、3人で釧路の街まで走ることにした。

釧路についた僕たち。大きな商業施設の前で自転車をとめて、さっき知り合ったばかりのI君と話をした。僕とスワちゃんは今日キャンプをする予定だった。I君は釧路にあるライダーハウスに泊まる予定だという。しかしその時、スワちゃんのテンションは意外なほどに高かった。
「よかったら僕たちと一緒にキャンプしない?鍋作って食べましょうよ!」
とスワちゃん。しかしその時の彼の顔色を見る限り、あまりノリ気なようには見えなかったが、スワちゃんの熱意に押されて一緒にキャンプすることとなった。彼の予定を変えてしまって良かったのだろうか?と僕はこの時から少し心配していた。

スーパーに食材を買いに行く。その時のスワちゃんはなぜかめちゃめちゃテンションが高かった。
「なんかすっごいワクワクしますねえ。」
とスワちゃんはI君に同意を求めたが、返ってきた言葉は、
「え?オレ普通っす。」
と半笑いを浮かべながらそう言った。僕はますます心配になった。彼をさそって本当に良かったのだろうか?

キャンプ地で僕たちは買った食材でキムチ鍋を作った。野菜と肉がたくさん入って、最後は卵も入れたおじやでしめた。この時の鍋がめちゃめちゃ旨くて、スワちゃんはもちろん、この時はI君もイイ顔をして食べていた。

翌朝、I君も僕たちと同じく帯広へ向かうというので、帯広まで一緒に走ることになった。僕は彼への心配をスワちゃんに言うと、昨日テンションの高かったスワちゃんもなんとなく気付いていたようで、
「もしどうしても僕たちと行動するのが嫌そうでしたらどこかで彼とお別れしましょうか。」
とI君のいない所で2人話し合った。

そして僕たちは帯広へと走り出した。3人は縦になって、最初僕が先頭になって走る。ちなみにI君は1日150kmくらい走ってしまうなかなかの豪脚。僕とスワちゃんが昨日走った距離でだいたい100kmくらい。僕とスワちゃんなら無理のないペースでのんびりと走るのですが、後ろから、何となく鬼気迫るといえば大げさだが、速く走らないといけないようなプレッシャーを感じて僕はいつもより頑張った。が、それでもI君からしたら遅かったようだ。I君は「今度は僕が前に行きます。」と言って僕の前に出ると、俄然スピードが上がった。僕は必死についていく。

そんな時、道の脇にある地名の看板が見えて一瞬胸が踊った。その地名は「大楽毛」と書かれてあった(「おたのしけ」と読みます)。お、大きい楽しい毛!?なんてお楽しげな名前!!(笑)自分の笑いのツボにど真ん中だった。(失礼だったらスイマセン。)スワちゃんだけなら声をかけてとまってその看板の写真を撮るのだけど、この時はそんなことでとめたら舌打ちをされかねない雰囲気だったので、そのまますぐに通り過ぎることになった。
「ああ・・・。僕の大楽毛が・・・。」
とものすごく残念な気持ちで僕はI君のペースについていった。

20~30km走ったところで道の駅があり、少し休憩した後また走り出した。この時の3人のポジションはI君、スワちゃん、僕。相変わらずペースは早い。僕はついていくのが必死でとても周りの景色を楽しんでいる余裕などなかった。だんだん思ってきた。
「これ何が楽しいんや?」
景色を楽しみながらのんびりいくのがツーリングの醍醐味と考えている僕にとっては、ただ距離を走るだけの旅に意味を感じなかった。人の価値観はそれぞれだから否定する気は全くないけど、僕はそうじゃない。スワちゃんとI君は同じロードタイプの自転車で、僕よりも半分ほどしか荷物を積んでいない。体力の差もあるかもしれないが、必然的に彼らの方がスピードが速くて当然なのである。だんだんヒザのあたりが悲鳴をあげてきた。これ以上頑張ったらヒザが壊れる。頭の中でも正直どうでも良くなっていた。
「もうエエわ。あとは2人で頑張ってくれ。」
僕は無言でペースを落とし、どんどん距離が離れていく2人をゆっくり見送った。

それからしばらくして、ずっと向こうの道端にチャリダーが一人たっているのが見えた。近づくとスワちゃんでI君の姿はそこにはなかった。スワちゃんは特に表情を浮かべずに、
「彼とは別れました。」
と言った。スワちゃん、あの後必死でI君についていったそう。だがスワちゃんは思った、彼は僕たちをひきちぎりたくこんな速く走っていると。スワちゃんはI君に声をかけ、たぶん言葉を選んでI君を開放するように別れを言ったのだと思う。スワちゃんの話だと、その時のI君は今までにない笑みを浮かべて一人また走っていったという。

また2人になった僕たちはこんな会話をした。
僕「やっぱり彼はオレらと行動するのイヤやってんなー。悪いことしたな。」
スワちゃん「そうですねー。でも一番最初に彼を見つけた時にニャンチュウ(僕のことです)さんも追いかけるから・・・。」
僕「え?だってアレはスワちゃんが彼と話したいと思ったから追いかけてんで?」
スワちゃん「違いますよ。僕は『あそこに旅人がいますね。』って言っただけで、追いかけようとは言ってませんよ。」
僕「何やそれー。ほんなその時点で勘違いしとったんかー(笑)」

まあこんなアホな会話がなされたが、I君に悪いことしたという点では2人とも一致している。人には人の旅がある。人や景色の出会いを楽しむ僕とスワちゃんがいれば、I君のようにロンリーウルフな性格で淡々と走るのが楽しい旅人もいるってこと。

僕たちはまたのんびりと走り出した。左には海が陽光を浴びてキラキラと光っていた。さっきは気付かなかった景色だった。お昼休憩後、まだそんなに走ってないけどスワちゃんが、
「ちょっとコンビニよってもイイですか?」
というから近くにあったセイコーマートに立ち寄った。スワちゃん、用事も終わり今度は僕がこう言った。
「なあ、アイス食べよや。」
もうこの時点で今日目指していた帯広まで頑張ろうという考えは2人にはなかった。
「やっぱ旅はこうやないとねえ。」
アイスを食べながらスワちゃんと笑った。ああ、そういえば「大楽毛」は写真撮れなくて悔しかったなあ!!(笑)僕はやっぱり大楽毛なのである。

オマケの話。I君と別れる前に休憩で立ち寄った道の駅には、観光地によくある顔をハメ込む記念写真用のパネルがあった。写真は出せないけど、パネルにはまったI君の顔は、その時の状況からして意外な程にはっちゃけた笑顔をしていた。実は彼は僕たちとの行動を楽しんでいたのか、単にヤケクソで笑ったのか、やっぱり後者の方なのでしょうかね(笑)

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9月9日360日目「おそらくこの旅最大のピンチ」道東地方のとある場所

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「ヤバイ。この状況は絶対ヤバイ。」

何が起こったのか?


屈斜路湖を離れた僕と英ちゃんは東の摩周湖に向かった。摩周湖といえば「霧の摩周湖」と言われるくらい、よく霧が発生して湖面が白くなって見えないことが多い。「霧の~」を見るのもある意味オツかもしれないが、やはり晴れ渡ったピーカンの湖面を見たいというのが人情だろう。霧のない晴れた日の摩周湖、それは青くて美しいとどこかで聞いた。オホーツク海沿いを走っていた時は曇りや雨の日が多かったが、昨日からは天気も回復して今日に関しては快晴に近い良い天気。もしかしたらという希望がわき、僕たちのワクワクは最高潮に達していた。

屈斜路湖と摩周湖の間にある川湯温泉で、午前中だというのにこの日3回目の温泉に入ることにした。共同浴場(250円)、酸性が強めの温泉、旅先で色々温泉に入ったけど、なかなかここもイイ湯でした。地元のオッチャンがいらして、今日の天気なら湖見えんじゃねえかと太鼓判をいただいた、よっしゃ。

そしていざ摩周湖へ。湖へはガッツリ登り、しかもけっこう長い。ゼーハー言いながらも、ついに摩周湖へ到着!!湖のよく見える展望台へゆるい階段を登る。すでに横には湖が見えるはずだが、あえてまだ見ない。ショートケーキのイチゴは最後にとっておくもんよ。

その場所へ来た。ゆっくりと湖を見てみる。すると・・・

おお・・・おおおおおおおお!!!!!

北海道 (64)


きたーーー!!!摩周湖ブルー!!!なんちゅー青さ!!なんちゅー美しさ!!
この時の喜びといったら高校2年生の時に初めて行ったジェームス・ブラウンのライブに匹敵するほど。(よく分からんし笑)頑張って自転車こいできたから喜びも数倍増しです。

さて、ここで英ちゃんと別れることになった。彼は知床へ、僕は内陸部を通って根室方面へ向かう。彼は東京に住んでいるので、また会うことにした。ガッツリと握手を交わし、それぞれの道へ。3日ほど行動を共にしたが、一人になった時は少し寂しかった。一人旅が好きだけど、感動を共有できる人がいるというのもとてもイイもんだ。

僕はこの日、目指している場所があった。そこは丘の上にある展望台で、その展望台付近にキャンプ場があり、そこから見る星空が最高だと、旅の途中でもらった数年前の北海道のツーリング本に書いてあったのだ。(※ちなみに現在キャンプ場ありませんので!!あとから出てきますが。)

その場所へ向かう。が、思ったよりけっこう遠かった。日も暮れてきたのにまだ20kmくらいある。北海道の自転車旅において暗くなってから走ってはいけないのは鉄則だ。ただ途中そこまでの道のりでキャンプ場もライダーハウスもなく、中途半端な場所でキャンプはしたくなかったし、最終手段として、時々存在する農場や民家に泊めていただけるか頼むという・・・ことはこの時考えなかったか。その目的の場所でキャンプしたかったこともあり僕は暗くなっても走り続けた。クマがこわいのでビートルズの曲をメドレーで大声で歌いながら走った。ヘーイジュード!!♪

そして事件は起きた。

信号のない交差点を左折しようと右を確認した時だ。むこうに黒い影がヌッと動いた。もしや出たか?そう思った瞬間その影が吠えながらこちらに近付いてきた!!しかも1匹じゃない、2匹、3匹!!!クマではなく犬であることが分かった。なに?なに?飼い犬?野犬?さらに数は増えて6~7匹の犬が僕の前を囲み、けたたましく吠えていた。この状況はかなりヤバイ。しかしその半分では不思議と冷静だった。僕は彼らの目をじっと見ながら自転車を犬と反対側に押して歩いていった。すると向こうは吠えてはいるものの距離は離れていき、やがて諦めてくれたようだった。僕は犬の見えない所までいったところで安堵のため息をもらした。助かった・・・。

しかし恐怖はまだ終わったわけではなかった。もうこの時点で展望台まで2kmあたりまできていたが、大きな道路を離れ、車もほぼ通らない狭い道は林に囲まれ、今にもさっきの犬より大きな黒い影が出てきそうな気がして本当にこわかった。展望台への最後の坂道は急勾配で、こいでは登れず自転車を押して歩いた。もうビートルズを歌う余裕はなく、ただひたすら「こわいこわいこわい・・・」とクマよけの意味もかねて大きな声でつぶやきながら、展望台へ続く坂を登った。

そしてついに展望台の駐車場にたどり着いた!!しかし暗くてキャンプ場なんて見当たらない。あったとしても人気がなくてこわい。駐車場には車が2台停っていた。他には展望台と、トイレ。さて、問題はどこで寝るかや。トイレに入った。そのトイレはまず扉があり、そこを開けると畳1条分の小さいスペースがある。そこから男子トイレと女子トイレに分かれてある。僕は思った。この小さなスペースで寝れるのでは?人もほとんどいないし、駐車場の車の人とはまだ会ってないけど、その時はうまく説明するとして。外で寝て黒い大きな影に張り倒されるのは絶対イヤだ。

僕はその小さい空間に銀マットをしいた。座った。ああ、生きてる。まあここも決して安全と言えるわけではないのですが。すると駐車場にとまっている車の人がトイレに入ってきた、オジサンだった。定年して夫婦で車で旅行しているそうだ。事情を説明すると怪訝な顔もせず「ああ、大丈夫だよ。起こして悪かったね。」と言ってくれた。もう1台も同じく定年した夫婦で優しい人達だったので助かった。

するとまた1台車が展望台に来たようだ、もうエエっちゅうに。その車から賑やかな声が聞こえて来た。声はそのままトイレに向かってくる。うう、どういう顔しておっとくか。扉が開いた。若い男と目があった。
オレ「あ!」
若い男「あ!」
なんと知り合いだった。おとつい宿で知り合った自転車好きの大学生の子だった。彼は今回大学の研究やらで北海道に遠征に来ているのだが、この展望台に仲間と車で星を見に来たそうなのである。しかしこんな所で会うとは数奇な話よ。その子にホットの缶コーヒーをおごってもらい、手持ちの食パンで晩飯。僕はトイレの入口の小部屋で朝まで熟睡した、我ながらよくこんな所で寝れる。

翌朝、トイレの横の看板を見つけてゾッとした。

北海道 (65)


拡大する。

北海道 (65)1


やっぱりか!再度この時、生きてるって思いましたよ。

ちなみに翌朝もキャンプ場があったか分からなかった。あってもクマが出て閉鎖になったのかしれない。とにかく数年前の情報を過信してはいけないなと。クマが出た時点でそれ以降閉鎖されるキャンプ場ってのは道内でもけっこうあるそうです。

夜と早朝は野生動物に遭遇する可能性が高くなるので自転車で走ったりしないようよろしくお願いします。

ちなみにこの日の夜は曇ってまったく星が見えなかった。もしかしたら神様が「危ないから外に出るな」と空を曇らせたのかもしれませんな。

芽が出る

芽が出る

じっとその時を待つ。

9月8日359日目「この旅一番の星空を」屈斜路湖

北海道 (63)


この日は美幌峠を目指していた。

ここにくるまでにオホーツク海沿いの計呂地(けろち)にある汽車を改装したライダーハウスで英ちゃんという大学生のチャリダー君と仲良くなり、しばらく一緒に走ることにした。

道中、僕たちはとある宿に泊まることに。その宿は本館と別館があり、本館はこじんまりしたビジネスホテル風で、別館は宿泊料も安いので当然ながらそっちの方へ。本館で受付を済ませた。夕方ここにくるまでに突然の豪雨に降られたのですが、宿に着いたという安心感と、オーナーのおじさんのほんわりとした雰囲気に心が安らいだ。英ちゃんと意気揚々と数メートル離れた別館の方へと歩いていった。別館の前にたった瞬間、二人は唖然とした。

おお、おほほう。すんごいボロイ(笑)

英ちゃんと顔を見合わせた。とりあえず中を見てみようや。すると中は割とキレイにしていて、ここならいけると二人は合点した。建物自体は古く、何十年前かで時間が泊まっているような雰囲気があった。照明もほの暗く、よりいっそう雰囲気がで出ていて、自分の中で勝手に北海道の文化遺産に登録させていただきたい。トイレに関しては異次元につながってるんちゃうか?っていうすごい雰囲気があった。小は出来ても大はちょっと勇気いるなあ。でも布団もあるし、本館で風呂も入れるし、エエやないの、とお二人けっこうご満足。僕たち以外にも2人ほど宿泊者がいた。さらに後から2人、20代前半の若い旅人が来たのですが、宿を外からも中も見て、
「ここに泊まるんですか?たくましいですね、僕たちは違う宿に行きます。」
と言って足早に去っていった。たくましい?お前ら普段どんだけエエ所泊まっとんねん~と英ちゃんと笑いながらしゃべっていた。

本館に泊まっている大学生の子と仲良くなった。彼は大学の学会で北海道まで遠征に来たそうだが、ランドナーやロードレーサーでツーリングするのが好きで、美幌峠は美しいので是非行ってみてほしいというので、英ちゃんと向かうことにしたのだった。

9月8日、宿を出た僕たちは美幌峠の方角へ向かう。途中、女満別(めまんべつ)という土地を通ると、なだらかな丘に畑が広がり良い景色。

北海道 (61)


峠の傾斜はそれほど険しいものではないが、ダラダラと長くゼーハー言いながら登り、美幌峠頂上に到着、そしてこの景色。

スキャン0001


素晴らしい。
峠を下り、湖の南側を走る。北海道には無料の露天風呂がいくつもある。ただしその多くは山の中にあり、山歩きの経験やクマ対策もちゃんとしておかないといけない。僕は経験も度胸もないのでそういうのにはチャレンジしませんが、屈斜路湖には湖沿いで簡単に入れる露天風呂がいくつかあり、最初に入ったのは和琴半島にある露天風呂。パっと見、温泉というかは「池」にしか見えない。でもお湯の具合はすこぶる良い。水面にたくさん「藻」のような物体が浮かんでいるのですが、一緒に入っていた地元のおっちゃん達が、「この藻を体にすりつけると肌にイイんだよ。この前学者の人が言ってたよ。」ホンマかいな(笑)

湖沿いのキャンプ場で星空を見ながらキャンプをするのも良かったが、英ちゃんはテントを持っていないのでこの日も宿に泊まることにした。「ぽんと」というレストランで、ライダーハウスも一緒にやっている所を見つけた。本来は1泊1000円だったが、2階の部屋はすでに満室で1階のレストランの床でよかったら安くするよということ。むしろ安い「床」の方がイイです、超ラッキー、もう感覚おかしなっとる(笑)

レストランには宿泊者のライダー達がたくさんいて賑わっていた。ところでレストランから2kmほど離れた所に「コタンの湯」という無料の露天風呂があり、この日は星空がとてもキレイだったので風呂に入りながらその星空を眺めることが出来たら最高ではと、思っていた。でも英ちゃんは疲れているようであまりノリ気ではなかった。じゃあ諦めるか。

・・・諦めきれなかった。英ちゃんに、一人で行ってくるわ~と言って出ていこうとすると、
英ちゃん「オレも行きますよ!ニャンチュウさん(旅先で呼ばれていた僕の名前)を一人で行かせるわけにはいきません!!」
オレ「と、友よ・・・!!!」
するとその会話を聞いていた他のライダー達が「オレも!オレも!!」とどんどん名乗りをあげて結局6人くらいが温泉に行くことになった。

そしてその「コタンの湯」。温泉の目の前はすぐ湖、見上げればとんでもないほど美しい星空が視界全体で輝いていた。

「やっぱり最高。」

ところで温泉は湯船の真ん中に大きな岩があるだけでほとんど混浴に近い。一緒に温泉に入りにきた親娘のライダーがいて、娘さんは僕とそう年も変わらない若い女の子で、当然タオルを巻いているが、申し訳ないので直視できないけどちょっとドキドキした体験でもありました。みんなでワイワイと星空を眺めながら流星を探す、イイねえ。

帰り道、少しゆるい登りの場所があった。するとその道の先は星空になった。僕はその時、宙の中を走っているような心地がした。宿に帰ってからも、前でしばらく英ちゃん達と星を眺めていた。携帯の電波も届かないこの場所。後にも先にも、今回の旅で一番の星空であったのです。

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アマガエル♪

Author:アマガエル♪
自転車に乗って、旅して、撮る。

自称「自転車カメラニスト」のアマガエルです。

旅と日常を写真と、時々文章とともに綴ります。

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・SEAGULL 4A-107

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